魔法と道具③
俺は、アルブと〈猫人種〉のゾラと一緒に、いつの間にか北の山脈にいる。
乾いた風が頬を指し、ひゅうひゅうと鳴くその音は、雄大な景色に反して、どこかもの悲しげだ。
「なんでこうなった……」
胸の奥に、小さなため息がひとつ落ちた。
風がその“ため息の音”をさらっていく。
少し話を戻そう。
・
〈ビッグホーンの腸〉が必要――そこまでは決まった。
〈ビッグホーン〉は北の山脈にいる――うん。わかった。
〈ビッグホーン〉はアルブより大きい――うん?
〈ビッグホーン〉は暴れると手がつけられない――んん?
〈ビッグホーン〉を仕留めて、解体し、ここまで持ってこないといけない――それは……無理じゃね?
〈ビッグホーン〉を仕留めさえすれば、山番をしている人たちが解体は頼めるらしい。
問題は、その〈ビッグホーン〉を仕留める人間、つまり“戦える人間”がいないことだ。
「ヴォセムさん。北の山脈に行きたいんですけど……護衛、お願いしたいです」
ギルドカウンターの前でそう切り出すと、ヴォセムは分厚い腕を組み、渋い顔でうなる。
「悪いなアオ。今日はみんな出払ってる。〈街道の猛獣駆除〉や〈遺跡探索〉の依頼が重なっててな」
(……そういえば、異世界もののラノベでも、ギルドって“仕事の交差点”だったな。音楽スタジオみたいに、人が出て入り、空気が流れ続ける場所なのか)
カウンター奥から、鍋を洗う水音が聞こえる。
階段の上では宿泊者の足音が軋む。
なんだか、ギルド全体に一体感があって、ひとつの“リズム”になっている。
――そのリズムが、一瞬ふっと止まった気がした。
そのとき――。
――バタンッ!
扉が勢いよく開き、数名の冒険者がどっと帰還した。
大剣を肩に担いだ髭を生やした男。
片足を引きずる女戦士。
重そうな袋を抱える荷物持ち。
誰もが埃と汗にまみれ、声の調子が荒い。
「やっと戻れた……!」「今回はキツかったなぁ」「飯、残ってるか?」
武器を下ろす音が重く響き、それぞれが椅子にどかっと座る。
汗と土と鉄の匂いが混ざり、空気が濃くなる。
その“濃い空気”を割るように、軽い足音。
――ひとりだけ“空気の揺れ”の違う存在がいた。
黒い尻尾がすぅっと弧を描き、足取りが異様に軽い。耳はぴんと立ち、視線だけが鋭く動く。
一緒にいた髭男や女戦士の席にはつかず、ひとりカウンターにやってくる猫耳の女。
「ただいまー。……って、空気の臭い、ひど。ヴォセム、窓開けてよ」
他の冒険者が疲労に沈んでいる中で、ひとりだけまるで“帰宅途中の猫”のように余裕がある。
「おお、ゾラ、帰ってきたか! ちょうどいい!」
「は? 靴も脱いでないのに何さ。今日のは、みんなお荷物だし、つまんないし、お宝もろくなのないしで疲れたんだよ」
「ああぁ?」
片足を引きずってた女戦士が凄んで見せるが、ゾラは全く相手にしていない。
「まぁまぁ。ゾラ。良いところに来たよ。紹介するね。こっちは、歌を歌うアオ。今はヴォセムさんを手伝って皿洗いをしてるんだ」
「アオ。こっちは盗賊のゾラ。猫さんで耳がいいし、忍足が得意なんだ。狩りも上手」
「アタイは盗賊じゃねーし。トレジャーハンターだし。猫じゃねーし。〈猫人種〉だし」
「そんなゾラに、アオが頼み事があるんだ」
ゾラが軽く跳ねるように歩み寄ってくる。
その動きは、しなやかでまるで無駄がない。
――近づくたび、靴音がほとんどしない。空気の方が先に動く。まるで猫のようだ。
そして俺を見た瞬間、眉をひょいと上げた。
「この皿洗いの新入りが? 何、山に皿を洗いに行くのかい?」
(……言い返せないのがつらい。実際皿洗いだし……)
ゾラは俺を一瞬で“戦闘力ゼロ”と判断したようだった。
「アオが〈ビッグホーン〉を探してるんだ。素材が必要でな」
とヴォセム。
「〈ビッグホーン〉? この皿洗いが? ……いや、吹っ飛んで終わりだって」
ゾラはあきれたように鼻で笑う。
その瞬間、アルブが前に出て、耳をぴんと立てた。
「ゾラ! アオはすごいんだよ! “ウタ”で〈森犬〉を黙らせたんだから!」
「……ウタぁ?」
「うん! 本当に! 昨日の歌だって、酒場のみんな泣いちゃったんだから!」
ゾラは目を細くして俺を見る。
「皿洗いの新入りが……ウタ? で〈森犬〉を黙らせて? 酒場のみんなを泣かせた? なんだいそりゃ」
(俺の声なんて、大したものじゃないと思ってた。でも、アルブがこうして“届いた”って言ってくれると……なんというか……胸が熱い)
胸の奥で、小さく弦を弾いたみたいな震えが走る。
「ほんとなんだ……。その歌を、もっと良くしたい。みんなに届けたい」
俺はゾラの綺麗な瞳をじっと見つめた。
そんな俺を一瞥したゾラは尻尾をふわりと揺らし、鼻を利かせる。
「……ふーん。ま、いいけど」
そう言って、腰の短剣を抜き差ししながら確認する。
無駄のない、リズムのいい動き。
「アタイもつまんない仕事でイラついてたし、〈ビッグホーン〉はそこそこ強いし、いい運動になるし。せっかくだ。付き合ってやるよ。」
「ほんと!? ゾラが来てくれるなら安心だよ!」
アルブがぱぁっと笑う。
「勘違いすんなよ。アタイがボスだ。言うことは聞いてもらう。アンタらが途中でくたばったら、アタイがヴォセムに怒られるからね。アタイの言うことはちゃんと聞くんだ」
その軽口の裏に、“敵の気配を察知して逃げる習性” を持つ〈猫人種〉ならではの緊張感が見えた。
「ゾラたち〈猫人種〉はね、音や匂いがなくても遠くの危険に気づけるんだよ」とアルブ。
「そうそう。危なけりゃすぐ逃げる。ちゃんと生きて帰る。それがアタイの仕事でもある」
ゾラは耳をぴくりと動かし、ギルドのざわめきの中から必要な音だけを拾っているようだった。
他の冒険者が湯気を上げている中、ゾラだけが“静かに研がれたナイフ”のような冷気をまとっていた。
「じゃ、さっそく、出発しよっか。北の山脈でしょ?」
「あ、ああ……!」
「ヴォセム! 馬車借りるよ!」
・
で、今に至る。
こんな感じで、“俺たちの――”いや、“俺の――”か。“最初の、小さな冒険”が始まった。
ゾラの操る馬車であっという間に登山口につき、そこにあった山小屋で一泊した後、早朝から登り始め、ぐいぐいとゾラに引っ張られてかなりの山奥まで来てしまった。
音をつくるため。
音をもっと遠くへ届けるため。
それは、まだ誰も知らない未来のライブへつながる、ほんの一歩目だった。




