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『有効化、保留中』  作者: 月見酒
『欠勤する救世主、あるいは神域の最終決算(エンドロール)』
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最終話:局長の執務、あるいは破滅の設計図


 神域の第一監査広場に漂っていた、数千名の監査官たちの「存在の燃えカス」さえも、巨大な空調システムが冷徹に吸い込み、浄化を終えた。

 特例・因果管理局長、ルカ。その衝撃的な就任儀式と、神域史上最大規模の「人員整理リストラ」を終えた直後。彼は、恐怖で統制されたわずかな生き残りの監査官たちに一言のねぎらいもかけず、新設された『局長執務室』へと引き籠もった。

 そこは、外部からのあらゆる干渉――神域の上位存在からの監視や、地上からの呪詛、あるいは彼自身の心に宿るはずの「迷い」さえも遮断する、因果律の真空地帯である。

 ルカは、重厚な黒檀のデスクに向かい、神域の権能そのものをペン先に宿した「局長専用万年筆」を手に取った。眼前に広げられているのは、最高級の霊基羊皮紙。そこに刻まれる文字は、単なる記録ではなく、世界の事象を確定させる「神の署名」と同義であった。

「……。

 ……さあ、始めましょう。……彼ら(バグ)の処置に関する、最終的な積算を」

■ 修正案:【第一対象・勇者アルト】

 ルカは淡々と、万年筆を走らせる。その鋭利な筆跡が紙を削るたび、彼の脳裏には一年前の、まだ光り輝いていた頃のアルトの姿が、鮮烈なカラーで蘇る。

 ――初めて剣を教えた、あの日の夕暮れ。

 「ルカさん、見ててください! 俺、いつかあんたを守れるくらい、強くなりますから!」

 木剣を握り、鼻の頭を赤くして笑っていた少年の純粋な憧憬。その眩しさに、事務官であったルカは、初めて「自分の仕事が誰かの未来を創っている」という錯覚を抱いた。その少年の成長を誇らしく思い、彼が聖剣を抜いた時、心の底から「報われた」と感じたのは事実だった。

 だが、今のルカの目は、その思い出を冷徹な「負債」として計上する。

「……アルト君。君の『黄金の勇気』は、僕が死んだあの日、既に閾値を逸脱した。……救いたいという願いは、今や世界の記述を焼き切る『有害な指向性魔力』へと変質している。……。

 ……。

 ……承認条件ファイナル・オーダー:聖剣オルフェウスの概念的機能を『永久凍結』。……さらに、彼がこれまで『勇者』として斬り伏せてきたすべての負の因果――数万、数億に及ぶ怨嗟を、一度に彼自身の肉体へと『逆流フィードバック』させる。……。

 ……。

 ……。

 ……君に教えた剣技のすべてが、君を解体する刃になる。……。

 ……。

 ……憧れは、現実の重みに耐えられない。……それこそが、僕が君に教えるべきだった最後の、最も誠実な『教育』です」

 ルカの指先が、アルトの特性を記した行に冷酷な「×」を記した。その瞬間、地上の遥か彼方で、アルトが肌身離さず持っていた聖剣が、まるで心臓を貫かれたかのように微かに鳴いた。

■ 修正案:【第二対象・聖女セレスティーナ】

 インクはルカの魂の欠片を溶かし込んだかのように、昏い光を放ちながら紙に吸い込まれていく。ペン先が進むにつれ、セレスティーナとの「保留された日々」が、香り立つような情景と共に再現される。

 ――教会の図書室、差し込む午後の陽光。

 「ルカ様、わたくしは、このまま時間が止まってしまえばいいと……そう思ってしまいますの。あの方々の苦痛を終わらせることが、わたくしの役目なのに」

 ルカの袖を震える指先で掴み、縋るように見つめてきた聖女。彼女の「愛」はあまりにも脆く、だからこそ美しかった。ルカは彼女のその弱さを肯定し、彼女が一人で背負いきれない呪詛を、そっと書類の山の中に紛れ込ませて肩代わりした。あの図書室での沈黙だけが、ルカにとって唯一の「休息」だったはずだった。

 だが、現在の管理局長としてのペン先は、その休息さえも「管理不備」として切り捨てる。

「……セレスティーナ様。……貴女の愛は、もはや信仰という枠組みを逸脱した。……死者すらも『保留』して手放そうとしないその執着は、世界の基盤を腐食させる『悪性のバグ』だ。……。

