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『有効化、保留中』  作者: 月見酒
『欠勤する救世主、あるいは神域の最終決算(エンドロール)』
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第10話:管理官不在の統治、あるいは再雇用への通達


 ルカという名の重石を失った世界は、救済されたはずの平穏を享受することなく、さらなる加速的な狂気へと突き進んでいた。

 ガル・ムール平原の決戦から数ヶ月。世界は「聖人ルカ」を失った悲しみに暮れる暇さえ与えられなかった。なぜなら、彼を愛し、彼に執着し、彼という依り代を失って壊れてしまった三人の主役たちが、その喪失を「完了」させることを断固として拒絶し、世界そのものを彼を呼び戻すための巨大な供物へと作り変え始めたからである。

■ 狂信の統治:【不在の席を護る怪物たち】

 アイリス帝国、その豪華絢爛な皇都の玉座は、今や主を失ったまま静まり返っている。皇帝ファルマは、自身の玉座に座ることすら辞め、その傍らに置かれた「一脚の簡素な、使い古された事務椅子」の前に、臣下たちの前で堂々と跪き、見えない誰かに政務の報告を続ける日々を送っていた。

「……聞いているかしら、ルカ。今日の決算報告よ。貴方がいない間に、不服従を唱える周辺諸国をすべて武力で『整理』し、大陸の八割を帝国の管理下に置いたわ。貴方の残業を増やす不届き者は、もうこの地上には一人も残っていない。……だから、早く戻ってきて、この山積みの書類に承認印ハンコを押しなさい。貴方が認めない限り、この国は、わたくしは、一歩も先へは進めないのだから」

 かつて大陸を震わせた帝国の軍勢は、今や「ルカ復活」を唯一の教義とする狂信的な武装官僚集団へと変貌していた。

 聖都では、聖女セレスティーナがその信仰の対象を無残に挿げ替えていた。彼女が祈りを捧げるのは、天にまします神ではなく、壁一面に灰色のインクで描かれた、一人の事務官の肖像画である。

「ああ、ルカ様。あんな醜い神域が貴方を返さないと言うのなら、わたくしがこの手で天の門を焼き払い、因果の根源を逆流させて差し上げます。貴方が愛したこの世界、救われた数百万の命、そのすべてを生贄として捧げれば……きっと神様も、貴方を返さないわけにはいかなくなりますわ。ふふ、ふふふ……ああ、早く貴方の冷たい指先で、わたくしの罪を承認していただきたい……」

 彼女の黒い茨は、今や聖都全域を血管のように覆い尽くし、神域との「通信路」を物理的にこじ開けるための、おぞましい魔力集束儀式場へと作り替えられていた。

 そしてアルトは、もはや人間の言葉を話すことさえ忘れた修羅となっていた。彼はかつての仲間も、勇者としての栄光もすべて捨て、各地に潜伏する神域の使い――「監査官」の残滓を、獣のような嗅覚で狩り続けていた。

「……次だ。次の監査官はどこだ。ルカさんの魂が、どの階層に秘匿されているか、それを知っている奴を連れてこい。……言わないなら、この世界システムごと、その傲慢な首を斬り伏せるだけだ」

 黄金の光は今や、復讐と執着の黒泥に染まり、彼の振るう聖剣は「神域への鍵」を無理やり抉り出すための解体包丁へと成り下がっていた。

 三人はそれぞれの絶望を原動力に、ついに禁忌の術式を完成させる。それは、人の身でありながら神域の最深部――魂の処理場である**『冥枢めいすう』**へと攻め入るための、宣戦布告であった。

■ 再雇用の論理:【魂の強制回収】

 その頃。三人の狂乱も、崩壊しかけている世界の悲鳴も届かない、絶対的な静寂と無機質な規律に包まれた場所があった。

 そこは、生と死、存在と無が数式としてのみ処理される、神域の最深階層。

 ルカの魂は、ガル・ムール平原で散った瞬間、本来ならば宇宙の因果の海へと還元されるはずだった。しかし、神域のシステムはそれを拒絶した。ルカが最後に行った「一万二千五百件の独断処理」と「世界の強制存続」。これらがあまりにも膨大かつ緻密な「改ざん」であったため、彼自身がシステムにとって、削除することも還元することもできない「致命的な、かつ有能なコード」として認識されたのである。

 ルカの意識が浮上したとき、彼は見覚えのある、しかしより巨大で冷徹な「オフィス」の椅子に座らされていた。

 どこまでも続く灰色の書架。積み上げられた膨大な因果の羊皮紙。そして、淡々と響く「ペンの走る音」だけが支配する空間。

「……目覚めたか。下級事務官ルカ。いや、もはやその肩書きは適当ではないな」

 正面に座る「何か」が、ひどく面倒そうに声をかけた。

 それは人の形を模してはいたが、顔の部分には目も鼻もなく、ただ巨大な**『承認完了』の紅い印章が皮膚そのものに刻まれている。神域の最高意思決定機関、最高監査官――通称、『支配役エグゼクティブ』**。

「貴様の行った行為を精査した。……本来ならば、神の演算を妨げた罪で魂を完全に粉砕し、永遠の無へと処すべきところだ。だが、問題が発生した」

 支配役は、手元の端末に映し出された地上の映像を、ルカの前へと突き出した。そこには、ルカを求めて狂い、世界を内側から食い破ろうとしている三人の主役たちの姿が、真っ赤な警告アラートと共に示されていた。

「これを見ろ。貴様が中途半端に生存させた『バグ』どもが、貴様という執着点を失ったことで暴走し、システム全体を物理的に破壊しようとしている。貴様が死んだことで、世界の帳簿の辻褄が完全に崩壊したのだ」

 ルカは、実体を持たないぼんやりとした霊体のまま、自身の欠けた指先を見つめた。

「……。

 ……。

 ……つまり、僕が死んでいること自体が、現在の神域における『最大の未処理案件』だと言うのですか」

「その通りだ。貴様の死(退職)は、神域にとって致命的な損失と混乱を招いた。ゆえに、神域理事会は以下の裁定を下した」

 支配役の顔に刻まれた印章が、不気味に赤く、激しく発光する。それは契約の強制執行を意味していた。

「本日付で、貴様の免職処分を取り消し、**『特例・因果管理局長』**への昇進を命じる。

 任務は、地上にて暴走を続ける三人の『特異個体』を速やかに鎮圧し、世界の計算式を再び正常な管理下に置くこと。……断る権利はない。貴様の魂の所有権は、既に神域によって『永久リース』として登記された。貴様に許されるのは、仕事に戻ることだけだ」

 ルカの右手に、かつての安物の羽根ペンとは比較にならないほど重く、神域の権能を直接物理化させた、黒い輝きを放つ「局長専用の万年筆」が、肉体の一部であるかのように融合していく。

「……。

 ……。

 ……。

 ……はあ。……どうやら、僕には『安眠』という福利厚生は、死後の世界にすら用意されていないようですね」

 ルカは深く、深く溜息をつき、それから事務員としての、完璧に冷徹な「仕事の顔」を張り付けた。彼は立ち上がり、新しく支給された漆黒の局長服の襟を正す。

「了解しました。……管理番号『三人の主役による反乱』。……これより、因果管理局長ルカが、直接地上に降臨し、執行わからせます。……定時までに終わればいいのですが」

 神域のオフィスに、再起動リブートを告げる冷たい鐘の音が鳴り響いた。

 それは、世界を救った男が、今度は世界を「統制」するために――自分を愛する者たちの前に、非情な「管理者」として再臨する合図であった。


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