音のない世界
俺の名前は松任屋碧。
誰を連想した?
……そうだよな。やっぱり思い浮かぶのはあの人だ。
「お前さぁ。苗字はそんなに立派なのに、音は普通だよな。音楽なのに、音に楽しさがないんだよ」
通ってる音大の嫌な講師はこんなことを言ってくる。
そんなの俺が一番わかってるよ。
だけど、俺はあの人とは全く関係がない。
たまたま苗字が同じなだけで何者でもない。
おとなになっても奇蹟なんか起きやしない。
音大では知識は増える。けれどこの苗字は、勝手に期待の音も連れてくる。
あいつには特別な才能があるらしい、とか。
音楽業界に特別なコネがあってデビューが決まってるんじゃないか、とか。
でも、現実は違う。
ここでは、俺は”特別”ではないんだ。
俺は〈AmP〉という名前でボカロPをやっている。
数字はだいたい二桁再生。たまに動画の上に流れるコメントは「悪くない」「普通にいい」とか。
みんながくれる言葉は尖った針みたいに鋭くはない。
でも、ぐるぐる回る毎日の中で、同じ場所を擦られて――すり減っていく痛みはある。
ここでも、俺は”誰か”ではないんだ。
それでもやめられないのは、俺は俺の音を世界に伝えたいからだ。
ノートパソコンのファンが回り出し、打ち込みのドラムにベースが腹に落ち、和音がいい感じに積み上がっていく。
それを聞き直す瞬間だけ、俺は誰の名前にも頼らずに立っていられる。
大学が終わると俺は、駅前のカフェでバイトをしている。
今日も閉店間際、フロアを拭いていたら、テレビからニュースが流れた。
俺と同い年の国民的アイドル白兎いなばが、ドーム公演を成功させたという。
インタビューで彼女は、まっすぐにカメラを見て言い切る。
「音楽は、世界をちょっぴり良くできます」
――まさに、『完璧で究極のアイドル様』だ。
俺は、世界をちょっぴり良くできない〈音〉を、どれくらい出してきただろう。
終電ひとつ前の時間、シンクを磨いて上がる。
店長が「お疲れ」と言い、カウンターの奥で売上を数えている。
外に出ると、空気は少し冷えて、飲み会帰りのサラリーマンやコンパ帰りの学生――街は楽しそうな喧騒の渦の中にあった。
俺はイヤホンを耳に挿して、自分の未完成の曲を再生した。
昨日、夜中の3時に、半分寝ながら打ち込んだやつ。
――普通に悪くない。
――でも、特別に良くもない。
サビの一歩手前で、旋律が躊躇している。
曲が進むのを恐れて、足を止めている。俺自身みたいに。
俺がノイズキャンセルをオンにすると、世界がすっと遠のく。
――俺は、現実の音を消して生きている。
ノイズキャンセルは、現代の魔法だ。
外の音を消して残るのは、自分が作った電子音の波だけ。世界の音なんて、聞こえなくていい。
この世界には、神様なんていないんだ。
横断歩道で信号待ちの人の背中を眺めながら、ひとり想う。
――松任屋なんて苗字じゃなかったら、もっと楽だったのかな。
そんなはず、ない。
名前が変わっても、俺は俺のままだ。
でも、たまに思ってしまう。
“本物”を連想させる名前だけが、俺を唯一、“現実”に繋ぎ止めているんじゃないかって。
ポケットのスマホが震えて、通知がひとつ。
投稿サイトからのお知らせ「今日の視聴は3件です」を明るい色で教えてくる。
世界は広い。俺の〈音〉が届く場所は狭い。
――それでも通知をスクショしてしまう自分が嫌だ。
小さな証拠でも持っていないと、いつか自分が世界にミュートされてしまいそうで。
青信号に変わった。
白黒の鍵盤に人の波が流れ、靴音だけが拍になる。
交差点の真ん中でふと見上げると、巨大ビジョンが今日2度目の白兎いなばを映し出す。
俺と同じ年。
同じ誕生日。
同じ地球。
違う才能。
「ずっと、このままで、いいの?」
頭のどこかで、そんな声がした。
このままでいいわけがない。そんなことはわかっている。じゃあ、どうしろっていうんだよ。
――いや。そんなことを考えても仕方ない。
イヤホンの中で鳴る未完成の仮メロに、鼻歌を重ねる。
(ここで転調して、あえてベタにいくのはどうだ。ダサいは正しい。正しいは強い)
思考が音になりかけた、そのとき。
白い影が視界の端をかすめた。
耳の長い、ありえない速さの、白。
――うさぎ?
