ウサギ狩り①
「じゃ、行こっか」
ぴくりと耳を動かしたアルブは、まぶかにフードをかぶり、唐突に言う。
「え? どこに?」
「すぐそこに村があるんだよ。アオはそこに泊まるつもりだったんじゃないの? 送るよ。急がないと日が暮れちゃうよ」
こうして、俺たちは、アルブの「すぐそこ」という村まで行くことにした。
しかし、かれこれ5時間は歩いている。
そよそよと森を抜ける風の音は気持ち良く、さらさらと輝く川の水面も美しい。
でも、ベチャベチャと道は気持ち悪いし、ゴロゴロと転がる石は危なっかしい。
アルブは元気そのもの。ウサギみたいな足取りで、俺の何歩も先を進んでいく。
「アオは旅に慣れてないんだねー」
「悪かったな……。昨日、遅くまで曲書いてたからまともに寝てねぇんだよ」
まるでハイキングみたいな道を越え、はぁはぁと息を整えながら顔を上げると、丘の下に小さな村が見えた。
煙突からもくもくと白い煙が上がり、家々の屋根がオレンジ色の陽に照らされていた。
こうして、ようやく「すぐそこ」の村に着いたらしい。
「今日はここに泊まろう。アオが倒れちゃう前にね」
アルブは笑って言い、宿の看板を指差す。
宿の木の扉を押すと、穏やかな香ばしい匂いがした。
焼いたパンの匂いだ。胸の奥がきゅっと鳴る。
香りだけで“音”を感じるなんて、そんなの初めてだった。
「いらっしゃい。……お二人さんは……旅の人かい?」
「ええ。今日泊まれますか? 部屋を2部屋でお願いします」
俺がそう言うと、アルブが首を傾げた。
「え? 一緒の部屋でいいよ」
「……それはさすがにダメだろ」
「どうして?」
「どうしてって……そういうもんなんだよ」
「そうなの?」
「……もういい、2部屋で!」
「そうかい。今日はもう遅い。夕飯を食って、ゆっくりしていくといい。朝も食事を用意してやるから起きたら降りて来な」
主人が苦笑いして、部屋の鍵を2つ渡してきた。
アルブはちょっと困った顔をしているようにも見えたが、夕飯を食べたあとには、「じゃあ、また明日ね」と軽く手を振って階段を上がっていった。
俺はベッドに倒れ込み、泥のついた靴も脱がずに眠った。
・
翌朝。
まぶしい光に目を細めながら食堂へ降りていくと、物珍しそうに見ている他の宿泊客に混じって、アルブが耳をぴょこぴょこさせながらパンを頬張っていた。
「おはよう! ここのパン、おいしいよ!」
「……おまえ、元気だな」
俺も席につき、冷めかけのスープをすする。塩味が妙に沁みた。
食堂のざわめきは不思議と耳に心地よかった。あの世界のキリキリとした騒音とは、まるで違う。
「さて、そろそろ出よっか。〈ファルノヴァ〉に戻ったらみんなに紹介するよ」
「〈ファルノヴァ〉? それは街の名前?」
「あれ? 〈ファルノヴァ〉に向かってたんじゃないの? 大きな街だし、旅の人はみんな目指してくるんだよ」
なるほど。これから、何かすることがあるわけじゃないし、アルブについて行ってみるか。
・
村は穏やかだった。
どこかで風車が回る音と、遠くの井戸の滑車がきしむ音がシンクロする。
石畳の通りに露店が並び、干した草や果物が風に揺れる。子どもが走り回り、どこかの家の扉が閉まる。
それらが全部、ひとつのリズムに聞こえた。
それらの音は俺がいた世界の雑音とは違って、不思議と胸にすっと入ってくる。
スマホも無ければ、大型ビジョンも無い。電車も無ければ、オフィスビルも無い。
みんなどこかなごやかで、おだやかに暮らしているように聞こえる。
(本当にここは異世界なんだな)
そんなことを考えていると、アルブは少しだけ視線を泳がせてから、言った。
「実は……ここで大事なお話があります。さっきの宿でお金がなくなりました。」
「えぇっ。そうなのか?」
「うん。私、〈記録士〉って言って、いろんな場所を見て回って、その村や町の見どころを紹介する仕事をしてるの。食べ物とか、宿とか、人の話とか。そういうのを旅人向けにまとめるの。私たち、〈兎人種〉は、耳が良いからね。色々聞こえるんだ。これでも私のログ。評判いいんだよ」
「……旅行ライターみたいなもんか」
「うん、よくわからないけど、たぶん、そんな感じ。でもこういう小さい村だと……。ね。最近、私みたいなのは目立っちゃうから稼ぎにくいんだよね」
「それなのに、昨日の宿で全部……」
「そう。私、野宿のが安心できるから、いつもは宿を使わないんだけど、昨日はアオもいたし、2部屋も取っちゃったから、もうスッカラカン」
「うわ、ごめん。なんか俺、奢らせたみたいで」
「ううん。いいのいいの。久しぶりにふかふかのベッドで気持ちよかったし。でも、〈ファルノヴァ〉まではアオの足だと2日はかかるから、食べ物は買いたいんだよね。お金を少し稼がないと……」
この世界でも、現実はシビアだった。
二人してため息をつく。
……。
アルブの耳が、誰かの踏みしめる音にほんの一瞬だけ反応した気がした。
アルブは、ポンチョのフードを深くかぶり、長い耳を器用にしまいながら言う。
「しょ、しょうがないから、もう村は出て、とりあえず、〈ファルノヴァ〉に向かおっか」
アルブは俺の手を掴み、足早に村の外に向かう。
小さな体なのに、靴音のテンポがやたら早い。
「え? なあ、なんでそんな急ぐんだよ。今日の予定、何もないだろ? 金を稼ぐって話の流れじゃなかったか?」
「う、うん……。でも、このまま、村の外に出ちゃえば、安心だから……」
声の端が少し震えていた。
昨日までの無邪気な音とは違う、どこか硬い音色だ。
村の大通りには朝の支度の音が混じっていた。
木箱を引きずるガラガラという音、道具のカチャリという音、干した布が風にバサバサ揺れる音。
全部ひとつのリズムになって、空に溶けていく。
そのとき、遠くから体に響くような大きな声が聞こえた――。
アルブ・イェプレ(17)
王国北東部のミレショル出身。兎人種と呼ばれる半獣人種の少女。
兎人種は非常に耳が良く、情報収集に適しているため、アルブは国内を巡り、様々な記録を残し、人々に知らせる記録士という仕事をしている。
性格はひとなつっこく、困っている人を放っておけないタイプ。誰とでも自然に距離を縮め、気がつけば場を明るくしてしまう〈コミュニケーションおばけ〉。
異世界におけるアオの最初の理解者となる。
→第一幕 ep03.ウサギ狩り②
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