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『有効化、保留中』  作者: 月見酒
『欠勤する救世主、あるいは神域の最終決算(エンドロール)』
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第5.6話:狂騒の進軍、あるいは三色の猟犬


 アルトが手にした「芯」から放たれた灰色の共鳴。それは物理的な音速を超え、因果の糸を激しく震わせる不可視の波動となって大陸全土へ伝播した。一年前、ルカという防波堤によって「保留」されていた三人の情念は、その微かな残り香に触れた瞬間、沸点を超えて溢れ出した。

 それは世界を清算せんとする監査官の白い光よりも早く、鋭く、彼女たちの執着の核心を射抜いたのである。

■ 帝国軍機甲師団:【皇帝の親征と焦熱の執着】

「……全軍、停止ハルト

 アイリス帝国、北方の永久凍土が広がる演習地。地響きを立てて進軍していた数百体の**魔導機甲兵ゴーレム**が、ファルマの一声で、まるで時間が止まったかのようにピタリと動きを止めた。

 ファルマは、龍の意匠が施された巨大な装甲騎馬車の上に立ち、懐で皮膚を焼かんばかりの熱を放つ「羽根ペンの持ち手」を震える手で握りしめた。彼女の紅蓮の瞳は、はるか南方の空、因果のオーロラが最も激しく渦巻く一点を射抜いている。

「……見つけた。見つけたわよ、不遜な事務官」

 彼女の声は歓喜に震え、同時に凍り付くような支配欲に満ちていた。ファルマにとって、ルカは自分の人生を勝手に「保留」し、自分の目の前から勝手に「消滅」した、万死に値する裏切り者である。だが同時に、この血塗られた帝都で唯一、自分を「王女」という役割から解放し、一人の少女として守り抜いた、代えの利かない所有物でもあった。

「陛下、ガル・ムール平原には現在、正体不明の『白い光』が降り注いでおります! 偵察魔導具によれば、空間そのものが清算され、あらゆる物質が消滅しているとの報告が……。これ以上の南下は危険です!」

 跪く将軍の進言を、ファルマは一瞥もせずに切り捨てた。彼女の周囲の空気は、溢れ出す魔力によって陽炎のように揺らぎ、降り積もった雪は一瞬で蒸発して、乾いた大地が剥き出しになる。

「そんなこと、わたくしの知ったことではないわ。神だか監査だか知らないけれど、わたくしの持ち物を勝手に『消去』しようなんて……。身の程をわきまえなさい。ルカを傷つける権利があるのは、この世界でただ一人、わたくしだけよ」

 ファルマは右手を高く掲げ、冷酷な進軍の号令を下す。

「魔導機甲師団、第一から第五まで全機リミッター解除。最大出力で南下しなさい。……邪魔な『光』は全て焼き尽くす。あいつを捕らえ、わたくしの傍らで一生、終わらない残業ごようを命じてやるわ」

 帝国の鉄の軍勢が、地平線を黒く塗り潰す波となって、ガル・ムールへとその針路を向けた。

■ 灰の使徒:【聖女の巡礼と泥濘の愛執】

 同時刻、南方の原始の密林。

 セレスティーナは、異様な沈黙を保つ信者たちの群れ――「灰の使徒」の先頭を、裸足で歩んでいた。彼女の手の中で、かつてルカから預かった「羽根ペンの尾羽」が、今や黒い炎を上げてのたうっている。

「ああ……ルカ様、そんなに激しく鳴かないでください。わたくしの胸が、貴方の音で壊れてしまいそうですわ」

 彼女が優しく、そして狂おしい手つきでペンを撫でると、周囲の巨大な樹木が瞬時に腐食し、道なき道に黒い茨の絨毯が形成されていく。彼女に従う信者たちは、もはや自我を喪失し、ルカを神として再構築するための「生きた資材」と化していた。彼らの瞳には光がなく、ただセレスティーナという窓を通じて、失われた「灰色の救済者」だけを見つめている。

「皆様、急ぎましょう。ルカ様が、悪い狼(監査官)や、下賎な泥棒猫ファルマに怯えていらっしゃいます。可哀想な、わたくしのルカ様……。今度こそ、わたくしの祈り(のろい)で、貴方を永遠の静寂の中に閉じ込めて差し上げますわ」

 セレスティーナが地を蹴ると、その背後から無数の影が飛び出し、昼の空を黒いベールで覆い尽くした。それは慈愛という名の執着を纏った、神の清算さえも汚濁で飲み込もうとする、狂信的な教団の先遣隊であった。

■ 三つ巴の収束:【因果の激突点】

 黄金の閃光を放ち、地を駆ける勇者の憤怒。

 空を黒く染め、全てを泥濘に沈める聖女の慈愛。

 大地を揺らし、鉄の規律で全てを焼き払う皇帝の支配。

 三つの歪なベクトルが、ガル・ムール平原という一点に、凄まじい速度で収束していく。それぞれの陣営が抱く想いはもはやかつての絆ではなく、欠落した自己を埋めるための剥き出しの飢餓感であった。

 その中心地、因果が最も薄くなった空間で、監査官ザキエルは巨大な鎌を振り上げ、不快そうに空を見上げた。

「……バグが、三つ。いや、四つか。下等生物の分際で、執行のオーダーに抗うか」

 ザキエルは、自身の清算を邪魔する「想定外の熱量」に対し、冷酷な殺意を研ぎ澄ませる。彼はまだ気づいていなかった。かつて自分が「無能な下級事務官」と見下していたルカが、その背信的な保留によって、これほどまでに凶悪な「物語の怪物」たちを育て上げていたことに。

 一万二千五百件の負債を抱えた世界は、今、三人の主役という「史上最悪の猟犬」たちを呼び寄せ、神域の管理者をも巻き込む破滅的な大乱戦グランドクロスへと突入しようとしていた。


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