第7話:三つの檻と一つの影(乱戦編)
ガル・ムール平原の北端、フェルン村と呼ばれた場所の空間定義は、今や物理的な限界を超えて剥離し、世界の「記述そのもの」が剥き出しになっていた。
現場監査官ザキエルが振るう鈍色の巨大な鎌は、空を斬るたびに物質を構成する「存在理由」を無機質な数式へと分解し、世界の裏側を白日の下に晒していく。宙に舞う瓦礫は、重力という法を無視して虚空に固定され、白黒の幾何学的なノイズとなって激しく明滅していた。
その崩落と消滅の渦中、三つの「暴威」が衝突し、因果の火花が戦場を蹂躙する。
■ 三極の猛攻:【歪んだ忠誠の形】
「――邪魔よ。その男は、わたくしの隣で永遠に従事すべきなのだから!」
ファルマの咆哮が、大気を引き裂き、雷鳴となって戦場を震わせる。彼女の背後に展開された帝国軍第一機甲師団――その数百体の魔導機甲兵たちが一斉に放った熱線は、空を真っ赤に焼き、ザキエルの展開する「絶対監査障壁」に正面から直撃した。それは洗練された魔術の術式などではない。独占欲を燃料として出力される、アイリス帝国の国力そのものを叩きつけるような凄まじい物理的質量であった。
「いいえ、ルカ様をこれ以上、不純物に汚させはしません。わたくしの茨の中で、安らかに永劫の『保留』を享受するのです……!」
セレスティーナの指先から、黒い茨が血管のように拍動しながら溢れ出した。それはザキエルの「存在定義」を内側から腐食させ、解体するための、祈りという名の呪詛。黒い茨がザキエルの不可視の防護膜に触れるたび、神域の守護が「脆弱なデータ」へと書き換えられ、その殻を安物の紙のように脆く剥いでいく。
「どけ……。あんたたちが何を望んでようが知ったことか。俺は、あの人をこの地獄から連れ戻す。……ただ、それだけだッ!」
黄金の光を帯びたアルトが地を爆ぜさせて踏み込んだ。一年前の迷いある剣筋はもはやない。あるのは、立ちはだかる全ての因果を強引にこじ開ける「修羅の軌跡」。聖剣が振り下ろされるたび、世界は視界を奪うほどの黄金に包まれ、ザキエルの存在を削り取っていった。
■ 混沌の分析:【管理官の冷徹】
三人の攻撃は絶大だが、その根底にあるのは「ルカという唯一の承認」を奪い合う独善的なエゴだ。互いの魔圧が干渉し合い、本来ならば神域の使いを屠るはずの熱量が、非効率な不協和音となって霧散していた。その混乱の爆心地。ルカは死に至るほど冷静な瞳で、その乱雑さを「整理すべき山積みの書類」として眺めていた。
「……極めて、非効率です。これでは定時(消滅)までに、本件の処理が終わりません」
ルカは震える右手で、虚空に流麗な手つきで「承認」の印を刻んだ。
「……本件、管理番号『フェルン村・一括清算案』に付帯条件を追加。アルト君の初撃に対し、セレスティーナ様の呪詛を『同期承認』。……並行して、ファルマ帝国の全砲撃を、対象を一点に固定するための『物理的境界線』として事後承認します」
ルカが折れたペンの芯を一閃させた瞬間、バラバラに散っていた三人の殺意が、見えない因果の糸によって強制的に連結された。アルトの黄金の軌道の中をセレスティーナの茨が蛇のように滑り込み、ザキエルの傷口へ呪詛を流し込む。後退しようとした背後には、ファルマの砲撃が「回避不能の壁」となって立ち塞がった。
「な……!? 攻撃の因果が……強制的に連結されているだと!? 下級事務官ごときが、神域の執行を逆利用し、優先順位を書き換えるなど……!!」
■ 因果の狩猟:【法則の断罪】
だが、爆轟が止んだ直後に響いたのは、背筋を凍らせるような**「数式の嘶き」**だった。
「……なるほど。元事務員風情が、下等生物の情念を束ねて抵抗するか。だがルカ、貴様は忘れているようだな。この世界の理を記述しているのは、我ら神域だということを」
土煙を割り浮上したザキエルの全身から、無数の「計測線」が放射される。彼が指を鳴らすと、帝国の熱線も、黄金の残光も、茨さえもが空中で**「静止した文字列」**へと変換され、砕け散った。
「行動予測――完了。これより、戦域の『仕様変更』を開始する」
ザキエルが鎌を横一文字に薙ぐ。それは肉体を断つ刃ではなく、座標の「存在許可」を取り消す理不尽な抹消だ。アルトの足元の地面が消失し、振り下ろした聖剣の重量がザキエルの指先一つで「十万倍」へと書き換えられる。
「が……あ、ああああッ!」
自身の武器に押し潰され、アルトの膝が地面を砕く。
「聖女、貴様の計算式は古すぎる」
ザキエルが「因果の断絶壁」を記述するだけで、セレスティーナの呪詛はすべて自分自身へと反射された。ファルマが命じた斉射も、ザキエルの前で「花びら」へと事象の定義を書き換えられ、虚しく空を舞う。
■ 絶望のチェイス:【理不尽な掃討】
ザキエルが虚空を歩む一歩ごとに、周囲の風景が「未定義(NO DATA)」の白い空間へと塗り潰されていく。
「アルト。貴様の聖剣は私の前では『ただの鉄塊』だ。……承認を却下する」
ザキエルの鎌が振り下ろされる。防ごうとした聖剣はガラス細工のように脆くなり、刃がボロボロと崩れ始める。
「セレスティーナ。貴様の命は一年前の負債だ。……即時返済を命じる」
彼女の心臓の鼓動が「停止」の状態へと上書きされ、彼女は血を吐きながら崩れ落ちた。
三人の主役たちが、初めて「届かない絶対的な壁」に絶望し、顔を歪める。ザキエルは冷酷に、最期の「一括消去」を宣言した。
「全個体、存在確率をゼロに設定。……さらばだ、ルカ。貴様が愛したこの出来損ない共と共に、塵へ還れ」
■ 反撃の兆し:【管理官のカウンター】
ザキエルの大鎌が、次元ごと三人を断ち切ろうとしたその瞬間。
――カチリ、と。
戦場に、冷たく、そしてどこか懐かしい「ペンのノック音」が響き渡った。
「……ザキエル。貴様の処理は、あまりにも『強引』過ぎます。予算(因果律の総量)を無視した無理な書き換えは、必ず、致命的なエラーを誘発する」
霧散しかけていたルカの影が、強烈な発光と共に実体感を増していく。その手には、ザキエルが投げ捨てたはずの「拒絶された因果」が、一束の書類のような光となって握られていた。
「事後承認――付帯条件。ザキエルによる『仕様変更』を、僕への『過剰接待』として逆受理します。……これより、彼らの受けたデバフを、すべて貴様への『残業代』として一括返済する」
ルカの宣言と共に、アルトの剣が、セレスティーナの茨が、ファルマの魔力が――ザキエルが書き換えたはずの法則を強引に引き千切り、かつてない密度で再構築され始めた。
そして。ルカの背後に、彼が一年間、死の間際まで救い続けた「一万二千五百人の死者の叫び」が、巨大な実体となって顕現しようとしていた。




