もっと遠くへ⑬
アルブが戻り、ケマーレと並んで歌うようになってから、状況はさらに加速した。
二人の声は、まるで違う色を持っていた。
アルブの声はまっすぐで、胸の奥に染み込む。
ケマーレの声は高く、風に乗って遠くまで伸びる。
それが重なると、不思議な厚みが生まれた。
前の席だけでなく、後ろの方にいる客の表情まで、はっきりと変わるのがわかる。
「なんだ? あの道具は?」
「……でも、歌が聞こえてる」
「こんな歌だったのか! いいじゃん!」
多くの人に歌が、音楽が届くようになった。
「よかった……ちゃんと、後ろまで届いてる」
アルブがそう呟いたとき、俺は思わず息をついた。
あの事故以来、彼女の声に影が落ちていたことを、ようやく自覚したからだ。
・
それでも――それは新たな問題を生んでいった。
きちんと届くようになったことで、客は、さらに増えた。
ライブの告知を出せば、即日完売。
入場整理券は朝のうちになくなり、昼には転売屋が現れるようになった。
「昨日のチケット、倍で買ったんだけどさ」
「仕方ないだろ? 今一番の話題なんだから」
そんな声が、普通に聞こえてくる。
チケット代は、自然と吊り上がっていった。
最初は銀貨3枚だったものが、気づけば銀貨10枚に近づいている。
〈レゴレニ〉のインフレを酷いと言えなくなってくる。
「……これ、大丈夫か?」
ゾラが腕を組んで言った。
「市場原理さ。払う奴がいるなら、成立してるってことだろ」
俺はそう答えた。
正直、数字を見るのは嫌いじゃなかった。
売上は毎日記録され、積み上がっていく。
成功が、目に見える形でそこにあった。
ライブの合間、ロビーでは別の動きも始まっていた。
「ねぇ。アオ。これも、売れそうじゃない?」
ケマーレが、壁に貼られた落書きを指さす。
それは、誰かが描いたアルブの似顔絵だった。
少しデフォルメされていて、耳がやたら大きい。
「……これ、かわいいな」
俺はその場で決めた。
「複製しよう。紙に刷って、それを売ろう」
「え、そんなの……」
「欲しい人がいるなら、売るべきだ」
アルブは少し戸惑った顔をしたが、止めはしなかった。
その日から、物販が始まった。
似顔絵、簡単な歌詞カード、手書きのサイン。
値段は手頃で、よく売れた。
「記念になるからさ」
「今日ここに来たって証拠だろ?」
客は楽しそうだった。
金を払うことに、何の疑問も持っていない。
俺がいた世界でもよく見た光景。この世界でも同じような商売が生まれていく。
気づけば、ライブハウスは音楽だけの場所じゃなくなっていた。
集まる場所で、消費する場所で、熱狂を買う場所になっていた。
アルブは、歌い終わると少しだけ疲れた顔をするようになった。
ケマーレは相変わらず軽やかだが、時折、視線を逸らす。
「……人、増えすぎじゃない? 街を歩いていても『握手してください』とか言われて疲れちゃうよ」
小さく、アルブが言った。
「でも、前よりちゃんと聞こえてるだろ?」
「うん……」
否定はしなかった。
それが、余計に引っかかった。
夜、帳簿を閉じながら、俺は満足感に浸っていた。
うまくいっている。
少なくとも、数字は嘘をつかない。
――音楽を、広げている。
そう思っていた。
けれど、その一方で、ライブハウスの外には、また長い列ができている。
「次は、入れるよな?」
「今日は無理でも、明日には……」
期待と焦りが混じった声。
その光景を見ながら、胸の奥に、わずかな違和感が残った。
(……これ、どこまで行くんだ?)
問いは浮かんだが、答えは出さなかった。
まだ、進める気がしていたからだ。
――もっと遠くへ。
その言葉だけを、俺は信じていた。




