ファルノヴァの歌姫⑪
狐の紋章の男の冷たい演説が、ホールの温度を一段ずつ下げていく。
「〈半獣人種〉を『歌姫』などと持ち上げるとは……ミルチャ殿はあの壇上のメス2匹に籠絡でもされたのか?」
アルブの耳がぺたんと沈む。
客席のざわめきがじわじわと波紋のように広がる。
「どうするんだ? このまままだやるのか?」
「話題性だけで呼んだんじゃ……?」
やばい空気だ。
悪意の匂いに敏感なアルブは、息が浅くなっている。
尾が震えていて、今にも泣きだしそうだ。
「アルブ、いったん下がるか?」
俺が小声で言うと、アルブは首を振った。
「……歌うよ。だって、せっかくここまで来たんだよ……? 今、逃げたら……もっと、歌えなくなっちゃう……。それにわかってくれる人たちには届けたい……」
その目は、泣きそうなのに――まっすぐだった。
(あ……この強さ、俺のほうが救われてるじゃん)
ゾラは腕を組み、狐の紋章の男を睨みつける。
「……チッ。アタイが趣味の悪さに付き合って、何も聞かせてやる義理なんて無いんだけどね」
ルゥガは緊張で青ざめながらも、スティックを握り直した。
「お、俺……どうすれば……?」
「叩けるだけ叩いてくれ。アルブの声が消されないように、俺たちで支える」
ベースを握り直す。
(……この状況で、今のセットじゃ絶対に届かない)
叫ぶための音じゃない。
“守るための音”が必要だ。
ミルチャが前に出て、威圧的な視線を狐の紋章の男に向けた。
「カラボス殿。ここはワシの屋敷だ。魔王軍の者として、そういう発言をされるのかと思うが、客を選ぶのはワシであって、そなたではない。聞けんのなら、出ていって構わんぞ?」
ざわっ――。
商人たちが息を呑む。
カラボスと呼ばれた狐の紋章の男の眉がわずかに動く。
だが――そいつは引かなかった。
「出ていくのはそいつらだ。〈半獣人種〉を甘やかすから街が腐る。この私を誰だと思っている? 私に逆らってどうなるかわかっているのか? この街に塩を卸すのも、いつでもやめさせられるのだぞ。 賢いミルチャ殿なら、どういう判断をすべきかわかるだろう? ここのポルトカリウ様やヴルペ様、いや、魔王様だってこんな――」
ヴルペ――あの〈ウサギ狩り〉をした奴か。
その瞬間。
ゾラがギターを鳴らした。
ジャーン!
「ごちゃごちゃうるさいんだよ。あんたが誰だろうが、上に誰がいようが関係ない。アタイらが〈猫人種〉だろうが、〈兎人種〉だろうが、出す“音”には何にも関係ないんだよ」
ホールの空気が弾けた。
カラボスが言葉を止める。
視線が一斉に俺達へ向く。
俺も勇気を振り絞っていう。
「……誰が何言おうと関係ない。今、ここはライブ会場で、俺達の演奏を聞いてくれる皆さんがいる。俺達のお客さんの気分を悪くするだけにいるなら……帰れよ」
静寂。
俺の手は震えていた。
でも、その震えは“怖さ”より“怒り”だった。
(仲間を侮辱されたのに、なんで黙っていられるんだよ)
俺はマイクもないホールで、できる限り声を張った。
「次の曲は――アルブと俺で作った新曲です! 『誰かの声を消すため』じゃなくて、『自分の声を誰かに届けるため』の歌です!!」
アルブが目を見開く。
「アオ……」
「歌おう、アルブ。誰にも、“消されない声”を」
アルブが小さくうなずいた。
ゾラがギターを構え、ルゥガがスティックを上げる。
ミルチャが椅子に深く座り直す。
カラボスは、あざ笑うような顔をしている。
(いいよ。笑ってろ。歌で黙らせる)
俺は深呼吸し、コードを鳴らした。
ドンッ、タッ、ドッ……!
ルゥガのドラムが、怒りを代弁するように重く鳴る。
ゾラのギターが鋭いアクセントを刻む。
アルブが一呼吸……二呼吸……そして――歌い始めた。
♪~~~~
♪~~~~
その瞬間。
また、空気が変わった。
アルブの声は震えていた。
でも――消えてはいなかった。
震えているのに、まっすぐ。弱さごと前に出ていく声。
それは、聞く者の胸を刺した。そこにいた要人や商人、軍人だけではなく、酒や食事を運ぶスタッフの人たち、警備をする兵士たち、そこにいたみんなが動きを止めて、ただ聞いていた。
カラボスだけが、苦々しい顔をしている。
アルブは、耳を伏せたまま、震えた声で歌い続けた。
♪ こわくても わたしはうたう いつだって あなたにこえが とどくなら。
(……アルブ)
胸の奥が焼けるように熱くなる。
(俺のほうが……救われてるじゃんか)
曲が終わった。
静寂。
ほんの一瞬。
時間が止まったみたいに。
そして――。
――パンッ!
