第1話「焼き鳥と敏捷+10」
串に刺した鶏肉が、炭火の上でじゅわりと脂を落とした。
煙に乗って、醤油とみりんが焦げる甘じょっぱい匂いが、ダンジョン帰りの薄汚れた広場にふわりと広がる。俺は手元の団扇であおぎながら、焼き色のついた皮を検分した。うん、今日も神がかってる。これで1本30ゴールドだ。ぼったくりかもしれないが、味と効果を考えればむしろ安すぎる。
「へい、おっちゃん!まだかよ!」
「腹減って死にそうなんだが!」
屋台の前には、血と泥にまみれた冒険者たちが十人ほど並んでいる。全員、目が据わっている。金はない、飯は不味い、ダンジョンはきつい。この世界の冒険者なんてそんなもんだ。ギルドの飯は固パンに塩だけのスープ。そりゃ行列もできるわけだ。
俺、カズマ(45)——いや、今はカズマ(18、見た目)——は、前世で培った無表情で注文をさばく。
「はい、焼き鳥タレ5本、塩3本。塩のほうにマヨネーズつけるか?」
「マヨ……なんだそれ」
「食ってみろ、人生変わるぞ」
焼き鳥を紙に包んで渡す。若い剣士がしげしげと黄色い白いソースを見て、おそるおそるかじった。
……三秒後、そいつの目がひんむかれた。
「待て」
「ん?」
「なんだこれ。なんだこれ!うますぎるだろ!てか、なんか体が軽——」
彼の顔の横に、俺にしか見えない半透明のステータスウィンドウが浮かぶ。そこに、ポップアップが出現した。
《スキル発動:味覚献身》
【敏捷+10(60分)】【疲労回復(小)】付与
よし、今日もバフが乗った。俺だけが見えるこの数字が、この屋台の本当の商品だ。
俺の異世界唯一のスキルは、戦闘でも生産でもない。日本から「食材と調味料」を取り寄せられるだけの、しょぼい通販スキル。だが、そいつで作った料理を食わせると、なぜか食ったやつのステータスが跳ね上がる。理由は知らん。たぶん神様の手違いだ。
……三ヶ月前までは、こんな商売になるとは思ってなかった。
(回想)
死んだのは、安っぽい社員寮の一室だった。舎弟だと思ってた若い衆が、ボスの命令で茶に混ぜた毒。口の中に広がる苦みと、視界が狭まるあの感覚は、今でも夢に見る。
気がついたら、俺はスラムの路地裏で、十代の体になって寝転がっていた。頭の中に直接、機械みたいな声が響く。
《転生完了。ユニークスキル【異世界デリバリー】を付与します》
最初は何がなんだかわからなかった。浮かぶメニュー画面、現代日本の通販サイトみたいなUI。試しに「マヨネーズ」を指でタップしたら、本当に俺の手にキユーピーのマヨネーズが落ちてきて、三秒くらい固まった。
マヨネーズ。こいつはすげえ。向こうの世界の、人類が石油の次に発明したすごいやつだ。俺はこの力で、もしかしたら食い物屋になれるんじゃないかと思った。
人を殺すのに疲れた。もう毒を見るのもこりごりだ。でも、料理なら——誰かを生かせるかもしれない。
(回想終わり)
「な、なあおっちゃん……そのマヨネーズっての、別売りしてくれねえか?」
最初の客だった剣士が、すがるような目でこっちを見ている。自分のステータス画面を確認したんだろう。敏捷+10の効果は、初心者ダンジョンなら生死を分ける。
「悪いな、それはやってないんだ。また食いに来い」
「くっ……!」
これが、リピーターを作るコツだ。秘伝のタレは渡さない。食わせ続けることでしか、俺の飯の価値は維持できない。元スパイの性分だな、こういうのは。
行列の最後尾で、銀髪のエルフの女が腕を組んでこっちを睨んでいる。全身ぴったりした革鎧、背中に矢筒。たしか三日連続の来店だ。名前はたしか、リリア。パーティを組まずにソロでやってる変わり者で、かなり腕が立つ弓使いだとギルドで聞いた。
「……焼きおにぎり。今日はあるか」
「あるぞ。醤油の焦げたやつ、一個40ゴールド」
「高い」
「食ったことあるだろ、お前」
「……ふん」
ふん、じゃねえ。リリアは毎回文句を言いながら、結局二個は買っていく上客だ。今日は焼きおにぎり三個と、それからおでんの大根を追加で頼んでいった。お前、それだけで飯終わるつもりか。
