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元マフィア、異世界で屋台を始める ~俺の料理だけ、なぜか食べた相手にバフがかかる~  作者: 星海凡夫


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第12話「飢えた騎士と神穀の麦飯」

夜の屋台に、黒い鎧の男が立ったのは、それから三日後のことだ。


時刻はもう深夜に近い。常連客も引き上げ、広場に人気はない。炭火だけが赤く熾きて、トシがくすねる前の焼きおにぎりを一つ、網の上で温めていた。


リリアは先に宿に戻っている。グレゴールは厨房の奥で明日の仕込みをしていた。クロはカウンターの下で丸くなり、くぅすか寝息を立てている。


その静けさを、鋼の靴音が踏み砕いた。


「——ここが、例の屋台か」


声は低く、腹の底に響く種類のものだった。俺は団扇を置き、顔を上げる。


現れたのは、全身を黒鉄の鎧で包んだ長身の騎士だった。年は三十代半ばだろうか。無精髭の目立つ荒れた顔、両目は落ち窪み、その奥でぎらぎらと飢えた光が燃えている。背中には身の丈を超える大剣。帝国軍の紋章——翼を持つ狼——が、肩当てに刻まれていた。


そしてその左手には、ボロボロの弁当箱が握られていた。


木製の、使い古されて表面の塗りが剥げた、小さな曲げわっぱ。年季の入ったそれだけが、この男の全身の武骨さと不釣り合いに、大切そうに抱えられている。


「帝国軍務庁特務官、ギリアム」

男は名乗った。

「預言者から聞いている。俺が“飢えた男”だ」

「……預言者が言ってたな。強い飢えを持った男が来るって」

「そうだ。俺は飢えている。十年間、ずっとだ」


ギリアムはカウンターの前にどかりと腰を下ろした。鎧が重い音を立てる。クロが耳を立て、唸ろうとして——やめた。なぜか、この男には敵意がなかった。ただ、深い飢えだけがあった。


「それで、俺に何を求める」

「決まっている。俺の空腹を、満たせるか」


俺はしばらく男の目を見つめた。目は飢えている。だが——腹だけじゃない。もっと深い場所が、空っぽだ。


「その弁当箱、空か」

「……ああ。十年間、空のままだ」

「なぜ持ってる」

「これは、俺の妻のものだ。彼女はもういない。帝国の飢饉で、食わせてやれなかった。俺は軍人で、戦場にいた。彼女は——村で、餓死した」


ギリアムの声は平坦だった。だが、弁当箱を握る手の震えが、すべてを語っている。


「それ以来、俺は空腹を感じなくなった。どんな飯を食っても味がしない。飢えているのに、満たされない。そんな俺を軍務庁が拾って、飢餓を利用した戦闘兵器にした」

「兵器」

「俺のスキルは“常餓”。どんな傷も空腹で塞ぐが、代わりに一生腹が減り続ける」

「……それは、地獄だな」

「地獄だ。だが、お前の噂を聞いた。預言者にも言われた。『その飢えを満たせるのは、ただ一人の料理人だけだ』と」


彼は弁当箱を、そっとカウンターの上に置いた。

「カズマ。この弁当箱を、もう一度だけ満たしてほしい。妻が入れてくれたような——誰かのために作った飯を」


俺は黙って、土鍋に火をかけた。


使うのは、トシから預かった神穀マナムギだ。真珠のように輝く一粒一粒を研ぎ、水に浸ける。この穀物は、食う者の潜在能力を引き出すと同時に——“心の飢え”を満たす力があると、トシは言っていた。試したことはない。だが、今夜がその時だ。


マナムギを炊く。普通の米と違って、火加減が難しい。強火で一気に沸かし、弱火でじっくり蒸らす。蓋を開けた瞬間、黄金の輝きが立ち上り、あたりにほのかに甘い穀物の香りが満ちた。


