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もっと遠くへ⑨

 アルブが姿を消してから、数週間が過ぎた。


 最初のうちは、すぐに帰ってくると思っていた。

 あの子は遠くへ行くタイプじゃない。少なくとも、黙って消えるような性格じゃない。


 ……少なくとも、俺はそう思っていた。


 ギルドに出入りする冒険者や商人に声をかけ、街道沿いの町や宿を回った。

 記録(ログ)にある場所にも行ってみた。

 

 それでも、アルブの姿は見つからなかった。


 代わりに届くのは、時折送られてくる記録(ログ)だけ。


 簡潔な文章。

 場所と、そこで見たもの。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 以前のアルブなら、自分が見たこと、聞いたこと、感じたことを楽しそうに書いていたのに。

 今の記録(ログ)は、まるで業務報告だ。

 それも、だんだん感覚が空いている。


 ・

 

 そんなある日――。

 気になる話を耳にした。


「南の〈レゴレニ〉で、白い兎獣人(ラビットイヤー)を見た、って噂がある」


 酒場で聞いた、何気ない一言だった。


「怖がりのアルブがあんなところに行くか?」

「あそこはヴルペの地元だしな……」


 言いかけて、冒険者は言葉を濁した。

 その冒険者が説明してくれた。〈レゴレニ〉は差別が根強い街。半獣人(ハーフ)は、まともに扱われない。


「もしアルブがそんなところで捕まったら、どうなる……?」

「そりゃ、地下経済に飲み込まれて二度と……」

「助けに行かなきゃ」

 

 アルブは助けてくれなんて言っていない。でも、このまま放っておくのも違う。


「しょうがないね。アタイが引率してやるよ」

「そんなところにゾラが行って大丈夫なの?」

「関係あるかい。アタイはアタイだよ」

「でも……」

「なんだい。アタイは置いていくってことかい?」


 俺たちが話していると、ヴォセムが口を開いた。


「なら、俺も行こう」

「ヴォセムさん?」

「〈レゴレニ〉は……あまりいい街じゃない。顔役の名前も、事情も、多少は知ってる」


 頼もしい申し出だった。


「さっすがギルマス! アタイだけでも問題ないけど、アンタがいれば安心だよ」

「しかし、ゾラ。お前は目立つ。その耳と尻尾は隠してもらうぞ」

「えっ」


 こうして、俺とゾラ、それにヴォセム――の三人で、南へ向かうことになった。


 ・


 街道を進みながら、俺は何度も記録(ログ)を読み返した。


 書かれている内容は、淡々としていて、当たり障りのないことしか書かれていない。

 でも、なんとなく『聞いてほしい』感じがあった。


 特別なことは書いていない。

 なのに、届く。


 不思議だった。


(……探してほしいのか?)


 いや、それも違う気がした。


 追ってほしい。

 でも、見つけてほしくない。


 そんな矛盾した声が、文字の向こうから聞こえる気がした。


 「ねぇ、アオ。聞いて。でも、来ないで――」


 そんなふうに。


 自意識過剰だと、頭ではわかっていた。

 でも、胸の奥がざわつく。


(もし、見つけたら。俺は、何を言うつもりなんだろう。俺がアルブに掛けられる言葉なんて――)


 南の空は、どこか重たかった。


 ――アルブ。

 今、どこにいる?

 本当に、〈レゴレニ〉にいるのか?


 ・


 数日後、〈レゴレニ〉に入った瞬間、空気が変わった。


 ギラギラと降り注ぐ太陽の光とカラカラに乾いた熱い風。

 建物も白い石造りでそれらが太陽を反射させてますます熱く感じる。


 何よりこの街で違和感があったのは、匂いだ。

 埃と汗と、酒と――嗅いだことのない乾いた何か。


 道の両脇には露店が並んでいるが、どれも静かだった。声を張り上げる商人はいない。値段も書いていない。客と売り手が目を合わせ、短く言葉を交わし、銅貨や銀貨が手渡される。そのやり取りだけで、取引が成立している。


