もっと遠くへ③
〈ファルノヴァ〉に戻ったのは、夕方の少し前だった。
街の空気は〈ラクリノヴァ〉よりもどこかのんびりしていて落ち着く。人の多さも、荷車の音も、どこか「帰ってきた」という実感を運んでくれた。
(……やっぱり、帰ってきた感じがするな。「ふるさと」ってわけじゃないんだけどな)
船から降りる時、ケマーレが翼を畳みながら言った。
「しばらく、この街で見張りを続けます! ミルチャ様から『ヴルペの動きが落ち着くまで、彼らを頼む』と命じられておりますので!」
ケマーレは大きく羽ばたくと、ふわりと舞い上がろうとした。
(頼もしい……)
〈ファルノヴァ〉の喧騒の中に、ケマーレの影が小さく溶けていった。
・
俺達が時々やるライブは〈ファルノヴァ〉で話題になり、聞きに来てくれる人も増えていった。
これで、何もかもうまくいく。
そう思ったのだが――。
後方のほうで、何人かが首を傾げているのが目に入った。口元に手を当て、隣と何か話している。
(何だ? ノリが悪い?)
曲が終わって拍手は起きた。起きたが、後ろの方の客が乗り切れていない気がする。
演奏が一段落し、休憩に入ったときだった。後ろの方から、遠慮がちに声が飛んできた。
「……おおい。あの、前にいる常連の人たちが盛り上がってるのは分かるんだけどさ」
「こっちは、アルブの声が聞き取りづらいんだ。もっと聞こえるようにできねーかな」
別の男が続ける。
「その道具の音は聞こえる。けど、言葉が……ところどころが抜けるんだ」
アルブの耳が、ぴくりと跳ねた。
俺の胸の奥が、冷たくなる。
(……届いてない)
「歌」が届いていない。
アルブは何も言わず、口を閉じた。いつもの、人懐っこい顔が消える。耳だけが、忙しなく動いている。
「……人が増えすぎたのか?」
ルゥガが客席を見回す。確かに、今日は想定より人が多い。ホールの奥までぎっしりだ。柱の陰にまで立ち見がいる。
常連の人たちは前の方に陣取っていて、新規客が後ろにいる形だ。
そこへ、ヴォセムが俺たちのところへ来た。
「俺も奥で聴いていて、前から気になっていたんだ。ギターやベース、ドラムの音は聞こえるんだが、アルブの声が聞こえないことがある」
「でも、前の方は聞こえていますよ……」
「そうなんだ。しかし、客の歓声もあるしな」
ヴォセムは顎でギルドの奥を示した。
「楽器の音は聞こえるんだが、歌は聞こえない。音だけ残って、言葉が届かない。……今、それが起こっているんだ。ここじゃ、言葉を奥まで運べねぇ。誰が歌ってもな。」
俺は喉の奥が詰まるのを感じた。
「これは建物の作りの問題だ。音が漏れない仕組みが要る。――これは俺にもどうにもならねぇ」
アルブが、小さく息を飲む音がした。
俺は、笑って誤魔化すこともできず、ただステージの板を見つめた。
(……もっと遠くへ、って思ったのに)
歌を届けたくて、ここまで来たのに。
今、「目の前の人にしか声が届かない」と、はっきり形になってしまった。
ヴォセムは肩をすくめて言った。
「……このままじゃいつか終わっちまう。どうすんだ。アオ」
その言葉だけが、やけに重く残った。
・
翌日、俺はジャルコの工房に向かった。
「声を遠くに届ける道具……か」
「そう。こういう風に薄い板を円錐にして声を出すと大きくなるんだ」
俺は本を丸めて説明する。
ジャルコはアオの説明を聞くと、珍しく長い沈黙を落とした。
そのあと、ぽつりと言った。
「なるほど……。そのメガホンとかいう、イセカイのアイデアも悪くないが、〈鳥人種〉の連中がヒントになるかも知れない。連中は、目がいいだけじゃなくて、声も遠くまで届くんだ」
「え?」
「連中の声はただデカいんじゃねえ。体の中で響かせてから飛ばしてるんだよ。喉の奥にな、俺たちとは違う空洞があって、そこに声を通すと、よく通るんだ。だから、軍隊では伝令や見張りをやることが多いんだ」
(やっぱり……! ケマーレの声の通り方、絶対におかしいと思ったんだ。俺たちとは違う特徴があるのか!)
「それ……使えないかな?」
「研究もされてるが、上手く再現できたと言う話は聞かんな」
「なんで?」
ジャルコは工房の奥から持ってきた本を示しながら説明する。
「こんな感じで構造はわかっているが、素材がねえ。形は再現できるんだが、それだけじゃうまくいかねぇ。もっと薄くて硬くて、頑丈な共鳴する素材が必要だ。木でも皮でも、布でもちょっと限界があるな。〈鳥人種〉に共鳴腔をちょいと分けてくれとは言えんしな」
アオの胸に、ミルチャの言葉が蘇る。
『商人ギルド総動員で探してやる!』
(ミルチャさんに相談してみるか……)
もしできれば、きっとすごいことになる。
それがこの街を変える一歩目になる――そんな予感がした。
工房を出ると、〈ファルノヴァ〉の風が心地よく頬を撫でた。
〈ラクリノヴァ〉とも違う、どこか土の匂いがする風だ。
(……もう1回ここから始めよう)
〈ファルノヴァ〉の街が、また騒がしくなる気配がした。




