魔法と道具④
道は徐々に細くなり、風の温度が変わっていく。鼻を刺すような冷たさだ。
「ここから先は山番の管理区域だよ」
そこには山小屋があり、屈強な山番たちが焚き火を囲んでいた。
知り合いらしいゾラが事情を話すと、山番たちは驚きつつも真剣に頷いた。
「〈ビッグホーンの腸〉が欲しい? 物好きだな。……まあ、ここ最近目撃情報もある。気をつけろよ。あいつら気が荒いからな」
許可証をもらい、さらに奥へ。
森は深く、風音が低い。どこかで岩のひび割れるような音がした。
「アルブ、このへんで見たんだよな?」
「うん。あの谷間! 本当に大きかったんだよ……耳でわかったもん。空気の揺れがね、普通の動物と違ったの」
アルブが指差した先の谷間に行ってみたが、そこには何もいない。足跡らしいものも見つからない。
「どこいったんだろ……」
アルブの耳がぴくぴく動く。風の向きを読むように、谷の奥をじっと見つめた。
「……いない。たぶん、ここじゃない」
そこからさらに山道を登る。
やがて、岩が崩れて積み重なったガレ場に出た。
その時、ゾラがピタッと立ち止まり、ゾラが耳をぴくりと立て、尻尾の先だけを小さく揺れす。
「……ちょっと止まって」
「どうした?」
「下のほう……風に混じって、鉄と革の音がする。……誰か登ってきてる」
鉄の音。
あの“ウサギ狩り”のとき聞いた、あの嫌なガチャガチャという響き。
アルブが一瞬で耳を伏せる。
「……魔王軍?」
ゾラが小さく頷く。
「たぶんね。数は……2、3。山の見回りかもしれない。けど、どのみち、関わらないほうがいい」
俺の背がひやりと冷たくなる。
(……まだ、追われてる?)
ゾラが指差す。
「こっちの岩陰を上がろう。奴らの気配は下に降りていく。道を変えればやり過ごせる」
3人は声を潜めて別の道へ抜けて様子を見る。
隣ではアルブは耳を伏せ、ゾラは鋭い目をして警戒している。
彼らには俺にはわからない気配がわかるのだろう。
しばらくすると、魔王軍の兵の気配はいつの間にか消えたようだ。
「行ったね。見回りならどうってことないけど、アタイらみたいな〈半獣人種〉を見つけると、点数稼ぎしたがる奴らがいるからね」
――魔王軍。彼らは何が目的なのだろうか。街や村はあんなに平和なのに。
そんなことを考えていると、ゾラが何かを見つけたようだ。
「あった!」
ゾラがしゃがみ込み、地面に空いた穴を示す。
そこには、想像していたのよりも数倍の大きさの“くぼみ”が、斜面に向かって連なっていた。
「……これ、足跡か?」
「そう。たぶんビッグホーンの成獣で間違いないね」
思ったよりずっと大きい。
アルブが“食べられそうだった”と言っていたのも納得だ。
「気をつけるんだな。〈ビッグホーン〉は音に敏感だし、鼻も効くし、縄張り意識も強い。アンタたちは、見つかっても絶対うかつに近づいちゃダメだ。すぐに逃げて奴らが入れないような狭い岩陰に隠れるんだ」
「脅すなよ……」
ゾラの言葉に心臓の鼓動が変なテンポになる。
でも、ここまで来たら引き返すわけにはいかない。
さらにガレ場の奥へと進むと、突然――。
ザッ……。
岩陰からそれはぬっと立ち上がった。
肩までの高さは俺の2倍はあろうか。巨大な湾曲した角、岩に刻まれたような筋肉の塊。
「ひっ……!」
目の前に音もなくいきなり現れると息が詰まる。
アルブの耳が恐怖でぺたんと倒れた。
「〈ビッグホーン〉だ。――下がれ!」
ゾラが一歩前に出る。
その瞬間、〈ビッグホーン〉の前脚が地面を叩いた。
岩が砕け、細かい砂が舞う。
ドン――!!
突進。
山全体が揺れたように感じた。
「ゾラ!!」
俺が声をあげると、ゾラは横へ跳び、そのまま身をひねって短い弓を構える。
猫のようなしなやかな動き。息を飲むほど速い。
「――っらあ!」
矢が放たれた。
〈ビッグホーン〉の肩に深く刺さる。だが、怯まない。
さらに突進してくる。
「逃げろって言ったろ!」
ゾラが素早く岩陰へ滑り込む。〈ビッグホーン〉は方向を変え、ツノで岩を砕きながら暴れ回る。岩片が俺の頬をかすめた。
「アオ! こっち!」
アルブが俺の腕を引く。
アルブに促されるまま、俺は狭い岩陰に隠れる。
アルブは耳が震えているのに、それでも俺を守ろうとしてくれる。
「ゾラ、大丈夫か!?」
「心配してる暇があったら離れてろっての!」
ゾラが再び岩陰から飛び出す。
低い姿勢から、獣のようなステップで〈ビッグホーン〉の足元へ潜り込む。
ゾラが矢をつがえ、短く息を吸った。
その指先に――赤い火花が、ぱちんと跳ねた。
「……え、ちょ――それ……」
小さな炎はゾラの指にまとわり、矢に触れた瞬間、じゅっと音を立てて赤くなる。
「このくらいの“火”なら、問題ないだろ。矢も熱してやりゃ、通りがいい」
ゾラが地を蹴る。
「ここだッ!」
赤く熱された矢が放たれる。
空気が裂け、〈ビッグホーン〉の胸部に深々と刺さった。
そう思った次の瞬間、ゾラは目にも留まらぬ速さで動きを止めた〈ビッグホーン〉に近づき、とどめを刺していた。
巨体がゆっくりと地面に倒れ込む。
ドォン……。
「倒した……?」
呼吸を忘れたまま呟く。
ゾラは息をつき、刺さった矢を回収しながら言った。
「ま。こんなもんかな。ふぅ……さすがにデカいね。こりゃきっと腸も立派だよ」
「さ、さっきのは魔法? なのか?」
「ん? ああ。矢を焼いた火? そうだよ? じゃなきゃあんな分厚い〈ビッグホーン〉の筋肉に刺さらんっしょ。今回は『腸が必要』ってんで丸こげにするわけにもいかなかったからね。アタイは、魔法もできるし、弓も使えるし、こういう狩りは好きだし、悪くないよ」
アルブがほっと胸をなでおろす。
「よかった……アオ、ケガない?」
「だ、大丈夫……」
本当に怖かった。
でも、その恐怖の奥に、胸が熱くなるような感覚があった。
「……これは、冒険……なのか?」
アルブが笑った。
「うん。まだ“ちっちゃいほう”だけどね!」
山番たちを呼んで、〈ビッグホーン〉を解体してもらった。
〈ビッグホーン〉は手際よく巨大な腸や骨、皮、肉に分別されていく。
まさに『命をいただく』光景だ。
(きっといい音にするからな……)
「この腸なら、弦にしたらかなり強いぞ。どんだけデカい弓を作るんだ?」
「それに、こいつは喰っても美味いからギルドの連中に振る舞ってやるといい」
山番が言うのを聞きながら、俺は鼓動の余韻を感じていた。
さっきまでの恐怖と興奮が、まるで音楽のイントロみたいに続いていた。
こうして、使えそうな材料と防腐処理をした肉を馬車に積み込み、俺たちは〈ファルノヴァ〉へ戻ることにした。
はじめての冒険は怖くて、危なくて……でも、間違いなく胸が鳴っていた。




