ファルノヴァの歌姫④
昼時が終わって、皿洗いの仕事もひと段落した昼下がり。
俺は、新曲の断片をノートに走り書きしていた。
ギルドの扉が勢いよく開き、ゾラがにゅっと顔を出した。
「ねぇ、アンタら今暇?」
「え? まぁ……作曲の途中だけど」
「アタイが暇なんだよ。付き合いな」
一方的に言ってくるくせに、どこか楽しそうだった。
「どこ行くんだ?」
「森。ちょっとした“癒し”だよ」
ゾラが癒し……?
不穏な気配しかしない。
「行こ行こっ!」
アルブが耳をぴょこっと立てて走り出す。
完全に遠足気分だ。
仕方なく、俺も後を追った。
ギルドを出て森へ入ると、光の音が変わった。
葉がすれる音、鳥の羽音、木々が奏でるざわめき……。
ゾラはほとんど音を立てずに歩く。
アルブはそれを見て「猫さんみたーい」と笑い、ゾラは「だから猫じゃねーって言ってんだろ」と返す。
森の奥に進むと、ひんやりした空気に変わり、木漏れ日の揺れが音に見えるほど静かになった。
「……そろそろだ」
ゾラが足を止め、指を口元に当てる。
「〈森犬〉がいる。刺激すんなよ」
「えっ、〈森犬〉……って、この前、俺たちを襲って来た……?」
「だからこそ癒しだっての」
意味がわからなかったが、ゾラは茂みをそっと押し分けた。
――そこには、4匹の〈森犬〉がいた。
けれど、前に見た“牙むき出しの野生”とは印象が違う。
新緑の残り香が漂う静かな谷間で、寄り添うように眠っていた。
「……眠ってる?」
「昼間は大体こんなもんだよ。あいつらは夜に動く分、日中はだるいんだ」
ゾラは森犬たちを見つめながら、肩の力をふっと抜いた。
「アンタら、〈森犬〉は“危険”だって思ってるっしょ。あれはね……ストレスが溜まってるときだけ。普段は、こんなふうにのんびり生きたいだけの奴らなんだよ」
その声は珍しく柔らかかった。
アルブがそっと耳を近づける。
「ほんとだ……すごくゆっくりした音……」
俺には何も聞こえないが、アルブには“呼吸のリズム”が聞こえるのだろう。
「で、なんで俺たちを連れてきたんだ?」
「アオ。アンタの歌、癒しになるって言ったろ。今、こいつらにも聞かせてみろ」
「え、まさか……ここで?」
「ここで。大声じゃなくていい。静かに。〈森犬〉は良い音が好きなんだよ。荒ぶってる時でも、良い音なら耳を傾けて、仲間として認めるはずだ」
(俺の歌……〈森犬〉に届くのか?)
半信半疑で、ゆっくり息を吸う。
(……落ち着け。あの時みたいに……)
静かに、一小節だけ歌った。
昨日、街の風の音から拾ったメロディ。
すると〈森犬〉たちの耳が、ぴく、と動いた。
敵意の気配はない。
ただ、ゆっくりと……眠りが深くなるように見えた。
「……すげぇ。効いてるじゃん」
ゾラの声が、珍しく感心していた。
「アオの歌、〈森犬〉にも届いてるよ……!」
アルブが囁くように喜ぶ。
木漏れ日が光る新緑の森に、静かな風が通った。
葉が揺れ、その音が自然の伴奏のように重なる。
(……こういう音も、曲に入れたいな)
森犬の深い呼吸。
風が木をなでる音。
アルブの小さな笑い声。
ゾラの短い息遣い。
全部混ぜれば、俺にしか作れない音楽になる。
「なぁ、ゾラ」
「ん?」
「……一緒に音楽やらないか?」
言った瞬間、ゾラの尻尾が止まった。
数秒の静寂。
そして、ふっと笑う。
「やなこった」
即答だった。
「アタイはね、群れない生き方してんの。誰かと組むとさ……誰かに合わせないといけなくなるだろ? アタイの性分じゃないや」
それは、昨日の出来事とは違う種類の、もっと深くて、古い影だった。
「でも、アンタらは嫌いじゃない。暇だったらまた付き合ってやる。こいつらも喜ぶしな」
照れ隠しのように、ゾラは〈森犬〉を指でつついた。
「ほら、帰るよ。あんま長居するとこいつらも落ち着かないだろうしな」
「うん……!」
アルブが笑って立ち上がる。
俺も立ち上がりながら、森を見た。
今日拾った音たちが、確かに胸に残っている。
〈森犬〉の呼吸、風の揺れ、ゾラの本音。
(この街と森と仲間の全てで、一曲を作ろう)
こうして、俺たちの“音集め”は少しずつ形になり始めた。
新曲の核心が、ようやく見えてきた気がした。




