音楽ギルド・ナハトムジーク⑦
俺の魔法の修行は、翌朝、まだ暗いうちから始まった。
待ち合わせ場所にライラとサラサを伴って現れたヴィオレッタは外套を羽織り、短く言った。
「着いて来なさい」
それだけで、何の説明もなかった。
街外れにあるひときわ背の高い大木の前で、ヴィオレッタは立ち止まる。
「これがいいかしら。アオ。登りなさい」
「……この大木に? どこまで?」
「一番上まで。私がいいと言うまで降りてきてはいけないわ」
それ以上は言わない。
俺は幹に手をかけ、枝を探し、身体を引き上げた。
思ったよりも高い。
途中で、足場が細くなる。
枝の上で、止まる。
風が吹く。葉が擦れ合う音が、すぐ近くで鳴る。
高さが、じわじわ効いてくる。
足の裏が、木を掴めているか分からなくなる。
下を見ると、ライラとサラサはその場で空気を感じる修行をしているようだ。
「ヴィオレッタさん! 一番上に着いたみたいなんですけど!」
「わかっているわ。あなたは、私がいいと言うまでそこにいなさい」
昼を過ぎ、陽が傾き始めても、ヴィオレッタから声は掛らない。
「あの! まだですか?」
「何度も言っているけど、『私がいいと言うまで』よ」
西の山並みに太陽が掛かりそうな頃。鐘がなった。
「そろそろいいわよ。降りてらっしゃい」
その帰り道、ふたりは小さく話していた。
「……最初は優しいね」
「私たちのときなんか……」
「黒の、に、白の。何か言った?」
「い、いえ! 何でもありません!」
・
2日目は、火だそうだ。
「昨日は、体を使って大変だったでしょう? 今日はそんなに体は使わないわ」
ヴィオレッタは簡素な松明に魔法で火をつけ、俺に手渡した。
「この火を消さないように保ちなさい」
「……いつまで?」
「もちろん。私がいいと言うまでよ」
マジか。〈ソルガラシ〉みたいな坑道の中でも松明の火はすぐに燃え尽きた。何か別のものに移さないと無理だ。
しかも、外でそれをやるなんて。
俺は急いで枯れ木を集めて、それに松明の火を移して焚き火を始めた。
焚き火のコントロールも実は技術がいる。薪が燃えやすいように空気の通り道を作ってやりつつ、時に薪が燃えすぎないようにその通り道を狭めて燃えにくくする。
その絶妙なバランスが崩れれば、火は消えてしまう。
ゆらゆらと揺れる炎を見ながら、俺は、火のコントロールし続けた。
「火の扱いは慣れているようね」
「ええ。昔、こういうのはやっていたので」
・
3日目は、〈ファルノヴァ〉から少し離れた場所にある池に連れてこられた。
「その池に入れなさい」
俺がさっそく池に入ろうとすると――。
「何をしているの。全身よ。肩まで浸かりなさい」
皿洗いで慣れているとはいえ、まだ冷たい水だ。
「どれくらいですか?」
「私がいいと言うまでよ」
「また……」
俺は仕方なく服を脱ぎ、池に入る。
池の水が冷たすぎてだんだん感覚がなくなっていく。この体と水の境界が曖昧になって行く感覚。サウナの水風呂みたいだ。
そういえば、子供の頃はよく近くの川で水遊びをしたな――。
夕方、暗くなった頃にようやく「上がりなさい」と言われた。
ヴィオレッタは魔法で乾かしてくれたが、もはや自分が濡れているのか、濡れていないのかもよくわからない。
「懐かしいね。あれは私たちもやったね」
「そうだね。でも、真冬で、池は凍ってたよね」
ライラとサラサはヴィオレッタの修行を思い出して震え上がっていた。
・
4日目は、〈ファルノヴァ〉のはずれにある農地の近くに連れて来られた。
そこでヴィオレッタは俺にスコップを渡す。
「そこに穴を掘りなさい」
「どのくらいの穴ですか?」
「私がいいと言うまでよ」
なんなんだ。
しかし、ライラとサラサがヴィオレッタの後ろで心配そうにみているが、俺は逆らうこともできず、言う通りに穴を掘っていく。
土は重い。
場所によって、匂いが違う。このあたりは肥沃な土地でよく農作物も育つとアルブが言っていた。
そういえば、土に触るなんていつぶりだろう。元の世界でも、上京してからはほとんど触ってなかった気がする。
そして、陽が傾き始めた頃――。
「そろそろいいかしら」
ようやく終わる。掘った穴はかなり大きくなった。これでどんな修行をするんだ――。
そんなことを思っていたら、ヴィオレッタは信じられないことを口にした。
「それじゃ、今掘った穴を元どおりに埋めなさい」
「え……。それに何の意味が……」
「掘った跡が、分からなくなるまで戻しなさい。急がないと日が暮れるわよ」
俺の話なんかまるで聞いてない。
これ、どこかの国の刑罰じゃなかったか……?