俺はそれを茶碗によそい、梅干しを一つ、真ん中にのせた。それだけだ。だが——今夜は、もう一品だけ添える。


異世界デリバリーから取り寄せた、塩鮭の切り身。前世で、母が弁当に入れてくれたような、あのしょっぱくて脂ののった一切れを、炭火でこんがり焼く。


麦飯、梅干し、焼き鮭。それを、ギリアムの持ってきた曲げわっぱに、丁寧に詰めていく。妻がかつて詰めていたように——いや、俺の母がかつて詰めてくれたように。


「完成だ。食え」


ギリアムは弁当箱を受け取り、箸を割った。まず麦飯を一口。それから鮭をほぐし、飯と共に口に運ぶ。


次の瞬間——彼の手が、ぴたりと止まった。


「……あまい」

「あまいか」

「ちがう、甘いんじゃない。温かいんだ。なんだこれは。米が、輝いて——味が、する。味がするぞ!」

「落ち着け、まだある。梅干しも食え」


彼は梅干しをかじり、酸っぱさに顔をしかめ、それから——涙をぼろぼろとこぼし始めた。無骨な大男が、子供のように泣きじゃくりながら、弁当をかきこんでいく。


「うまい……うまいよ、カズマ。妻の弁当よりずっと、うまい」

「そりゃ光栄だ」

「違うんだ。俺は——俺は、妻の味を忘れてしまっていた。それなのに、この飯は、彼女の味とお前の味と、両方がする。なんでだ」

「俺は、お前のために握った。けど、それだけじゃない。お前の妻も、お前のために握った。料理ってのは、そういうもんだ。作った奴の想いが、食う奴に届く」


ギリアムは最後の一粒を平らげ、弁当箱を閉じた。それから、深く、深く息を吐いた。


その時、俺の視界にポップアップが浮かぶ。


【ギリアム スキル“常餓”変質】

【空腹が“平穏の満腹感”に置換されました】

【潜在能力覚醒:味覚完全回復、自己治癒力上昇(大)】

【忠誠度+20(永続)——ただし帝国に対するものではなく、この屋台に対するものです】


「……なんだこれは」

ギリアムが自分の手を見つめる。落ち窪んでいた目に、生気が戻っている。

「空腹が——消えた。初めてだ。十年ぶりに、満たされた」

「マナムギのおかげだ。心の飢えを満たす穀物でな。ただし、効くのは本物の飢えを持った奴だけだ」

「俺は——どうすればいい」

「お前が決めろ。軍務庁に戻って報告するか、それとも——」

「戻るわけにはいかない。この味を知ってしまった以上、俺はお前の料理を敵にできない」


ギリアムは立ち上がり、大剣を抜いた。俺は身構えたが——彼はその剣を、カウンターの脇にどさりと置いた。


「剣はいらない。俺はこの屋台を守る。帝国がお前を狙うなら、俺はその度に立ち塞がる」

「……軍人だろ、お前」

「軍人だった。今は——ただの、腹を満たされた男だ」


グレゴールが奥から顔を出し、呆れたように言った。

「……また増えたな」

「皿洗いの追加か」

「いや、今度は警備員だ」


クロがくぅんと鳴き、ギリアムの足にすり寄った。どうやらフェンリル公認らしい。


トシが、見えないカウンター席で声を潜めて笑った。

「お前、ついに帝国の騎士まで味方にしたか。いよいよ戦争になったら、屋台が要塞になるぞ」

「やめてくれ、ただの飯屋だ」


だが——心の奥で、俺は覚悟していた。預言者の言葉、トシの警告、そして今、帝国の特務官までもが味方になった。流れはもう、引き返せないところまで来ている。


ギリアムは弁当箱をそっと懐にしまい、言った。

「カズマ。帝国の本隊は、この街まであと十日で到着する。指揮官は“飢餓将軍”ヴォルフガング。奴は——俺の元上官だ」

「お前の」

「奴もまた、飢えている。だが俺とは違う。奴は飢餓を“力”と信じ、食を支配することで世界を手に入れようとしている。奴の目には、お前は最高の兵器だ」

「……その将軍は、何が好きなんだ」

「何が、とは」

「飯の話だ。あんたの上官は、何を食えば満足する」

「……知らん。奴は十年以上、何も食っていない。魔力だけで生きている」

「なるほど、厄介だな」


それでも——腹が減っているのなら、話は同じだ。


俺は新しいメニュー表を、値段表の下に一枚貼った。


『麦飯定食(神穀マナムギ使用) —— 時価』

※心の空腹を抱える方に。おにぎり変更可。おかわり自由


「……お前、正気か」

ギリアムが絶句している。リリアなら「またか」と言うところだ。


「正気だ。戦争が来るなら、その前に腹一杯食わせておく。飢えたまま戦うより、満腹で話し合ったほうがいい」

「飢餓将軍は話し合いでどうにかなる相手じゃない」

「なら——まずは飯だ。食わせてから考えろ」


遠く、北の空に雷鳴がとどろいた。嵐が近づいている。いや、嵐だけではない。帝国の軍靴が、この街に向かって動き始めている。


俺は炭火をかき立てた。まだ熾きている。まだ焼ける。


(第12話 終)



▼ 次回予告(第13話用の引き)


帝国本隊、到着まであと三日。屋台の周りに、かつてない数の客が集まり始めた——逃げる市民、志願兵、そして“最後の晩餐”を求める者たち。

そんな中、ギリアムが持ってきた帝国軍の機密文書。

「カズマ、これを見てくれ。飢餓将軍の本当の狙いは、お前の拉致じゃない——」

そこに記されていたのは、“食神殺し”の計画だった。

(次話:「食神殺しと最後の晩餐」)

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