もっと遠くへ④
そんなある日、いつものようにライブの片付けをしていると、ギルドの入口がざわつき、見慣れた恰幅のいい影が現れた。
「やあやあ、随分と盛況じゃないか」
ミルチャだった。相変わらず派手な外套を翻し、周囲を一望して満足そうに笑っている。
「聞いていたぞ。外まで人が溢れているじゃないか。いやあ、いい。実にいい。わしが見込んだ通りだ。こうでなくてはな。儲かっているかね?」
ルゥガが顔をしかめ、ゾラが小さく舌打ちする。アルブは耳を伏せ気味にして、ミルチャを見上げた。
「……でも、問題も出ました」
俺が切り出すと、ミルチャは即座に頷いた。
「客が多くなると、後ろまで音が届かん、だろう?」
「……ええ。遠くになると声が届かないんです。お客さんが増えすぎて、後ろの方の人が聞こえないんです」
「やはりな……。ある程度、制限しないといかんな…‥。で、入場料はいくらにしとるんだ?」
「あ。いえ、入場料は取ってなくて、ワンドリンク制、お客さんにはみんなに1杯飲んでもらってるんです」
「なんだと?! それだけか? なんて愚かなことを……」
そして、何でもないことのように、こう続けた。
「なら、まず、はじめの一手だ。それで会場がパンクしているなら――次から入場料を取れ」
一瞬、静寂が落ちた。
「……え?」
アルブが最初に声を上げた。
「お金、取るんですか? 歌を……音楽を、聞くのに?」
その声は、戸惑いと拒絶が混じっていた。
「音楽は、みんなのものじゃないんですか?」
ミルチャは驚いた様子もなく、穏やかに答える。
「そうだ。だが、“世界に1つの希少価値があるもの”でもある」
アルブは唇を噛む。
「お金がない人は、聞けなくなっちゃう……」
ルゥガも腕を組んで頷いた。
「俺も、ガメついのは好きじゃねぇな」
「アタイも、金儲けのためってのは好きじゃないねぇ」
視線が、俺に集まった。
胸の奥で、昔の感覚が疼いた。
再生数、ランキング、チケット代、ライブハウス、そして、サブスク……。
「音楽がリアルな数字に換算されて無料じゃなくなる瞬間」を、俺は何度も見てきた。
「……入場料を取るのは、普通だよ」
自分でも驚くほど、言葉はすんなり出た。
「音楽に限らない。場所も、人も、時間も使ってる。タダで聞けてしまうほうが、おかしい」
アルブが、まっすぐ俺を見る。
「でも……」
「金があれば……代わりに、守れる」
俺は続けた。
「人を制限できる。後ろまで聞こえないほどお客さんを詰め込まなくて済む……それに」
一瞬、言葉を選ぶ。
「ちゃんと払ってくれる人は、ちゃんと聞いてくれる」
ミルチャが、にやりと笑った。
「決まりだな」
「ちょ、ちょっと待ってください! お金なんか払ってくれなくたって、みんなちゃんと聴いてくれるよ!」
……分かってる。これで、誰かは最初から外れることになる。
でも、今は、みんなに届けることはできないんだ。これは仕方ないことなんだ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
ミルチャはすでに部下に合図を送り、ギルドの受付に人を呼び寄せている。
「すぐに始めよう。明日からだ。整理券、入場札、金額は――」
「銀貨3枚で」
自分の口から、即座に数字が出た。
ゾラがちらりと俺を見る。
「いい数字だ」
ミルチャが感心してみせる。
「……早いな」
「考える時間、要らない。ここは爆速で行くべきです」
「よし。わしに任せろ」
ミルチャの部下たちが慌ただしく動き出し、アルブが抵抗することも許さないほど、あっという間に話が進んでいった。
アルブは、その様子を見つめたまま、何も言わなかった。
耳が、ゆっくりと下がっていく。
その背中を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
(……これで正しい、はずだ)
でも、その正しさが、誰かを置き去りにすることも、俺は知っていた。
ギルドの奥で入場チケットの束が刷られ、積み上がっていく。
それは、音楽が「次の段階」に進んだ証のように、静かにそこにあった。
・
ミルチャは杖代わりの装飾剣を床に軽く突き、少し声を落とした。
「で、だ。今回、わしが来たのは、例の素材の件だが――難航しててな」
アルブの耳が、ぴくりと動いた。
「やっぱり……?」
「口で言うほど簡単な素材じゃない。色々なところに手を回しているのだが……。しかし、それ以上に厄介なのが――」
ミルチャは一瞬、周囲を見回し、声をさらに潜める。
「奴の妨害が入っている」
空気が、ひやりとした。
「正確には奴の息がかかった連中だがな。まともに商売させてくれん」
ルゥガが低く唸る。
「あいつ……」
「名は出すな。奴はお前たちを狙ってる。ここにも奴の手の者が紛れてるかもしれん」
ミルチャは苦笑した。
「奴は露骨には動かん。だが、妙に在庫が消えたり、話が直前で流れたりする。分かりやすい嫌がらせだ」
アルブはうつむいた。自分のせいだ、と思っているのが伝わってくる。
「……ごめんなさい」
「違う」
思わず、声が出た。
「アルブのせいじゃない。……俺たちが目立ち始めた、それだけだ」
ミルチャは満足そうに頷いた。
「その通り。目立つというのは、価値が生まれた証拠だ。何より目立てば儲かる。何でも、目立った者勝ちだ。目立たぬものには誰も金を払わん」
そう。俺は、ずっと目立たなかった。
目立たなければ、誰にも見てもらえないし、声も聞いてもらえない。あんな気持ちは二度とごめんだ。
(――俺は間違っていない)
俺はそう自分に言い聞かせていた。




