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『有効化、保留中』  作者: 月見酒
『欠勤する救世主、あるいは神域の最終決算(エンドロール)』
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第6話:廃棄された村の生存記録


 ガル・ムール平原の北端に、地図から消えかかった「フェルン村」という名の墓標がある。

 そこは一年前、ルカが『流行病による全滅』という神域から下された確定済みの未来を、強引に「検疫期間の延長および再調査」という名目で書類の底へ沈めた場所だった。ルカがデスクに座っていた頃、その村は彼のペン先一つで、死神の目から隠された「灰色のシェルター」として機能していた。

 だが、今。その法的な防壁は消失し、積み上げられた負債は利子を付けて村を襲っていた。

 本来一年前に絶たれているはずの村人たちの命。それが監査官ザキエルの放つ「清算の光」によって、因果の矛盾を正すようにして次々と粒子へ還元されていく。家畜が鳴き声を上げる暇もなく消え、老人が孫の手を引いたまま、その指先から砂のように崩れ落ちていく。

「……計算が合わない。ここには三百二十名の『死者』が記録されているはずだ。なぜ、まだ動いている個体がいる? 帳簿システムにこれ以上の誤差を残すことは、私の誇りが許さん」

 上空から舞い降りた現場監査官ザキエルが、鈍い銀光を放つ大鎌の石突を地面に叩きつけた。

 その瞬間、物理的な衝撃を超えた「存在の否定」が波動となって広がり、朽ちかけた家屋が、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、砂となってサラサラと崩落していく。

■ 灰色の防波堤:【事後承認の限界と献身】

 村の広場。崩れ落ちる瓦礫の下、逃げ遅れた一人の少女が、恐怖に目を見開いたまま立ち尽くしていた。

 その彼女と、死の光を振り撒くザキエルの間に、その「影」は忽然と立ちはだかった。

 ルカである。

 彼の輪郭は、先ほどの兵士カイルを救った際よりもさらに透き通り、今や背景の燃える瓦礫がその体を通してはっきりと視認できるほどに薄い。存在確率(HP)は、もはや一桁を切っているだろう。それでも、彼は震える右手を虚空に掲げた。

「……事案番号八二二。フェルン村の清算。……却下します。再審理を……請求……」

 ルカの声は、もはや空気に溶け、実体を伴わない概念の残響に近かった。

 しかし、彼が指先で虚空に引いた、たった一本の「灰色の線」。それが、ザキエルの鎌から放たれる「事象消滅の波動」を物理的に堰き止めていた。神域の執行を、一介の事務員の『個人的なこだわり』が上回った瞬間だった。

「ルカ、貴様……。その掠れた魂で、まだ神域の帳簿ルールを汚し、我々の仕事を増やすつもりか! 貴様が救ったこの村人は、本来なら一年前に苦しまずに済んだはずの『余剰』なのだ。それを生かし続け、さらに醜い執着まで育て上げるとは……万死に値する!」

 ザキエルが咆哮し、跳躍した。

 重力さえも「清算」されたような超高速の刺突。巨大な大鎌が、ルカの「存在確率」ごと空間を縦に断裁せんと振り下ろされる。

 ルカには、もはや防ぐ術も、避ける体力も残されていない。一万二千五百件の保留案件、そのすべての重みが、ザキエルの刃という形をとって、ルカ自身の魂に「支払いの請求」として返ってこようとしていた。

 ――だが、その絶対的な死の刃が、ルカの「影」に届くことはなかった。

■ 黄金の介入:【修羅の再会】

 「――俺の前に、勝手に現れて……勝手に消えようとするなッ!」

 天地を揺るがす凄まじい衝撃波と共に、黄金の閃光がザキエルを真横から弾き飛ばした。

 轟音。爆風。立ち込める土煙の中から、大地を力強く踏みしめ、聖剣オルフェウスを正眼に構えたアルトが姿を現す。

 聖剣から溢れ出す闘気は、ザキエルが展開した「監査領域」を力ずくで書き換え、村に希望という名の新たなノイズを撒き散らしていた。アルトの瞳はかつての純朴さを失い、充血し、狂気的な熱を帯びている。彼は、弾き飛ばされた監査官には一瞥もくれなかった。その視線は、ただ一点。背後に立つ、今にも消え入りそうな「灰色の影」――ルカだけを射抜いていた。

「ルカ、さん……。やっと、やっと捕まえた……。もういい、もういいんだ。その書類ペンを置け。あんたが救おうとした奴らも、世界も、全部俺がこの剣で守りきってやる。だから……俺のそばにいろ」

 アルトが震える手を伸ばす。慈愛と独占欲が混ざり合った、歪な救済の手。

 しかし、その指先は、ルカの肩を掴む直前で虚しく空を切り、霧のような体を通り抜けた。

 ルカは悲しげに目を伏せ、ゆっくりと首を振る。

「……アルト君。君に守られることは、僕の『職務内容アイデンティティ』には含まれていないんだ。……僕は、君が傷つかないように裏で調整する側の、ただの……事務員なのだから」

「ふざけるな! そんな仕事、俺が、俺たちが全部壊してやったんだ! あんたはもう、自由なんだよ!」

■ 三つ巴の開戦:【狂騒のグランドクロス】

「黙れ、バグ共が! まとめて一括削除、ゴミ箱行きだッ!」

 数百メートル先まで吹き飛ばされていたザキエルが、背中の六枚の鋼鉄翼を限界まで広げ、真の姿を現した。彼の背後には、神域の演算回路を直結させた巨大な「断裁機ギロチン」の幻影が浮かび上がる。それは一つの村どころか、大陸の半分を削り取るほどの「清算」の予兆だった。

 だが、その破滅の予兆さえも、後方から迫る二つの「狂気」によってかき消される。

「ルカ様を返せえええええええ!! 貴様のような無機質なガラクタが、あの方に触れていいはずがありませんわ!」

 空を真っ黒に染め上げたのは、セレスティーナの放った「灰の使徒」と黒い茨の雲。彼女の声は増幅され、村全体を呪詛の波で飲み込んでいく。

「その男はわたくしの、帝国の所有物よ! 神の使いか何か知らないけれど、わたくしの許可なく『処分』なんてさせないわッ! 第一機甲師団、全弾斉射ッ!!」

 地平線の向こう側から、ファルマが率いる黄金と鉄の軍勢が、地響きを立てて現れた。数百門の魔導砲が、一斉にザキエルへと狙いを定める。

 勇者、聖女、皇帝。そして神の使い。

 かつてルカが、その孤独なデスクの上で、身を削り、徹夜を重ねて守り抜いた「子供たち」が。

 今度はルカというたった一つの『景品』を奪い合うために、互いの喉笛を狙い、世界を再崩壊へと導く――史上最悪で、最も贅沢な大乱戦が、廃棄された村の瓦礫の中で幕を開けた。

 ルカは、自分を求めて狂う彼らを見つめ、震える手で、もう一度だけ折れたペンの芯を握り直した。

 自分を愛してくれた彼らを、これ以上壊さないために。

 ……彼は、自身の消滅さえも「保留」し、物語の結末を書き換えるための『最終残業』の決意を固める。


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