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音楽ギルド・ナハトムジーク①

 俺はいつものように冒険者ギルドで皿洗いをしていた。

 冒険者ギルドの酒と汗と皮革の匂いは嫌いじゃなかったし、知らない人たちの冒険話に耳を傾けるのも悪くなかった。


 そこに、硬い靴の足音と妙に甘ったるい香水が割り込んできた。


 「久しぶりだねぇ、ヴォセム」


 赤毛をまとめた女――フルニカだ。〈レゴレニ〉で出会った女。

 それに、背後にはの大男が一人。黙っているのに、存在だけで周りの空気を押し退ける。


「何の様だ?」

「最近は景気がいいらしいじゃない。私のお酒の仕入れ、見直すタイミングじゃない?」


 フルニカは言いながら、視線を店内に滑らせた。

 ヴォセムはあからさまに興味がない顔をした。


「間に合ってる」

「つれないねぇ。……ま、いいや。今日はちょっと別の目的もあるし」


 フルニカは笑って、大男を顎で促した。大男が一歩前に出る。


「……半獣人種(ハーフ)が集まってるって話だ」

「ほう? だから何か問題があるのか? ガンタクよ」


 ヴォセムが眉を動かす。ガンタクはヴォセムを睨むがヴォセムは動じない。

 そんなふたりを見てフルニカは肩をすくめた。


「カラボスの奴が、〈ラクリノヴァ〉でアオって奴に恥をかかされたって、まだ根に持っていてね。あいつ。まだ探しているのよ」

「それで?」

「で、私は〈ファルノヴァ〉になんか新しいことを始めたギルドがあるって聞いてピンときたわけよ。で、調べてみたらギルドマスターの名前がアオ・マイナだって言うじゃない」


 その名前の出し方が、わざとらしい。ヴォセムは表情を変えずに言った。


「それがどうした」

「会わせてよ。あんたでしょ。アオ・マイナを飼ってるの。噂の顔を見たいじゃない。カラボスには言わないから見せなさいよ」


 ガンタクが、低い声で付け足す。


「卑しい半獣人種(ハーフ)がいたら、追い払うがな」


 その瞬間、冒険者たちの視線が集まった。面倒ごとの匂いがする。ヴォセムはため息をつき、立ち上がった。


「……お前ら、昔から変わらないな。いいだろ。来い。だが、俺の顔を立てろ。ここは〈ファルノヴァ〉だ」

「もちろん。私は礼儀正しい女だよ?」


 フルニカは笑った。ガンタクは笑わない。


「新米。お前も着いてこい」


 ヴォセムは俺の名前を出さずに着いてこいという。

 ここで紹介すればいいのに、何故、わざわざライブハウスまで行くんだ?


 ・


 音楽ギルド〈ナハトムジーク〉の前にやってくると、まだ開演前なのに、入り口付近に何人かが立っているのは最近の常だ。

 中に入り、控え室に行くと、奥ではゾラが弦を張り、ルゥガがドラムの調整をしていた。アルブは隅でノートを整理していたが、俺たちが――というか、フルニカとガンタクが入った瞬間、耳がぴくりと動かして、フードを深く被った。

 フルニカが一歩入っただけで、場の空気が変わる。その足音が周りを不快にさせた。


「へえ……」


 フルニカは興味深そうに見回す。ガンタクは見回さない。まっすぐ、アルブとゾラの方を見た。


 獲物を見る目。


「……獣くせぇな」


 ガンタクが床を鳴らして近づこうとする。ゾラの肩が跳ね、ルゥガの手が止まる。ヴォセムが低い声で遮った。


「ガンタク。勝手に動くな」

「俺は臭えのは嫌いだ」


 ガンタクの足が、さらに一歩。アルブの指がノートの角を強く掴む。俺は反射的に前へ出た。


「何が目的だ?」


 声が、自分でも驚くほど冷たかった。


 ガンタクが俺を見る。フルニカは、その瞬間を楽しむように目を細めた。


「マトゥーヤって言ったっけ? 皿洗いをやってるような新人冒険者が何を言っているの?」

「フルニカ。紹介しよう。こいつが、音楽ギルドマスターのアオ・マイナだ」


 それからフルニカは、俺の顔に戻る。笑顔のまま、針を刺す。


「へぇー。あんたがアオ・マイナなんだ。〈レゴレニ〉で会ったとき、あなたマトゥーヤって名乗ったよね? 何か、私たちに名前を知られたくない理由があったのかい?」


 ガンタクが、にやりと笑った。初めて笑ったが、いい笑い方じゃない。

 しかし、なんと答えたものか……。


「……」

「ふーん。話せないんだ。じゃあ、ちょっと信用できないなぁ。カラボスに相談しなきゃいけないかしら」

 

