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ファルノヴァの歌姫⑧

 〈根っこの弦〉が手に入ったものの、その加工が難しいらしく、ジャルコは工房で四苦八苦しているようだった。

 しかし、〈青い火〉でなんとか加工を試みているらしく、俺たちはベースの完成を待っていた。


 ・

 

 数日後――。

 ギルドの酒場では、朝早くから低く重いドラムの音が響いていた。


 ドン。

 ドドン。

 カッ。

 シャン。

 ドーン。ドン!


「ルゥガ、ちょっと静かに……!」

「すまん! 楽しくてつい!」


 ヴォセムやベルンに怒られながらも、ルゥガは一日中叩いている。


(わかるよ。一瞬でも長く触っていたいよな。ずっと弾いていると、自分の体の一部みたいに馴染んで来るあの感覚。俺もそういう時がある)


 俺が皿洗いをしながらそれを微笑ましく見ていたその時――。


 バタンッ――。

 

 いつも常連ばかりのこのギルド酒場に見たことのない男が入ってきた。

 茶髪に碧眼。背は高く、筋肉質だが、マッチョではない。

 このあたりではよく見る服装をしているが、どこか立ち居振る舞いには気品がある。

 その男は、皿洗いをしている俺に、カウンター越しに話しかけてきた。


「ああ、俺はロシュ。別の街で、〈ファルノヴァ〉の冒険者ギルドの奴らが面白いことを始めたって噂を聞いてね。飯を食うついでに見にきたんだ」

「それってお前たちのことだろ?」

 

 ロシュと名乗った男は、にっと笑った。


「……俺たちのこと?」

「違うのかい? 楽しそうにやってるじゃないか」


 茶化すように言いながら、ロシュはカウンターに腰をかけた。


「この街は初めてなんだ。ここって、いつも朝からこんなに賑やかなのかい?」

「ルゥガがドラムを叩いてるからだよ。うるさいでしょ。ごめんね」


 アルブが胸を張って言う。


「いやいや、活気があっていいよ。なんかワクワクしてくる感じだよ」


 ロシュは、場の空気を軽く味わうようにギルド内を見回す。


「ふーん。……ほら、俺、旅人だからさ。いろいろな街を回ると、ちょっとした噂に触れるんだよ。あっちは飯がうまいとか、こっちは酒がうまいとか。で、ちょっとでも『気になるなー』って思ったら、ついすぐ見に来ちゃうタイプでね」


 完全に軽い旅人のノリだ。


「で、ここは何しに?」

「ふつうに昼飯を食いに来たんだけさ……せっかくだから、面白そうなところで食いたいじゃない。ほら、旅は退屈な日も多いだろ?」

「……随分と気まぐれなんだな」

「旅人ってそんなもんだよ。風とノリで生きてる」


 ロシュは笑顔のまま、俺の顔をじっと見た。


「で、君がアオくん?」

「そうだけど」

「へぇ。思ったより普通だね。もっとこう……変わった格好でもしてんのかと思ったよ」

「いや、どんなイメージだよ」

 

 笑いが起きる。

 ロシュ自身も声を出して笑った。


「あ、そっちのうさぎの子はアルブかい? じゃ、そっちの音を出してるでかいのはルゥガか! さっき市場で聞いた通りだ。本当に気に入ったよ。いい感じだ。最近は、どこも〈闇の魔王〉アルバストルがヤバいって噂の影響もあってか、息苦しいし、辛気臭い連中多いだろ? それなのに、この街は空気も明るいし、食い物も酒も美味そうだし、みんな楽しそうに暮らしているのが実にいい」

「せっかくだから、歌を聞いていく?」


 アルブが親切に尋ねてやる。


「んー、今日はやめとく。〈ラクリノヴァ〉で披露するんだろ? 行けたら俺も行くわ」

「え? ミルチャさんのパーティだから、招待客しか入れないじゃないかな……」

「え。そうなの? マジか……。聞いた話と違うな……」

「でも、いつか、この街でもやると思うから、それを聞きに来てくれよ」

「そうだな。今は、なんか、こう……“まだ”の匂いがするからね」

「“まだ”の匂い?」

「そう。せっかくなら完璧な形で味わいたいじゃん? 料理でも、建物でも、物語でも、完成前に出されてそれを知っちゃうと、完成したのを味わっても、『まぁ、こうなるよね』ってな感じになって、がっかりするんだよね」

