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音楽ギルド・ナハトムジーク⑥

 それから数日間、〈ナハトムジーク〉の空気は、どこか落ち着かなかった。

 騒がしいわけではない。ただ、張り詰めている。


 何故か、〈魔女〉ヴィオレッタがいる。

 それだけで、空気の密度が変わる。


 彼女は毎日、決まった時間に姿を現した。

 赤い外套を羽織り、黒い服のまま。ヒールの音を鳴らしながら、音楽ギルドの奥へと進んでいく。


 目的は明確だった。

 〈モノクロ〉――ライラとサラサの魔法の基礎修行。


 それは、俺が想像していたようなものとは、かなり違っていた。


 詠唱もない。

 魔法陣もない。

 魔力を「溜める」感覚の説明もない。


 ヴィオレッタは、ただ言った。


「自分の中にある息を感じなさい」


 それだけだった。

 ライラとサラサは向かい合い、目を閉じる。

 深く吸って、吐く。


「空気が、体に入って、出ていく。体の中の隅々にそれを感じなさい」

「はい……」

「今日は、私がいいというまでそのまま」

 

 俺は、壁際でそれを見ていた。


 (魔法って、こんなものなのか?)


 もっと特別な修行で、才能がある選ばれた者だけが扱えるのだと思っていた。

 でも、彼女の説明は、驚くほど淡々としている。


「勘違いしている人が多いけれど、魔法は才能じゃないわ」


 ヴィオレッタは、こちらを見もせずに言った。


「もっと言えば、イメージできないものには仕えない。才能だけではどうにもならないものね」


 ライラが小さく首を傾げる。


「……じゃあ、才能って、いらないんですか?」

「もちろん、ゼロではないわ。でも、それはあなたたちの音楽と同じ。良い声、良い耳、良い指はあった方がもちろんいい。でも――見た所、音楽はそれだけじゃ成立しないのでしょう? 音に規則性があるわ。何か理論があって、それをひとつひとつ再構築することで、音が聞く人の心に届く」


 俺は、思わず息を飲んだ。この人、音楽のことを、理解している。


「魔法も同じよ。起きている現象を理解して、再構築できれば、誰にでも使える」

「再構築……」


 サラサが、ゆっくり言葉をなぞる。


「炎が燃えるのはなぜ? 水が凍るのはなぜ?」


 ライラも続ける。


「風のやさしさ、木のざわめき、土のあたたかさ。それを感じる」


 ヴィオレッタは淡々と続ける。


「そう。自然を理解ができれば、あとは組み直すだけ。魔法体系というのは、『自然の力の再構築している』に過ぎないわ」


 俺の中で、何かが繋がった。

 音楽も同じだ。

 感情があって、音を作って、それをどう組み合わせるか。


 俺は、思わず口を開いていた。


「それなら……俺にも、魔法を教えてもらえませんか」


 一瞬、空気が止まる。


 ライラとサラサが、驚いてこちらを見る。

 ヴィオレッタは、ゆっくりと俺を観察した。


「あなたは、魔法を使えないと言っていたわね」

「はい。でも……今の話、すごく腑に落ちたんです」


 俺は言葉を探しながら続ける。


「音って、物理現象で、波で、でも人の心に直接触れるものです」

「ええ」

「だったら……魔法も、同じなんじゃないかって」

「……なるほど」


 ヴィオレッタは、ゆっくりと歩み寄り、俺の目を、真っ直ぐに見る。


「たしかに、音楽で人を動かすというあなたにはその才能があるかもしれない。でも、魔法を使えるようになったとして、どうするの? 生活魔法で便利に過ごしたいのかしら? それとも、攻撃魔法を覚えて、〈闇の魔王〉アルベストルを倒したかったりするのかしら?」

「いえ、俺は、攻撃魔法とか生活魔法とかには興味がありません」


 ライラが驚いた顔をする。


「え? でも、それって……?」

「俺は、音楽に魔法を使いたいんです。この世界は、俺のいたところにあった便利なものが何も無い。俺が作るしか無いんだ。でも、ケマーレが風魔法に声を乗せてるって聞いて、いつか魔法を使えたら色々できるかもって思っていたんです。今の話を聞いて、俺が魔法を覚えたら、それを音楽に使えるかもしれない。そしたら、もっと多くの人に俺たちの音楽を届けられるかもしれない。人を傷つけるためじゃなくて。生活を便利にするためでもなくて。――ただ、誰かに俺たちの歌を届けて楽しんでもらうために魔法を覚えたいんです」


 ヴィオレッタは、少し目を細めた。


「『戦闘でも、生活でもなく、あくまで娯楽のために覚えたい』と」

「はい」


 一瞬の沈黙。

 それから、彼女は声を上げて笑った。


「ふふ……あははは」


 低く、よく通る笑い声。


「本当に、面白いわね。あなた」


 笑い終えると、言った。


「〈闇の魔王〉が支配するこの国で、自分の身を守る攻撃魔法や生活魔法よりも、何の役にも立たない娯楽のために覚えたいなんて」

「……〈闇の魔王〉が恐ろしい存在だというのは、ここに来た時、兎狩りに遭ってその怖さを体験しました。なんとなくわかっています」

「俺のいたところでも、恐ろしい戦争や悲しい出来事はたくさんあった。困るのはいつも普通の人達だったんだ。でも、音楽はそんな人達の力になれるし、勇気づけられる」


 ヴィオレッタは頷く。


「人は悪意を持った攻撃には耐えられる。でも、楽しんでいる時、人は無防備になるわ。歌。リズム。共有される感情。そこに魔法を乗せれば、熱狂を生み出せるかもしれないわね」


 ライラとサラサを見る。

 俺は、あの夜の熱狂を思い出した。

 〈モノクロ〉の歌に踊り出す客たち。

 音楽に魔法を乗せられれば、きっと多くの人たちにもっと音楽を届けられるんだ。


「私の修行は甘くないわよ? それでもやる?」

「やります」


 迷いはなかった。

 ヴィオレッタは、しばらく俺を見つめてから、頷いた。


「いいわ。協力しましょう」


 ライラとサラサが、ぱっと顔を上げる。


「師匠……?」


 彼女は、軽く肩をすくめた。


「安心しなさい。今すぐ、どうこうする気はないわ。ただ、学ぶんでもらうだけ。世界を理解するだけ」


 それは、優しい言葉だった。

 だからこそ、背中が少し冷えた。


「じゃ、明日、朝から始めましょう。太陽の出ている間は修行に当てなさい。ギルドの運営は他の者もいるし、ライブは夜でしょう?」

「はい! お願いします!」


 この時の俺は、ヴィオレッタが何故〈魔女〉と呼ばれているのかを理解していなかった。


 それでも――。

 この世界に、音楽を届けたい。

 笑って、声を上げて、同じ時間を共有できるものを。


 俺は、鍵盤に手を置く。音が、静かに鳴る。


 ――ここからだ。


 音楽と魔法が、本当に交わる。

 可能性が一気に広がる。そんな予感がした。

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