表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『有効化、保留中』  作者: 月見酒
有効化、保留中:静かなる事務員の「一万二千五百件」の拒絶
12/39

第3.995話:未送信の走馬灯、あるいは境界線上の放課後


 聖剣オルフェウスが完全に引き抜かれた瞬間、放射された光は物理的な破壊を超え、観測者であるルカの意識を「存在」と「非存在」の境界線へと押し流した。

 爆音と熱狂が遠ざかる。

 ルカの視界を埋め尽くしたのは、血塗られた戦場でも、崩壊する王都でもなかった。

■ 幻影の情景:【夕暮れの図書室】

 そこは、どこか懐かしい、前世の記憶とこの世界の断片が混ざり合った奇妙な空間だった。

 夕日に照らされた古い木造の教室。机の上には、無機質な事務書類ではなく、読みかけの物語本と、三人分の飲みかけのジュースが置かれている。

 窓の外からは、争い合う軍勢の足音ではなく、遠くで練習に励む運動部の掛け声と、穏やかな潮騒が聞こえていた。

「……遅いじゃない、ルカ。また一人で残業してたの?」

 窓際で、ファルマが呆れたように笑っていた。

 彼女は王冠も反逆の炎も持たず、ただの少し気の強い少女として、窓から差し込む夕光に目を細めている。その隣では、セレスティーナが黒い呪印のない真っ白な手で、丁寧に淹れた茶を差し出していた。

「ルカ様、あまり根を詰めてはいけませんわ。ほら、今日はアルトさんが、街で評判の菓子を買ってきたのですから」

 教室の扉が勢いよく開く。

 そこには、血に汚れ、英雄の重圧に歪んだ姿ではない、屈託のない笑顔を浮かべたアルトが立っていた。彼は聖剣の代わりに、紙袋いっぱいの焼き菓子を抱えている。

「よう、ルカ! 今日こそは仕事なんて忘れて、みんなで遊びに行こうぜ。……ほら、そんな顔すんなよ。世界なんて、放っておいたってどうにかなるさ」

■ 保留された「幸福」の正体

 ルカは呆然とその光景を見つめていた。

 それは、ルカが彼らの因果をアーカイブし続け、一万二千五百回も「不幸」を回避した果てに、無意識下で願い続けていた**【究極の保留】**の形だった。

 誰にも宿命が訪れず、誰もが特別な存在にならず、ただの「友人」として笑い合える、停滞した、しかし温かい袋小路。

 ルカの頬を、一筋の涙が伝う。

 事務員としての彼は、この光景を守るために全てを犠牲にしてきたのだ。

 アルトを勇者にさせず、セレスティーナを聖女にさせず、ファルマを女王にさせなければ、この放課後は永遠に続くはずだった。

「……。ああ、……そうか」

 ルカは、幻影の中のアルトが差し出した菓子に、手を伸ばしかけて止めた。

 

 今、この幻影の向こう側で、アルトは血を吐きながら聖剣を抜いている。

 セレスティーナは泥にまみれ、自分の命を削りながら世界を呪っている。

 ファルマは孤独な玉座への階段を、怒りと共に駆け上がっている。

 

 彼らが選んだのは、この「穏やかな停滞」ではなく、ルカの手を振り払ってでも手に入れたかった「痛みの伴う現実」だ。

「……ごめん。僕は、行かなくちゃいけない」

 ルカがそう告げた瞬間、夕暮れの教室が、砂の城のようにサラサラと崩れ始めた。

 ファルマの不敵な笑みも、セレスティーナの穏やかな手も、アルトの眩しい笑顔も、すべてが「保留されたデータの残滓」として、白い光の中に溶けていく。

「さようなら、僕の、……僕たちの、あり得たかもしれない平和」

■ 帰還、そして受領

 ルカの意識が、崩壊する王都へと引き戻される。

 

 目の前には、聖剣を抜き放ち、眩い光の柱となったアルト。

 その光に焼かれながら、ルカの「灰色の肉体」は完全に透明化し、粒子となって霧散していく。

 

 ルカは最後に、自分の胸元に手を当てた。

 そこにはもう、ペンも、台帳もない。

 あるのは、一人の人間として、彼らの物語を最後まで見届けたという、ひどく熱くて重い満足感だけだった。

「――案件、一二、五〇〇。……承認アクセプト

 ルカの意識が完全に消失する直前、彼は見た。

 光の中で自分を必死に探そうとする、三人の、震える瞳を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