無意味に思えるけど、これも修行なのだろうか。
俺はそう信じて、言われるがままに掘った穴を埋めていく。
連日の疲れでもう考えるのも面倒になってきていた。
ライラとサラサは心配そうにみていた。
「……あれはやったことない……私たちがやらされたら、泣いちゃうかも」
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5日目は広場に連れてこられた。
今日は凧揚げだという。
「これは、子供のおもちゃよ。使い方はわかるかしら?」
「え、ええ。たぶん……」
「そう。では。これを揚げなさい」
「まさか、これも……」
「もちろん。私がいいと言うまでよ」
(凧揚げなんて、子供の頃、正月に海岸でやって以来だな……。って、これ、風が無くなったら走れということか? 地味にめちゃくちゃキツいんじゃ……)
案の定、俺は1日中、風の向きに合わせて広場中を走り回っていた。
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こんな修行を日替わりで毎日続ける。
何の意味があるのかもわからなかったが、俺は言われるがまま続けた。
陽が出ているうちは魔法の修行、夜はギルドで練習とライブ。
そんな生活を繰り返して数ヶ月が過ぎたある日――。
・
その日、俺はいつものように修業を終え、疲れ果てていたが、ヴォセムにコックのベルンが休みと聞いて、手伝いに来ていた。
ベルンの代理で来たコックが俺に尋ねて来た。
「あれ。火はどこだ? おい。火がどこにあるか、知らないか?」
「あ。はい。どうぞ」
その時。指先で、ぱち、と何かが弾けた。
小さな熱。
気づくとコンロに火が着いていた。
「おお。ありがとう。助かるよ」
「いえ」
……ん? 心臓が、遅れて鳴る。
これって――。
その日の夜。皿洗いを終えた後、俺はヴィオレッタの元に急いだ。
「やっと出せたのね」
「はい」
「君が魔法を使えなかった理由は、単純よ」
歩きながら、続ける。
「君は、自然を知っていたけど、自然を感じていなかったわ。でも、自然は知識じゃない。私たちも自然の一部にすぎないの。もちろん、君はそれを頭ではわかっている。君は、とても多くの知識――この私が持たないものも持っているのは、この数ヶ月過ごしてみてわかったわ。私たちが使っている魔法の本質は、現象を理解し、それを再構築して再現すること。君に必要だったのは、自然を知識として捉えるのではなく、感じることが必要だったのよ」
指先にひとつずつ魔法を灯しながら、ヴィオレッタは続ける。
「木――、火――、水――、土――、風――、それに光――に、闇――。あなたは自然を感じたはずよ。これで魔法の修業を始める準備ができたわ。――普通は、ここで攻撃魔法や生活魔法を覚えてもらうのだけど……。君は違うわよね」
「はい」
「ふふふ。ここからが本番よ。どんな修行をしようかしら」
ヴィオレッタの笑顔がとても怖かったが、こうして俺は魔法の扉を開くことができた。
あとは、これを音楽にどうやって活かしていくかだ。