1人が拍手をした。
続いて2人。
3人。
やがて――ホール全体が割れるような拍手に包まれた。
「素晴らしい!!」
「心が震えた……」
「こんなもの、聞いたことがない!」
「これが〈ファルノヴァの歌姫〉だ!」
アルブが震えながら笑った。
目に涙がにじんでいる。
カラボスは、手に持っていたグラスを足元に投げつけて叩き割り、ホールから出ていった。
ミルチャがワインを掲げる。
「少々トラブルもありましたが――それもまた一興。これが『音楽』というものです――! 見事だったぞ、歌姫アルブ!! そしてその仲間たちも素晴らしかった!!」
アルブが俺の袖を引いた。
「アオ……届いたかな……?」
「届いたよ。こんなにも、たくさんの人に」
アルブの頬を涙が伝った。
俺は少しだけ笑って、心の中で呟いた。
(――たとえ魔王軍の影が迫ってたとしても。絶対に守ってみせる。この歌も、アルブも)
この夜――俺はただの〈ギルドの新人〉じゃなくなった。
・
会場が割れるような拍手に包まれたあと、俺はひとり、ホールの外のバルコニーに出ていた。
胸の奥がまだずっと熱くて、うまく呼吸が整わない。
外は静かだった。
星が白く光り、夜風が衣服を撫でていく。
歌の後、たくさんの人達が「挨拶させてくれ」と、俺達を取り囲んで、さっきまで何十人にも囲まれていたせいで、反動みたいに世界が広く感じる。
(……人に当てられたな……)
門の向こうで馬番たちが松明で暖を取りながら談笑する声がかすかに聞こえる。
それ以外は、何もない。
しばらくして、扉がきぃと開く。
「アオ……いた」
アルブが出てきた。耳をぺたんと倒し、心配そうにこちらを見る。
「大丈夫……? 急にいなくなっちゃったから」
「……大丈夫。ちょっと落ち着きたくて」
アルブは俺のすぐ横に立ち、欄干に手を置いた。
何も言わず、ただ並んで立つ。
それだけで、少し呼吸が戻った。
そして――俺は、こらえきれなくなった。
「……俺さ、怖かったんだよ」
自分でも驚くほど、声が震えていた。
「小さな頃から、ずっと……。俺って目立たない方でさ。クラスの隅にひとりでいて……俺の声なんか、誰にも届かなくて……」
アルブは黙って聞いている。
「なんか……俺の音って、あってもなくても、この世界には関係ないんじゃねえかなって。俺がいなくても世界は普通に回っていくんじゃねえかなって……ずっと、そう思ってた」
胸がぎゅっと締めつけられる。
「だから、音楽を作り始めたんだ。俺みたいな普通の奴でも……ステージの上なら存在していてもいいのかなって……そんな気がして」
夜風が少しだけ強く吹き、言葉をさらう。
「でもさ……。そのうち、俺と同じ年、同じ誕生日の、キラキラした女の子が、パッと出て来て――あっという間に国民的アイドルになったんだ」
アルブの耳がぴくりと動く。
「『同じ日に生まれたのに、その子の歌は、言葉は簡単に届く。なんでこんなに違うんだ』って……。そのたび、胸がちょっとずつ……潰れてった」
途中で、もう声にならなくなる。
「それに引き換え、俺は……。俺の声は……誰にも……。俺なんかいなくたって……どうせ……」
絞り出すような音しか出なかった。
「……でも」
息が震える。
「ここに来て、最初にみんなの前で歌ったら……ちゃんと“生きてる”って思えたんだ……なんでなんだろな……」
「それから、アルブが俺の歌を歌ってくれて。もっと多くのみんなに俺の、俺達の歌が届くようになったんだ」
「それなのに、あいつがアルブやゾラを否定してさ。俺、許せなかったんだ。絶対アルブやゾラの音をみんなに届けてやるって思ったんだ」
アルブは夜空を見上げ、風の音をひとつ聞いてから――静かに言った。
「ねぇアオ。 私ね……目に映るものって、みんなメッセージだと思ってるの」
「メッセージ?」
「うん。季節の花の香りも、雨上がりのおひさまの温かさも、誰かがくれた言葉も……どんな小さなことでも、全部、大切なメッセージなんだよ。だから、私はそのひとつひとつを大事に残したいの」
そう言って、アルブは俺の胸にそっと手を当てた。
「アオの歌もね。ちゃんと私に届いているよ。メッセージは……消えないよ」
喉が震えて、もう息の仕方がわからない。
「……お前……ずるいな……そんなこと言われたら……俺……もっと歌いたくなるじゃねえか」
「うん。歌おうよ。一緒に」
夜風がふっと止まった。
本当に、音が止まったように感じた。
アルブは、その“静けさ”を大切に味わうようにしながら、ゆっくりと言った。
星の光が、ほんの少し揺れたように見えた。
「……アオの音、私……好きだよ」
音のない夜に、静かに大きな涙が落ちた。
――この夜、俺たちの戦場は、“街角”から、“この世界”に変わったんだ。




