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『有効化、保留中』  作者: 月見酒
『欠勤する救世主、あるいは神域の最終決算(エンドロール)』
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第5.5話:修羅の歓喜、あるいは残り香の追跡


 黄金の閃光がガル・ムール平原の澱んだ大気を真一文字に切り裂いた。

 それはかつて民衆が仰ぎ、希望の象徴として称えた輝きではもはやない。抜身の刀剣が放つ、周囲の酸素を焼き尽くし、因果の不純物を力ずくで排除しようとする、あまりにも暴力的で鋭利な輝き。それが「勇者」アルトの現在地だった。

 彼が戦場に降り立ったとき、そこには本来「生者」と呼べるものは存在しないはずだった。神域から遣わされた監査官ザキエルによる広域清算――この地の因果を強制的にゼロへと戻す執行――が完了した直後であり、理屈の上では、この荒野はただの「虚無」へと還っているはずの場所なのだから。

 だが、その物理法則と神の定めた数式を嘲笑うように、一人の「生命」がそこにあった。

 泥を啜り、腹部から沸騰するような因果の余熱を上げながら、あり得ない「生」を繋ぎ止めている一人の兵士。その存在こそが、この世界に生じた最大級のバグであった。

■ 違和感という名の再会

「……生きているのか。この、清算の嵐の中で」

 アルトの声は低く、地底を這う唸りのように掠れていた。

 かつての少年の快活さは微塵も残っていない。重すぎる聖剣オルフェウスを杖のように突き、泥にまみれた兵士カイルを見下ろすアルトの瞳は、感情を切り捨てた修羅のそれだった。

 だが、カイルの胸元――その指先が必死に握りしめていたものを見た瞬間、アルトの呼吸が劇的に止まった。

 世界から色彩が消え、アルトの視界にはその「一点」だけが極彩色に浮かび上がる。

 カイルの指が握りしめていたのは、一本の「芯」。

 ルカが消滅した際に残した、あの折れた羽根ペンの内側に隠されていた、使い古された黒い芯の欠片。そこには、ルカが事務官として積み上げてきた、気が遠くなるほどの実務の重みが封じ込められていた。

「それは……どこで手に入れた。……答えろ、死にたくないなら」

 アルトが膝をつく。その動作は、神への祈りにも似ていたが、同時に獲物の喉笛を狙う獣の予備動作でもあった。聖剣から放たれる黄金の闘気がカイルの皮膚を焼き、重圧で地面が数センチ沈み込む。

 カイルは朧気な意識の中で、死の間際に見た「灰色の影」を思い出し、震える唇を開いた。

「……灰色の、人が。……これを、あんたに、渡せって……。救うべき、勇者に……」

■ 修羅の歓喜:【沸騰する執着】

「……っ、ああ、ああああ、ああああああ……!!」

 アルトの口から漏れたのは、咆哮とも、嗚咽とも、狂気ともつかぬ歪な笑い声だった。

 彼はカイルの手から奪い取るようにしてその芯を掴み、自身の額に強く押し当てた。

 

 伝わってくる。微かな、しかし決定的な「事務的つめたい」な魔力の残滓。

 一年前、自分を欺き、世界の地獄をたった一人で肩代わりし、最後には音もなく消えていったあの男が、たった今、この場所に存在していたという「証拠」。

「生きてる。……生きてるじゃないか、ルカさん。あんた、まだそんなボロボロの体で、一人で『残業』を続けてるのかよ。……こんな、壊れきった世界で!」

 アルトの瞳に、黄金の魔力が狂ったように渦巻く。その輝きはもはや聖者のものではなく、呪いにも似た執念の光だ。

 彼にとって、この芯から漂う僅かな気配は、砂漠で得た一滴の水よりも価値があった。ルカがカイルを救うために行使した『事後承認』の痕跡を聖剣が感知し、主の狂気に呼応するように激しく共鳴ハウリングを始める。

「救わせてやる。……次は、絶対に。あんたが俺たちを『保留』して、勝手に去ったみたいに。今度は俺が、あんたの消滅を『保留』してやる。……地獄の底まで追いかけて、魂の一片まで引きずり戻してやる。……逃がさない。二度と、絶対に逃がさない……!」

 その笑みは、救世主のそれではない。最愛の獲物を追い詰める、執念深い追跡者の笑み。

 アルトは芯を握りしめた拳から血を流しながら、空を仰いだ。その視線の先には、自分たちからルカを奪い、消し去ろうとする監査官たちの「白い光」がある。

■ 動き出す狂気:【三極の共鳴】

 アルトが芯を掲げ、その魔力を増幅させた瞬間、遠く離れた地でも決定的な異変が起きた。

 聖教団の本山、黒い茨に囲まれた最奥で。

 帝都アイリス、焦熱に包まれた皇帝の執務室で。

 セレスティーナとファルマが持つ羽根ペンの破片が、呼応するように激しく共鳴し、空間そのものを歪めるほどの熱を発したのだ。

「……見つけましたわ。ルカ様。今度こそ、貴方を私の祈りで縛り上げて差し上げます」

「……見つけたわ、不敵な事務官。わたくしから逃げおおせると思ったら大間違いよ」

 三人の「主役」たちの狂気的なベクトルが、ガル・ムール平原という一点に収束し始める。それはもはや友情や信頼といった言葉で片付けられるものではなく、世界を滅ぼしてでも「自分たちの中心」を取り戻そうとする、剥き出しのエゴの衝突であった。

 

 カイルは、自分を救ったルカを追うアルトの背中を見て、言葉にできない恐怖を感じていた。

 自分は救われた。死ぬはずだった運命を、あの灰色の男に書き換えてもらった。

 だが、あの男を、この黄金の修羅たちに引き合わせることが、果たして本当に「救済」になるのだろうか。それは救いではなく、より深い、終わりのない地獄への招待状ではないのか。

 

 アルトはカイルを一瞥もせず、ただルカが消えた空間に残留する「灰色の匂い」を辿るように、再び黄金の閃光となって走り出した。

 その背後、空が音を立てて割れ、巨大な鎌を携えた監査官ザキエルが、自身の清算を邪魔されたことへの冷酷な殺意とともに、その姿を現そうとしていた。


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