音楽ギルド・ナハトムジーク②
数日後。
フルニカたちが帰ったあとの空気の重さは、思っていたよりもしつこかった。
開演前のざわめき。椅子を引く音。ドリンクを運ぶ足音。ゾラが弦を張る金属音。ルゥガがドラムを軽く叩き、響きを確かめる低い音。
表向きは、いつもと変わらない。
それでも、あれから空気が違う。
ここには魔王がいて、その支配から完全に逃れることはできない。
ただ歌っているだけなのに。それだけで、目を向けられる。
――そんなことをロビーで考えていたとき、入口の鈴が鳴った。
カラン、と乾いた音。
音楽を聞きに来た客とは、少し違う気配。
入ってきたのは、女の子二人組だった。
「……すみません。ここ、音楽ギルドですよね」
声は若い。少し緊張しているのが、すぐにわかった。
「あ、あの……私たちも、歌わせてください」
……またか。
これまでにも、何人か来た。天性のものを感じさせる子もいたし、飲み込みが早い子もいた。
でも、アルブほどの声を持つ者はいなかったし、ケマーレほど感覚の鋭い者もいなかった。
正直、期待はしにくい。
「今、オーディションはやってないんだ。またしばらく募集するから、その時に応募してくれないかな」
「で、でも……どうしても、歌えるようにならないといけないんです」
必死だった。切羽詰まった目をしている。
片方は黒髪のボブ。肌はやや褐色で、目が大きく、まつげが濃い。
もう片方は白髪のロング。肌は透けるように白く、光に当たると銀色に見えた。口数は少なそうだが、視線だけがやけに鋭い。
年は……14歳前後か。あるいは、もっと若いかもしれない。
服装も妙だった。冒険者でも、街で見かける女の子でもない。民族衣装のようで、見覚えがない。それなのに、長旅をしてきた感じもしない。今までの応募者とは、明らかに違う。
いつの間にか隣にいたアルブが、静かに聞いた。
「なんで、歌いたいの?」
「……あたしたち、魔法使いの卵なんです」
黒髪の少女が答えた。
「師匠に、いろんな魔法を身に着けてこいって言われてて……」
「それと、歌が関係あるの?」
「わかりません。でも……ここの歌は魔法みたいだって噂を聞いて」
アルブが、少し照れたように笑う。
「へぇ……そんなふうに言われてるんだ。名前、聞いてもいい?」
「あたしは、黒のライラ」
白髪の少女が、少し遅れて口を開いた。
「……白のサラサ」
ゾラが鼻を鳴らす。
「なんだい、その自己紹介。色しかわからないじゃないか」
俺は腕を組み、少し考える。
「もうすぐライブの時間なんだ。今日は客として、最後まで見ていくといい。歌ってみるって言っても、歌がどんなものか、わからないだろ?」
「……いいんですか?」
「もちろん。終わったら、感想を聞かせてくれ」
・
ライブは、いつも通りだった。
アルブの歌が響き、客は帰っていく。
特別な演出も、変わった構成もない。
すべて終わり、片付けが始まったころ。
客はもう、誰もいなかった。
それでも、ライラとサラサは席を立たず、ステージの前に残っていた。
「どうだった?」
俺が聞くと、ライラは少し言葉を探してから答えた。
「……楽しかった」
「それだけ?」
「それだけじゃ……ない」
サラサが、ぽつりと言う。
「音が……重なって、ほどけて……胸の奥に、温かい何かが来た」
抽象的だが、音楽をやっている人間なら、なんとなくわかる言葉だった。
「……少しだけ」
ライラが、意を決したように言った。
「私たちも、やってみたい」
「やるって?」
「歌……というより……音に、声を乗せてみたい」
アルブが俺を見る。
俺は少し迷ってから、首を振った。
「ここで、軽く――試すだけなら」
ゾラとルゥガが、黙って構え、演奏する。
ライラが深く息を吸い、サラサは目を閉じた。
♪〜〜
♪〜〜〜
声は、出た。まだ、歌とは言えない。整っていない。未完成だ。
――それでも。
音が、重なりかける。その瞬間、空気が、きしむ。ふわり、と何かイメージが広がりかけて――。
「……待った」
俺は思わず手を上げていた。
全員が止まる。
「今の……なんだ? 何か、こう……」
うまく言語化できない俺を見て、ライラとサラサは、不安そうにこちらを見る。
「……ダメ、でしたか」
「いや、ダメ、じゃない」
俺は、正直に言った。
「何かが変わる気がするんだけど……。だから――今日は、ここまでだ」
二人は、きょとんとする。
自分でも、なぜそう言ったのかわからない。
ただ、あの一瞬で、確信だけはあった。
「続きは、ちゃんと考えてからにしよう」
二人は、ゆっくり頷いた。
その夜。音楽ギルド〈ナハトムジーク〉には、まだ名前ない音が鳴った。
それが何なのか――まだ、誰にもわからないまま。