 ガンタクの手が、腰の武器に触れる。ゾラが一歩前に出ようとするのを、ルゥガが腕で止めた。ヴォセムが低く言う。


「フルニカ。冗談はそれくらいにしろ」

「冗談だと思う?」


 フルニカは不敵に笑う。

 ……面倒ごとはごめんだ。


「偽名を使った理由は簡単だ」


 俺は、フルニカを見て言った。


「『〈レゴレニ〉は余計なことを言わない方が長生きする街』だって、ヴォセムが言ったんだ。だから従った。それだけだよ。それに、マトゥーヤ。松任屋も本名だ」


 フルニカは笑みを崩さない。


「へえ。言い訳は上手いねぇ。でも信用ならないねぇ」

「『信用を』というなら、アオ。こないだのあれを見せろ」


 ヴォセムに促され、俺はなぜヴォセムがフルニカとガンタクをここに連れてきたのか理解した。

 俺は、ヴォセムに「いつでもすぐに出せるようにしておけ」と言われた書類を取り出した。

 

 上質な紙に、簡潔な文言。そこに押されている、橙色の印章。ポルトカリウ・メルカンの名。

 そして――「音楽ギルド〈ナハトムジーク〉を魔王軍公認とする」という一文。


 フルニカの目が、ほんの一瞬だけ動いた。

 ガンタクが覗き込み、次の瞬間、舌打ちした。


「……チッ」

「ご覧のように、音楽ギルド〈ナハトムジーク〉は魔王軍の公認ギルドだ。アルブやゾラがここで活動していることも、あんたら魔王軍の上司が認めている」


 フルニカは笑ったまま、目だけが冷たくなった。


「ポルトカリウ様か……。よりによって……」


 ガンタクが苛立って唸る。


「ガンタク。辞めときな。私たちが勝手に動いたら、ヴルペ様の顔に泥を塗る。そんなことはできない」


 ガンタクが拳を握る。悔しさが露骨だ。


「じゃあ、引くのかよ」

「ええ。今日のところはね」


 フルニカは俺に向き直り、にこやかに頭を下げた。


「騒がせてしまってごめんなさいね。アオ。ポルトカリウ様公認なら堂々としてればいい。……ただ」


 笑顔のまま、声だけを落とす。


「調子には乗らないことね」


 ヴォセムが前に出た。


「用が済んだなら帰れ」

「うんうん。帰る帰る。なんかテンション下がっちゃったし」


 フルニカは踵を返し、ガンタクも乱暴に扉へ向かった。扉の鈴が鳴り、二人の背中が外の光に溶ける。

 扉が閉まる。


 残ったのは、張り詰めた沈黙と、アルブの浅い呼吸だけだった。


 ゾラが吐き捨てる。


「アタイ。あの女キライだ。なんか香水で臭いし、嫌な感じがする」


 ヴォセムが低く言う。


「フルニカは酒を売りに来たんじゃない。今日は顔を売りに来たってところだな。今回は魔王軍の公認が盾になったが、ガンタクは武闘派だ。気をつけたほうがいいかもな」


 アルブが、やっと顔を上げる。耳はまだ伏せたまま。それでも、俺を見た。


「……アオ」

「大丈夫」


 俺は根拠もなく言ってしまった。何が大丈夫なのか、自分でも分からないのに。

 ただ一つ分かるのは、フルニカの目だ。


 今日は引いただけ。

 次は違う形で来るかもしれない。


 公認は盾だ。

 でも、それも時に危険な刃になるのかもしれない。


 俺は、ベースを握り直した。指先が少し冷えている。それでも、ここで音を止めたら負ける気がした。


「……じゃ、準備をしようか。今日は予定通りやる」


 アルブが小さく頷く。ゾラが舌打ちしながらも弦を鳴らす。ルゥガがスティックを握り直す。


 扉の向こうで、俺たちを待っている人たちの声がする。聞きたい。まだなのか。楽しみにしてくれている。俺たちを待ってくれている。そんな声。


 届く、というのはこういうことだ。

 良い耳にも、悪い耳にも、届いてしまう。

 これからは、悪い耳にも対応しなければならないんだ。

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