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もっと遠くへ①

 〈ラクリノヴァ〉の夜は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

 パーティの成功で胸がいっぱいのまま、俺とアルブ、ゾラは宿に戻っていた。

 ルゥガは、「しばらくドラムから離れたくない」というので、俺達は先に帰ることにした。


「アオ、今日はすごかったね……!」

「スカッとしたな!」

「アルブが一番頑張ってたよ。ゾラもカッコよかったし」


 そんな穏やかな空気を――低い声が裂いた。


「待て。小僧」


 振り返ると、真っ青なマント。狐の紋章。カラボス――。

 その後ろには彼の護衛の男たちが並んでいた。


「獣風情が、よくも、私に、いや、魔王様に恥をかかせてくれたな。あそこまで啖呵を切ったお前たちを、ただで返すと思ったか」


 背筋が冷える。歌が通じない類の悪意だった。


「魔王様への反逆者として捕らえてやる。そのあとは……わかっているな? 覚悟しておけ」

「アタイらが何をしたっていうんだい? それに〈ラクリノヴァ〉でこういうのはご法度じゃなかったのかい?」

「はっ。商人ギルドなど、ポルトカリウ様に言えばいくらでも黙らせられるわ。『ささいなこと』で終わりだ。やれ」

 

 次の瞬間、カラボスの合図に呼応した護衛たちがこちらへ突進してきた。


「アオ、アルブ、下がれ!」


 ゾラが俺の前に立つ。

 ギターのストラップを外し、低く身構える。


 金属がぶつかる音。

 ゾラの足が地面を裂くほどの蹴りが、護衛の腹にめり込んだ。


「がっ……!?」


 護衛が吹き飛び、壁に叩きつけられる。


「邪魔なんだよ、この猫が! 〈火槍刃(ブレイズスラスト)〉!!」


 護衛の男の腕から、炎が槍の形になって飛び出した。

 魔法……? 俺はこの世界で初めて〈攻撃魔法〉を見た。

 

 護衛が放つ火の槍が空気を切り裂く音を立てて、ゾラを襲う。

 しかし、それもゾラが爪で切り裂いた。


「……つっまんねぇ戦い方すんなよ。アンタら」


 ゾラの尻尾は一瞬だけ大きく膨らみ、戦闘態勢に入った。

 ゾラと護衛の戦いで、壁や地面が破壊される音、人が金属で斬り合い、それが交錯する音、それぞれの息遣いや掛け声。

 俺のいた世界では、映画とかアニメとか、ゲームみたいな架空の世界でしか聞いたことがない音。

 それが今、リアルに聞こえている。

 怖すぎて、俺は一歩も動けなかった。

 

(……俺……何もできないのか?)


 更に別の護衛が背後からナイフを振るう。

 ゾラはその刃先を髪一本分の距離で避ける。

 俺たちは見ていることしかできない。

 そのとき、しきりに耳を動かしていたアルブが呟く。


「(もうちょっと、もうちょっと頑張れば……)」


 アルブの耳がピンと立つ。


「(アオ、蹄の音がする……もうすぐ助けが来る。だから――あと少しだけ)」

「(時間を稼げればいいのか?)」

「(うん。たぶん)」

「……あ、あの! カラボスさん。今日の歌、聞いてくれましたよね。俺達の音楽。どうでしたか?」

「獣たちの余興など聞く耳を持たんわ。耳障りな騒音でしか無い」

「でも、一曲目は聞いてくれたじゃないですか。何も感じなかったんですか?」

「何が言いたい?」

「音楽は心を通わせられる。いろんな考え方があるかもしれないけど、歌って、踊って、みんなで心をひとつにすれば、争いなんて必要ないんじゃないですか?」

「ハッ。心をひとつに? この私が? お前や、そっちの獣たちとか? 笑わせるな」

「アオ。こいつら魔王軍には何を言っても無駄さ。このあたりは影響は強くないが、アタイやアルブの故郷はこいつらのせいで酷いもんさ。こいつらとは心は通わせられない」

「ゾラ。そうじゃない。……俺のいた世界でも争いは絶えなかった。でも、音楽には……こういうのを止められる『何か』があるんだ。それはきっとここでだって――」

「命乞いのつもりか? どの道、お前たちは捕らえて一生外には出さん。でないと私の怒りは収まらん」


 その瞬間、アルブがぱっと顔を上げた。


「来た……!」

 

 蹄の音が路地に響く。


「おい! お前達! 何をしている!」


 ミルチャの屋敷にいた馬番の人たちだ。腰に剣を携えている。衛兵だったのか。


「カラボス殿……。困りますよ。こういう揉め事は。彼らはミルチャ様の客人――この街の客人です」

「チッ……! ミルチャめ……。今日はここまでだ。だが覚えていろ」


 カラボスはそう言い残し、マントを翻す。

 胸元の金属の装飾が月光を受け、甲虫の殻のように鈍く光った。

 その冷たい煌めきを残し、カラボスは暗闇に消えた。


 俺は、足が震えて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


「アオ。大丈夫?」


 アルブが震える声で聞く。

 俺は喉の奥が塞がったみたいで、言葉が出なかった。


「……行こう。早く休まなきゃ」


 逃げるように、俺たちは宿屋に戻った。

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