表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『有効化、保留中』  作者: 月見酒
有効化、保留中:静かなる事務員の「一万二千五百件」の拒絶
5/39

第3.7話:三位一体の瓦解、あるいは緊急事態報告


 法導省因果調律局の執務室に、三つの激しい足音が重なり、重厚な扉が悲鳴を上げて開け放たれた。

 ルカは、すでにその予兆を「台帳の震え」として感じていた。彼のデスクには、限界を超えたアーカイブがもたらす磁場異常により、クリップや羽根ペンが数センチほど浮遊し、不自然な静止を保っている。

「ルカ! 説明しろ、騎士団の連中が、何かに取り憑かれたように……!」

「ルカ様! 神殿の回廊が、見たこともない黒い泥に埋め尽くされて……!」

「ルカ! 王宮の書庫が、開かないのよ! 扉の向こうから、誰かの泣き声が聞こえるの!」

 アルト、セレスティーナ、そしてファルマ。

 本来なら決して同時に現れるはずのない、この世界の「主役」たちが、一人の下級事務官の前に揃い踏みしていた。彼らの顔はどれも青白く、その背後には、ルカにしか見えない「保留された宿命」が、巨大な影となって絡み合っている。

 ルカはゆっくりと椅子を回し、彼らを見た。

 彼の右目は、過剰な因果の蓄積により、白目が真っ黒に染まり、瞳孔だけが冷たく光っている。

「……順を追って報告を。一人ずつ、手短に」

 その声の低さに、三人は一瞬気圧された。ルカは、まず肩を激しく上下させているアルトに視線を向ける。

「騎士団で、何が起きた」

「……演習中だったんだ。木剣で打ち合った瞬間、相手の騎士が、急に……! 戦場でもないのに、腹を抱えて叫び出したんだ。『内臓が、こぼれ出ている』って! 見れば、彼の体は何の傷もないのに、そこから目に見えない『何か』が噴き出して……。その場にいた全員が、自分たちが一度も経験したことのないはずの『致命傷の痛み』を共有して、動けなくなっている!」

 騎士団における異常。

 それは、ルカがアーカイブした『大戦の負傷者たち』の因果が、物理的な距離を超えて現実に滲み出した結果だった。

「次は、神殿だ。セレスティーナ様」

「……はい。……聖堂の床から、黒い泥が湧き出しているのです。それは触れると、誰かの『後悔』が頭の中に直接流れ込んでくる、恐ろしい液体。僧侶たちは皆、その泥に飲み込まれ、自分の罪を告白しながら溶けるように倒れています。……ルカ様、あの泥、わたくしの……わたくしの祈りの成れの果てではありませんの?」

 セレスティーナの指先が、恐怖で震えている。

 聖女の殉教を保留し続けたことで、浄化されるはずだった世界の穢れが「濃縮された後悔」へと変質し、物理的な汚染バイオハザードとして神殿を侵食している。

「そして、殿下。王宮の書庫ですね」

 ファルマが、憎々しげにルカを睨みつける。

 「ええ、そうよ。扉が勝手に閉まり、中からは何千人もの人間が、一度に喉を掻き切るような音が聞こえてくるわ。そして、わたくしがその扉に触れた瞬間……見えたのよ。わたくしが、わたくしの手で、この国を焼き尽くしている『未来の景色』が。あれは何? ルカ、貴方が隠しているのは、あんな地獄なの?」

 ルカは沈黙した。

 三つの報告が重なり、一つの答えを導き出す。

 騎士団(武力)、神殿(信仰)、王宮(権力)。

 この世界の屋台骨を支える三箇所で同時に起きた異変。それは、ルカという個人が堰き止めていた「因果のダム」が、もう全方位に渡って決壊を始めたことを意味していた。

「……そうです。私が保留し、アーカイブした、あり得たはずの真実たちです」

 ルカはデスクから立ち上がり、一歩、彼らの方へ踏み出した。

 その瞬間、ルカの足首を、影から伸びた無数の「黒い手」が掴んだ。それは記録庫から溢れ出した、未提出の感情たちの亡霊だ。

「ルカ様! 足元が……!」

「動かないでください。触れれば、貴方たちも因果の渦に巻き込まれます」

 ルカは事務的な冷静さを装いながら、手元の法導台帳に最後の一撃を加えるようにペンを走らせる。

 ガリ、とペン先が折れ、羊皮紙を突き破った。

「アルト君。セレスティーナ様。殿下。……貴方たちは、私が守りたかった『平和』という名の嘘に、もう耐えられなくなっている」

「……何、言ってるんだよ、ルカさん。守りたかったって……」

「私は、君たちが死ぬのを見たくなかった。君たちが悲劇の主役になるのを、ただの事務処理で防げるのなら、それでいいと思っていた。……だが、それは傲慢でした。人生から痛みを取り除けば、そこには何も残らない」

 ルカの周囲で、ついに現実の風景が剥がれ始めた。

 壁は紙のように燃え上がり、その向こう側には、一万二千五百件もの「保留された悲劇」が渦巻く、果てしない暗黒の空間が広がっている。

「今から、最後の案件を受理します」

 ルカは三人の中心に立ち、その両手を広げた。

 彼の手は、今や半分が紙のような無機質な白に、もう半分が因果の毒による黒に染まっている。

「案件番号一二、五〇〇。事案名――『世界の正常化デフォルト』」

 ルカが、自身の胸の中心に、折れた羽根ペンを突き立てる。

 ドクン。

 世界が、一度大きく脈打った。

 王宮の鐘が、あり得ない音色で鳴り響く。

 広場の聖剣が、ついにその鞘から数センチほど、自らの意志でせり上がった。

 

 ルカの視界に、最後のリミッターが外れるログが流れる。

【警告:アーカイブの総開放を開始】

【保留された因果の一括有効化デプロイを実行】

【執行者:ルカ】

【特記事項:……さようなら、退屈な楽園】


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