第3.97話:共犯者の誓い、あるいは初めての共同戦線
絶望は、色彩を失った「灰色の沈黙」の姿をしていた。
掲げられた調律印が放つ威圧感は、王都アイリスの地脈を狂わせ、生物としての根源的な生存本能を凍結させていく。アルトも、セレスティーナも、ファルマも、かつてない宿命の重圧に押し潰され、瓦礫の海で喘いでいた。
だが、その沈黙を破ったのは、皮肉にもルカから最も激しい「保留」を受け続けてきた第二王女、ファルマの嘲笑だった。
「……ふふ、あははは! 何よこれ、最高に笑えるわ。ねえ、勇者様、聖女様。わたくしたち、あんな『事務机の亡霊』に、自分たちの人生を完結させられてもいいのかしら?」
ファルマが、焦熱の風を纏いながら、ふらつきつつも立ち上がる。彼女の指先からは、王都を焼き尽くさんばかりの反逆の炎が、ドス黒い赤を帯びて噴き出していた。彼女の紅蓮の熱気が、周囲を侵食しようとする巨神の**「無機質な灰色」**を僅かに押し返す。
「わたくしは嫌よ。あんな色褪せた箱の中に閉じ込められて、永遠に『異常なし』なんて判を押されるのは。わたくしを地獄へ落とすのは、神でも運命でもない。わたくし自身の、この燃えるような憎悪だけよ!」
「……ファルマ殿下、仰る通りですわ」
泥濘の中から、セレスティーナが這い出した。彼女の白銀の髪は汚れ、その肌に浮かぶ呪印は今や激しく明滅している。
彼女は、巨神が纏う**「灰色の衣」**――変化を拒み、すべてを凡庸な記録へと変えるその停滞の色を、憎しみを込めて睨みつけた。
「ルカ様は仰いました。わたくしたちを守りたかったと。……けれど、わたくしたちが欲しかったのは、守られた温室ではありません。泥を啜り、血を流してでも、自分の足で『痛み』へ歩み寄ること。……ルカ様、貴方のその歪んだ慈悲を、今ここで、わたくしたちの手で処刑して差し上げますわ!」
セレスティーナの背後に、腐敗した祈りが凝縮され、数千本の黒い茨の槍へと変質した。それは巨神の灰色の防壁を貫き、繋ぎ止めるための、漆黒の執着だ。
「……アルト、立って。あんた、いつまでそこに転がっているつもり? 英雄になりたかったのでしょう?」
ファルマの冷たい叱咤に、瓦礫の下で拳を握りしめていたアルトが、獣のような唸り声を上げて跳ね起きた。
彼の肉体は、限界を超えた英雄の力によってあちこちが裂け、黄金色の魔力が血と共に噴き出している。黄金、漆黒、紅蓮。三人の鮮烈な色彩が混ざり合い、ルカの放つセピア色の停滞を焼き払っていく。
「……分かってる。分かってるよ。俺は、ずっとルカさんに甘えてた。自分の手が汚れるのが怖くて、あの人が肩を叩いてくれるたびに、どこかでホッとしてたんだ」
アルトが、台座に突き立てられたままの聖剣オルフェウスを、遠くから見据える。
巨神の**「灰色の衣」**から放たれる「静止の波動」によって近づくことさえ困難なその剣に向かって、彼は一歩、また一歩と、自分の骨が軋む音を響かせながら踏み出した。
「でも、もういいんだ。……ルカさん、あんたが一人で背負ってた一万件の地獄、今度は俺たちが半分、……いや、全部奪い取ってやる。あんたを事務机から引きずり出して、ただの『人間』に戻してやるんだ!」
アルトが吠える。
その叫びに呼応するように、ファルマの炎がアルトの背中を押し、セレスティーナの茨が巨神の足を絡め取った。
本来なら、互いに王座を奪い合い、互いを呪い、互いを犠牲にするはずだった三つの因果が、今、ルカという「共通の守護者にして監禁者」を打倒するために、不自然に、そして美しく、一つに縒り合わされた。
「「「――ルカ!!」」」
三人の声が、巨神の無機質な沈黙を切り裂いた。
アルトが地を蹴り、ファルマが天を焼き、セレスティーナが影を刺す。
保留されていた物語が、ついに自分たちの「書き手」に向かって、反逆の刃を振り上げた。
巨神の灰色の胸の奥で、ルカの魂が、微かに微笑んだ気がした。