「……ずいぶん静かな街だねぇ。人はいるのに活気がない。それになんだいこの臭いにおいは」

「……ゾラ。あまり喋るな。目立つ」


 ヴォセムが低く答えた。


「ここは〈レゴレニ〉だ。余計なことを言わない方が長生きする」


 確かに、行き交う人間の服装には差があった。

 煌びやかに笑う外套を羽織った者と、死んだような目をしたほとんど布切れのような服を着た者。その距離が、やけに近い。


 露店の奥、柵で区切られた一角に、小さな樽がいくつも積まれているのが見えた。

 その前に立つ男が、こちらを一瞥する。


「ヴォセムさん、喉乾きませんか? どこかで水を買いたいんですけど……」


 そういうと、露天の男が声を張り上げた。


「お兄さん! 今、水を買いたいって言ったね! はい。これ水だよ!」

 

 男は指を2本立て、瓶に入った水を差し出す。

 そこで俺は銅貨2枚を渡そうとする


「なんの冗談だい。兄さん。銀貨2枚だよ」

「えっ」


 俺は思わず絶句した。

 

「水が高い、ってレベルじゃねぇな……」


 ゾラも呆れている。

 

「兄さん? 買わないのかい?」

「ここじゃ水は贅沢品だ」


 ヴォセムは歩きながら続ける。


「ここでは、命に直結するものはなんでも高いんだ」

「〈ファルノヴァ〉だと、瓶1本の水が銅貨1枚。銅貨10枚で銀貨1枚だから、銀貨2枚ってことは20倍か……」

「そういうわけで、長居は無用だ。厄介な連中もいるしな。まずは、知り合いがいるギルドに向かう」

「そこで情報がないか聞いてみよう」


 その時だった。


「おや。珍しい顔だねぇ」


 女の声。その高い声は、酒の匂いを纏った、軽い調子。


 振り向くと、腰まである赤毛をまとめた女が立っていた。肩に羽織った上着は派手だが、目だけは鋭い。

 背後には、似た顔立ちの女がもう一人。こちらは香水をプンプンさせ、色気を振りまいているが、どこか気だるそうな表情で、視線が甘ったるい。


「久しぶりだね、ヴォセム」

「……フルニカかに、フルテレか。相変わらずだな」


 ヴォセムは足を止めたが、剣に手をかけることはなかった。


「元大物冒険者のあんたに、こんなところで会うとはねぇ? お前さんのギルドの酒の仕入れはどうだい? 最近はちょいと値が張るけど」

「足りてる。あんたたちの世話にはならずとも上手くやれているさ」

 

 ヴォセムは短く答える。


「そうかい。つれないねぇ」


 赤毛の女――フルニカが、俺の方をちらりと見た。


「そっちは新顔だね。冒険者?」

「そうだ。こいつは新米でな。俺はクエストの付き添いだ」

「へえ」


 フルニカの視線が、今度は俺の顔に向く。


「名前は?」

「……マトゥーヤ」


 咄嗟に偽名を名乗る。

 

「マトゥーヤ、ね」


 フルニカは笑ったが、すぐに興味を失ったようだった。


「で、クエストって〈レゴレニ〉でかい? 手伝おうか?」

「探し物だ。あるアイテムを探しているんだが、間に合ってる。本人が探さんとな」

「ふうん。最近、この街は物騒だからねぇ。それに今、ちょいとお偉いさんが来ていて、みんなピリピリしているからね。気をつけたほうがいいかもね?」


 隣にいたもう一人の同じ顔をした女――フルテレが、初めて口を開いた。


「ねぇさぁん。なんか獣臭くない? あたしたちにも臭いが移るよ」

「獣臭いってアタイのことかい?」


 ゾラは反射的に怒りを露わにするが、フルテレは歯牙にもかけず甘ったるい声をあげる。


「いやぁだぁ。なんかその獣がにゃーにゃーうるさぁい」

「この女!」


 ゾラが飛びかかろうとするが、それをヴォセムが制する。


「ヴォセムぅ。あなたとそっちのマトゥーヤは、あたしの店に来てくれたら、サービスするよ? そっちの獣は入れないけど」

「あまり挑発せんでくれないか。フルテレ。彼女は優秀なトレジャーハンターなんだ」

 

「……音楽とかいうのもそうだけど、相変わらず“進歩的“だねぇ。そんな態度だと、うっかり()()()()()()()()()()()()()よ?」

「忠告は感謝するよ。フルニカ。じゃあ、行こうか」


 そういって、俺たちは、フルニカ、フルテレから離れた。

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