「そういうものかな?」

「そういうもんさ。というわけで、じゃ、帰る。また来るわ」

 

 ロシュは立ち上がり、軽く手を振った。


「アオ。またどこかで。……あ、別に深い意味じゃなくてね。君、なんか面白いことをしそうだから、いつかを楽しみにすることにするわ」


 そう言って、軽く笑う。


「またなー」


 カラン、と軽やかにドアが閉まった。


「変なお兄さんだったね」

 

 アルブが首をかしげる。


「ていうか、普通にいい人じゃね?」


 ゾラもぶどうをつまみながらぼそっと言う。


「うむ。あんな気のいい兄ちゃん、悪い奴じゃねぇよ」

 

 ルゥガも笑う。


「ていうか、あいつ、何も食わずに帰ったな。何が目的だったんだ?」


(……ただの旅人か)


 胸に変なざわつきはない。

 本当に、ただ明るくて気まぐれな旅人が遊びに来ただけ――そんな感じだった。


(ん? ちょっと情報早くない? 別の街に広まるほどなのかな……ま、気にしすぎか)


 ・

 

 そこにジャルコがやってきた。


「アオよ。ベースが完成したぞ。試しに弾いてみてくれ」


 ジャルコに呼ばれ、俺たちは工房へ駆け込んだ。


 作業台の上には、黒い木材のボディに太い二本の弦が張られた――。

 異様に存在感のある新しい楽器が鎮座していた。


「……すげぇ」


 俺はゴクリと喉を鳴らし、ベースを構え、弦に触れる。


 ――ビィンッ……!


 空気がぶるんと震え、床板まで低音が伝わる。


「わっ……! アオの音、胸に響く……!」


 アルブが耳をぴょんと動かした。


 俺は何度か弾き、音程を変えてみた。

 そして――すぐに理解する。


(この楽器……簡単そうに見えて、簡単じゃない)


 弦は硬い。というより“反発が強い”。だが押さえられないわけじゃない。

 必要なのは筋力じゃなく、“弦をどう鳴らすかの判断”だった。

 それは、音楽の経験がないと無理だ。


(……それに、ルゥガのリズムを制御できるの、俺しかいない)


 彼の才能は本物だが、言っても野生の天才だ。

 そのまま弾かれると、音楽が暴れ馬みたいに跳ねるし、音が走ってしまったときに誰も制御ができないだろう。

 それをコントロールするのは、俺の役目だ。


「どうだ、アオ?」


 ジャルコが問う。俺は深呼吸した。


「……ジャルコ。このベース、俺が弾くよ」


 ジャルコが目を丸くする。


「お前が?」

「うん。ギターを俺が続けるより……ベースに回った方が、バンドとして絶対に強くなる。ルゥガのリズムを受け止めて、曲の土台を作れるのは……多分、俺だけだ」

 

 ジャルコもうなずく。


「音楽のことはよくわからんが、アオが言うならそうなんだろう」


 ルゥガも笑った。


「アオ。よろしく頼む。俺のリズムを支えてくれ」

「任せろ」


 こうして、俺はベースを担当することになった。あとはギターが必要になる。

 そうなると、やっぱあいつだよな……。

 

 ・

 

 その頃、旅人ロシュが〈ファルノヴァ〉を出て、森に入ると闇から男が現れた。


「アルバストル様。このようなところにいらしたのですか。皆が探しております。特にヴルペ様がまた半狂乱で……」


 ロシュ――いや、アルバストルは、先ほどより一段低い声で笑った。


「ふむ。心配をかけたな。だが……どうしても自分の目で確かめておきたくてな」

「ご命令いただければ、我々が詳細を……」

「いや、よい。お前たちからの報告だけでは分からぬこともある。これは私の気まぐれだ。許せ」

「お戯れが過ぎます……ヴルペ様に叱られるのは私でございますので……」

「はは、ならば私から上手く取り繕っておくよ」


 旅人の軽い笑みはもうなく、森すら圧する“支配者の静けさ”がそこにあった。

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