屋台を開けて二時間で、今日の仕込みはほとんど売り切れた。
「まいどあり。また明日もここでやってるから、友達連れてきな」
「あったりまえだ!うちのパーティ全員連れてくる!」
「俺の彼女にも食わせていいですか!?」
「彼女いたのかお前」
どっと笑いが起こる。こういう時間が、前世では決して手に入らなかったものだ。
人の腹を満たし、笑わせる。たったそれだけのことで、俺は初めて「生きてる」と思えた。
片付けを始めようとしたその時、隣の区画から悲鳴が上がった。
「モ、モンスターが迷い込んだ——フェンリルだ!!」
「嘘だろ、フェンリルってS級魔獣じゃねえか!」
「なんで街中に!」
広場中がパニックになる。冒険者たちが武器を構えるが、明らかに腰が引けている。
路地の奥から、黒い毛並みの獣がふらりと姿を現した。フェンリル。伝説の巨大狼。ただしその個体は、どう見ても成獣じゃなかった。
体長は大型犬くらい、尻尾はだらんと垂れ、毛はボサボサ。目は爛々としているが、足元はおぼつかない。腹のあたりが異常にへこんでいる。そして——そいつの鼻が、ひくひくと動いて、俺の屋台のほうを向いた。
あ、これ。
「腹、減ってるのか」
俺は、売れ残った焼き鳥のタレを一本、カウンターの端にそっと置いた。
「好きにしろ」
数舜の沈黙。それから、黒い子狼は躊躇なく肉に食らいついた。串ごとばりばり食ってる。やめろ串は食うな。
周囲の冒険者たちが固唾をのんで見守る中、子狼は三十秒で三本平らげて、ぺろりと口元を舐めた。そして、俺の顔を金色の目でじっと見上げる。
俺の視界に、またウィンドウがポップアップする。
《フェンリル(幼体)の忠誠度が50を超えました》
《テイム条件達成。眷属に指定しますか?》
「は?」
「な、なにしてるんですかあんた!」誰かが叫んだ。「フェンリルだぞ!?」
子狼は、俺の足元にどさりと伏せて、尻尾をパタパタ振り始めた。でかい図体のくせに、やることが完全に犬だ。いや、犬だ。
「眷属……ペットってことか。これが」
俺はしゃがんで、その耳の後ろをかいてやった。ふわふわの毛が指に沈む。前世では人に触れることすらなかった。こんな感触、初めてだ。
「テイムしちまった。どうするこれ」
「どうするって……もう飼うしかないんじゃないですか?」
リリアが呆れた顔で俺を見下ろしている。手には串に刺さった焼きおにぎり。
「餌代かかるぞ」
「お前の稼ぎなら問題ないだろ」
「……まあな」
こうして俺の屋台には、最強クラスの魔獣の幼体が常駐することになった。名前は「クロ」でいい。適当だが、なんとなく黒いし。
その夜、宿に戻って売上を数えながら、俺は明日の仕込みを考える。
焼き鳥は好評だった。あとは豚バラの生姜焼きと、冷ややっこも試したい。豆腐はにがりさえあれば自作できる。味噌汁もそろそろメニューに加えたいな。
「クロ、明日はお前にも客引き手伝ってもらうからな」
「くぅん」
クロは返事をして、俺の布団のど真ん中で丸くなった。おい、どけ。お前は床だ。
窓の外には、ダンジョンの不気味な灯りと、王都へ続く街道の松明が見える。
屋台を始めてまだ三ヶ月。客は増えたが、これはまだただの露店だ。
けれど、なぜだろうな。
ギルドの連中が俺を「先生」と呼び始め、エルフが常連になり、フェンリルが足元で寝ている。こんな小さな場所が、やけに世界の中心みたいに感じる夜がある。
遠くの山脈で、雷鳴がとどろいた。クロの耳がぴくりと動き、それからまた寝息を立て始める。
俺は帳簿を閉じて、くしゃりとそいつの頭を撫でた。
「まあ、なんとかなるだろ」
明日もまた、屋台を出すのだ。
(第1話 終)
▼ 次回予告(第2話用の引き)
翌日、屋台に現れたのは、全身をマントで覆った怪しい四人組だった。
「——この料理、ただの飯じゃないな?どうやって作っている?」
(次話:「尋問とカツ丼の効用」)