 ……。

 ……承認条件ファイナル・オーダー:彼女が展開する茨の全術式を、『自己捕食ウロボロス』のループへと書き換える。……。

 ……。

 ……貴女の愛が深いほど、貴女を縛る茨はより鋭く、より早く、貴女自身を内側から食い破るように設定。……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……貴女は、自分が望んだ通りの『永遠の保留』の中で、自分自身の愛に抱かれて消えていくといい。……。

 ……。

 ……それが、あの日、貴女の祈りを受け取ってしまった僕の、最後の清算です」

 書き終えたルカの筆致には、一分の揺らぎもない。セレスティーナの特性を記した欄には、慈悲など微塵も感じられない「抹消デリート」の印が刻まれた。

■ 修正案:【第三対象・皇帝ファルマ】

 最後に、ルカは最も長い、重苦しい沈黙を置いた。

 ファルマ。自分を支配し、所有し、理不尽に振り回し続けた女。そして――誰よりも、ルカという人間の本質を「理解」し、渇望していた女。

 ――深夜の執務室、終わらない残業の最中。

 「ルカ。貴様はわたくしのものだ。わたくしの帝国、わたくしの法、わたくしの領土……そのすべてよりも、貴様のその『無能なほどに忠実な筆跡』こそが、わたくしを安心させる」

 酔った彼女が、ルカの膝を枕にして漏らした独白。傲慢で冷酷な皇帝が見せた、たった一度の、震えるような孤独。ルカはその時、彼女を「皇帝」としてではなく、一人の「救うべき案件」として見てしまった。彼女のために書いた数万枚の命令書は、彼女の孤独を埋めるための、ルカなりの対話だった。

 だが、その感傷を、ルカは「組織の不利益」として一掃する。

「……ファルマ陛下。……貴女の帝国は、既に世界の予算リソースを使い果たし、破綻している。……。

 ……。

 ……承認条件ファイナル・オーダー:アイリス帝国が保有する全魔導回路、全軍勢、および皇帝としての『存在権限』を、管理局長の名義へと強制転移。……。

 ……。

 ……貴女からすべてを没収(差し押さえ)することが、僕が行使する『管理者』としての最後の権利です。……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……。

 ……何も持たなくなった貴女に、せめて管理された『安楽死エンドポイント』を供与します。……。

 ……陛下。貴女に『支配』される時間は、……それほど、悪くはなかったですよ」

 万年筆が、紙の上で最後の一点を打った。

 それは、世界を救った三人の英雄たち、そしてかつての自分が愛した者たちの物語に引かれた、絶対的な**「死の傍線」**であった。

■ 執務の終焉:【降臨へのカウントダウン】

 ルカは書き終えた「修正計画書」を丁寧に、事務的に二つに折り、漆黒の外套の内側、左胸のポケットに仕舞い込んだ。

 執務室の壁に投影されている地上では、三人がそれぞれの狂気を爆発させ、ルカを呼び戻すための最終儀式に手を染めている。アルトは神域の門を斬り裂き、セレスティーナは命を薪にして茨を燃やし、ファルマは国土すべてを魔法回路へと変換しようとしていた。

 彼らはまだ、自分たちの熱望した「ルカ」が、自分たちを解体するための、完璧で、非情で、一切の情けを排した「死神」として戻ってくることに、気づいてすらいない。

「……。

 ……。

 ……。

 ……これで、準備セットアップはすべて整いました。……。

 ……あとは、この計画書に、彼らの断末魔で『受領印』を頂くだけだ」

 ルカは立ち上がり、局長の外套を翻した。執務室の重厚な扉が開くと、そこには恐怖と狂信に統制された三百名の清算部隊が、音もなく、石像のように膝をついて彼を待っていた。

「……出撃します。……。

 ……。

 ……。

 ……これより、地上を『清算』し、彼らの狂った物語に、僕が終止符ピリオドを打ちます」

 神域の最下層、地上へと続く禁忌のゲートが、重々しい金属音を立てて開いた。

 灰色の雨が降り注ぐ中、管理局長ルカは、かつて愛した者たちの息の根を止めるために――その愛そのものを「誤字エラー」として消去するために、静かに降臨を開始した。


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