音の響く場所
――その頃。
アルブの姿は、鉱山の街〈ソルガラシ〉にあった。
〈ソルガラシ〉は、山に押し込められるようにして作られた街だ。
切り立った岩肌に囲まれた谷あいに、石造りの家々が整然と並んでいる。
屋根は低く、壁は分厚い。通りは狭く、声を張り上げても遠くまでは届かない。
音は反響する前に、石と土に吸い込まれて消えていく。
それは、この街が「人の声を必要としない場所」だからだと、アルブは思った。
かつてこの山は、豊かな金鉱脈によって栄えたという。
その名残は、山肌にえぐられた無数の坑道として、今もはっきり残っている。
だが、いずれも魔王軍の管理下に置かれ、立ち入りは禁止されていた。
街の要所には、魔王軍の監視兵が配置されている。
重装備ではない。威圧的な態度でもない。
だが、立ち位置は正確で、巡回の間隔も一定だった。
この街に流れているのは、暴力ではなく、計算された抑圧だ。
「見られている」という感覚だけが、空気のように街全体に張りついている。
〈ソルガラシ〉には、多くの〈半人種〉が暮らしていた。
危険な鉱山労働に従事しているからだ。
だが、この街では、露骨な差別は見られない。
それは、思いやりがあるからでも、共存を望んでいるからでもない。
――許可されていないからだ。
ここでは、差別さえも魔王軍に管理されていた。
・
街外れに、使われなくなった坑道がある。
住民が勝手に入り込み、簡易的な住処や倉庫として使っている場所だ。
入り組んだ奥までは、魔王軍の監視も及んでいない。
アルブは、この街に来てから何度もその坑道に訪れていた。
「また来たのかい」
入口近くで、年老いた坑夫が声をかけてくる。
顔や腕には、長年の採掘で刻まれた傷跡が残っている。
「探してる鉱物は、ここじゃ見つからんと思うよ」
「……それでも、確かめたいんです」
「まぁ、止めはせんがね。奥の方は、まだ落盤してるところも多い。時々、音がするだろう?」
「はい。気をつけます」
止める気はない。
だが、責任も取らない。
それが、この街の距離感だった。
アルブは小さく頷き、坑道へ足を踏み入れていった。
・
坑道の中は、ひんやりと冷えている。
そこは、〈塩鉱山サリーナ〉よりも、明らかに音がよく響いていた。
足を踏み出すたび、コツコツという靴底の音が壁に反射し、奥へ奥へと流れていく。
立ち止まると、その残響だけが、わずかに遅れて戻ってくる。
(……やっぱり)
アルブは歩きながら、意識的に足音の強さを変えた。
軽く踏む。
少し強く踏む。
壁に手を当てて、指で叩く。
反響の仕方が、一定している。
(通路の幅……壁の角度……天井の高さ……)
それは、以前見た遺構とよく似ていた。
(ヴァル・ラサリトゥルイにあったあの壁画)
あの場所で描かれていた坑道の断面。
音を集め、響かせる鉱物。
アルブは歩調を落とし、耳を澄ませた。
声を出さなくても、音の流れがわかる。
(道具じゃない……)
(場所そのものが、音を響かせてる……)
(だとしたら、ここにある鉱物に何か秘密があるのかもしれない)
そんなことを思った時だった。
アルブの足元を、ひやりとした空気が撫でる。
微かな風。坑道の奥から流れてきている。
最近崩落したであろう岩の山の向こうに、細い隙間が見える。
そこだけ、岩肌の色が違う。
削られ方も、明らかに古い。
鋭利な刃物の跡ではなく、岩の表面が歪むように崩れている。
熱を与え、割れたところを打ち砕いた――そんな掘り方の名残が見えた。
(……当時の坑道?)
人工的に掘られた跡。
しかも、今使われている坑道よりも古い。
アルブの足が、自然と止まった。
(……崩落していて出口がなければ、戻れなくなるかもしれない)
ここから先は、誰も管理していない。
もし動けなくなって、気づかれない。
声を上げたら、声は届くかもしれない。
それでも、この先の場所は誰にも見つけてもらえないかもしれない。
それでも――。
確かめずに帰る、という選択肢はなかった。
アルブは一度、深く息を吸い、ふぅと大きく吐いた。
そして、慎重に岩の間へ体を押し込み、細い隙間の向こうへと歩を進めた。
この先に何があるのか。
それが、歌を遠くへ届ける答えなのか。
それとも――戻れなくなる場所なのか。
まだ、誰にもわからないまま。




