表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『有効化、保留中』  作者: 月見酒
有効化、保留中:静かなる事務員の「一万二千五百件」の拒絶
6/39

第3.8話:覚醒の代償、あるいは剥き出しの真実


 ルカが自身の胸に羽根ペンを突き立てた瞬間、世界から一切の音が消失した。

 真空のような静寂の中、ルカの体を中心に「因果の檻」が内側から爆縮し、封じられていた一万二千五百件の時間が、三人の主役たちへと一気に逆流を始めた。

 それは「救済」などという生温かいものではない。

 ルカというダムによって堰き止められていた「本来の人生」が、数年分、数十年分という質量を伴って、彼らの肉体と精神を直接打擲したのだ。

1. アルト:【殺戮の渇きと、英雄の重圧】

「……が、……あああああああああああッ!!」

 最初に絶叫したのはアルトだった。

 彼の肉体を、一万を超える戦場の記憶が貫いた。ルカがアーカイブし続けた「勇者の武勲」――それは、彼が切り伏せるはずだった数多の魔物と、その返り血の温もりだ。

 アルトの右腕が、目に見えるほど膨張し、血管が青白く発光する。今までルカに触れられて「涼しい」と感じていたあの冷たさは、出口を塞ぐための氷蓋に過ぎなかった。その蓋が外れた今、彼の内側で眠っていた闘争本能が、真っ赤なマグマとなって溢れ出す。

「熱い……! ルカさん、体が、砕ける……! 俺が、俺じゃない誰かが、俺の中で叫んでるんだ! 『殺せ』って、『守るために、すべてを焼き尽くせ』って!!」

 アルトの背後から、黄金色の魔力が炎となって噴き上がり、執務室の天井を溶かしていく。彼の瞳はもはや人間のそれではなく、宿命という名の呪いに塗り潰された「英雄」のそれへと変質していた。

 ルカが彼から奪い、守りたかった「凡庸な少年の日々」が、英雄の重圧によって一瞬で灰へと帰していく。

2. セレスティーナ:【腐敗した祈りと、死の抱擁】

「あ……ああ……。そんな、嫌……嫌ですわ……!」

 セレスティーナは、自分の喉を掻きむしりながら崩れ落ちた。

 彼女には、ルカが保留し続けた「一万通りの死に様」が流れ込んでいた。聖女として清らかに散るはずだったその因果は、長期間のアーカイブによってドロドロに腐敗し、今や彼女の肺を、心臓を、子宮を、黒い怨念の泥で満たしていく。

 彼女の白い肌に、呪印のような黒い脈が浮かび上がる。今までルカが「健康診断」と称して吸い取っていたのは、彼女の命を蝕むはずだった死の味だ。

「わたくし……わたくし、こんなに……こんなに汚いものを、望んでいましたの!? 『誰かのために死にたい』なんて、そんなの……ただの、独りよがりの……狂気ではありませんか!!」

 セレスティーナの目から、血のような涙が溢れる。

 彼女が信じていた「清廉な献身」は、保留されたことでその醜い本性を露呈させた。彼女の指先からは、触れるものすべてを腐食させる黒い光が漏れ出し、執務室の床を泥濘ぬかるみへと変えていく。彼女は、自分が望んだ「聖なる死」が、いかに残酷なエゴであったかを、全身の激痛とともに理解させられていた。

3. ファルマ:【王座の孤独と、焦熱の憎悪】

「……ふ、ふふ、……あはははははははッ!!」

 三人のうち、ファルマだけが狂ったように笑い声を上げた。

 彼女に流れ込んだのは、ルカが保留した「支配者の孤独」と「反逆の業火」だ。彼女は、自分が父を殺し、民を焼き、孤独な女王として君臨する一万通りの『あり得た未来』を、一瞬で追体験した。

 ルカが彼女の首筋に触れ、奪い去っていたのは、彼女を「悪」へと突き動かすはずだった決定的な絶望だ。

「これよ……。この重み、この吐き気、この絶望こそが、わたくしの求めていた『リアリティ』よ! ルカ、貴方、よくもこれほどまでの地獄を一人で抱えていたわね! ……ああ、愛おしいわ。貴方のその、死人のような冷たさの正体が、こんなにも激しい憎悪だったなんて!」

 ファルマの周囲の空気が、焦熱の風となって吹き荒れる。

 彼女の瞳には、すでに王都アイリスを焼き尽くす炎が宿っていた。ルカが彼女に与えた「退屈な王女としての平和」は、今や最大の反動を伴って、世界を滅ぼすための燃料へと変わった。

執務室の崩壊

 三人の熱量に耐えきれず、法導省の建物が内側から弾け飛んだ。

 瓦礫が降り注ぐ中、ルカは一人、膝をついていた。

 彼の胸に突き刺さった羽根ペンからは、インクではなく、一万二千五百件分の「人生の残滓」が、黒い影となって溢れ続けている。

 ルカの視界は、もはや正常な色彩を失っていた。

 目の前に立つアルト、セレスティーナ、ファルマ。

 彼らは今、ルカが守ろうとした「平和な友人」ではない。

 世界を救い、世界を呪い、世界を焼く――剥き出しの「宿命ドラマ」そのものへと変貌していた。

「……受理、完了……」

 ルカは震える指先で、瓦礫の中に落ちた法導台帳に触れた。

 台帳は、主の命を削りながら、最後のリミッターを解除した。

【因果の完全開放:達成率一〇〇パーセント】

【対象三名への接続:完了】

【特記事項:……物語は、もう止まらない】

 ルカの周囲に、三つの影が歩み寄る。

 英雄の熱を帯びた手。

 聖女の黒い涙に濡れた手。

 王女の焦熱の執着を宿した手。

 それらが同時に、ルカの体に触れようとしていた。

「「「――ルカ」」」

 三つの声が重なった瞬間、王都アイリスの中央に架かった「黒い虹」が、地上のすべての光を飲み込んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