都心の交差点に、白いうさぎ。
現実味がなさすぎて、歩みがわずかに鈍る。
イヤホンの中で、サビのドラムが一拍遅れて跳ねた気がした。
白い影は斜め前を横切り、車線に滑り込む。
反射的に、俺は半歩、身を引いた。
ヘッドライトが強く瞬いた。
クラクションの音。
誰かの叫び声。
ブレーキの摩擦音。
それらの音は俺には聞こえなかった。
目の前の光と体の衝撃だけが、異様に鮮やかに残り、頭の奥で鈍く響いた。
その瞬間、頭の中で未完成のサビが、はっきり輪郭を持った。
ああ、ここだ。
ここで、転ぶように一段上がる。
ベタでいい、真っ直ぐでいい。
(世界が鳴るまで、俺は歌うよ)
俺は、名前に追いつきたくて。
凡人のまま、届かせたくて。
世界に、俺の音を――。
「その音を鳴らすあなたは、だれ?」
どこかで聞いたことのある、女の人の声がする。
俺は――。
そこで音が、途切れた。
……。
……………………。
目を開けた瞬間、世界が鳴っていた。
――風の音。木々のざわめき。鳥の羽ばたき。
耳を刺すように、生々しい。
ヘッドホンを外したみたいに、音が一気に押し寄せてきた。
体を起こそうとして、思わず息をのむ。
そこは見知らぬ森だった。
都会ではまず出会うことのない湿った草の匂い、遠くで流れる水の音。
どこか現実離れしているのに、感覚だけはやけに鮮やかだ。
――夢か? それとも、運び込まれた先の病院か?
さっきの交差点が脳裏をよぎる。
光。衝撃。声。
あの女の人の声が、耳の奥にまだ残っている。
「その音を鳴らすあなたは、だれ?」
何度思い返しても、その〈声〉だけが現実よりもリアルだった。
――いや、そんなことより、さっきの曲。ヤバい、めっちゃ良かった。
忘れないうちに早くメモらないと。
スマホ――はない。
ノート――もない。
「何かメモを取れるものは……」
「ん? これでいい?」
ふと古びたノートとペンが差し出される。
「あ。ありがとう」
俺はさっきのメロディを忘れないように夢中でノートに書き殴る。
「ラーララーララ、ラーラー。うん。いい感じだ」
ひと通りメロディを書き留めて、立ち上がると、違和感に気づいた。
――ここは、どこだ。
「ふふふ。一生懸命だったね」
横で声がする。その声はやわらかくて、風より軽かった。
そこにいたのは、白い髪と赤い目、長い耳をもつ少女だった。
ピンと伸びた長い耳が、風に揺れている。
……うさぎ?
見た目は10代後半、だが目の奥の色はどこか人間より澄んでいた。
「今の、あなたの口から出たの?」
「え、あ、いや……鼻歌というか」
「ハナゥタ? なにそれ?」
彼女が小首を傾げる。
目を瞬かせる俺をじっと見つめながら、さらに問いかけてくる。
「それ……魔法? それとも、呪い?」
そう言って、彼女の耳がピンと立った。
真剣な表情だ。話を聞くと、どうやら、彼女には〈歌〉という概念がないらしい。
世界が、歌を知らない――。
ぞくりとした。
俺がいま“鳴らした”のは、きっとこの世界ではあり得ない音だった。
――それが、俺とこの世界の最初のズレだった。
ノートにメロディを書き終えたころ、森の奥から低い唸りが聞こえた。
空気が一枚ざらつく。音が立つ――複数。
犬のような、いや、もっと荒い獣の息づかいだ。
「やばい、〈森犬〉だ」
自分を〈兎人種〉のアルブと名乗った少女は小さく呟いた。
「子どもといる親の〈森犬〉はとくに気が荒いの」
確かに、茂みの向こうで光る目が3つ。
息が低く鳴っている。低音。
重心が落ちて、地面がかすかに震えた。
(……犬はゆったりした音楽でリラックスすると聞いたことがあるな……やってみるか)
とはいえ怖いことに変わりはない。周りにも聞こえそうな動悸の音を押し殺し、出来るだけ喉の奥で息を整えて、軽くハミングする。
「るーー、るるーー」
シンプルなメロディ。
風が、少し丸くなる。
アルブの耳が一度だけ震え、〈森犬〉の足音が半歩だけゆるんだ。
まるで、緊張の糸が一瞬、たわんだように。
俺はさらに音を続ける。
「怖くない」と音で伝えるように。
空気の密度が少し変わる。
唸りが半音下がり、爪が土を掻く間隔が広がる。
「今の……何?」
アルブが目を見開いた。
「怒りの匂いが、すこし薄れた。何をしているの?」
「……〈歌〉だよ」
「ウタ?」
「この世界には、ないのか」
アルブがこくりと首を傾げる。
俺はもう一度、深呼吸をしてから、短く言葉をのせた。
「――だいじょうぶ」
その二音を乗せた瞬間、風が鳴り方を変えた。
梢がリズムを刻むように揺れ、〈森犬〉の唸りがさらに低くなる。
音が合う。
呼吸が合う。
世界のテンポがひとつ、ゆるんで、安らぐ。
親犬が鼻を鳴らし、子犬を前に押し出した。
子犬はおそるおそる俺の指先を嗅ぎ、尻尾を小さく振る。
彼女が息をのんだまま呟く。
「……怖くなくなった。ねえ、これって魔法?」
「さあ。俺の世界では〈音楽〉って言ってたけど」
「オンガク……」
アルブはその言葉を転がすように繰り返し、耳をぴくぴく動かした。
「いい音だね」
親犬が子どもを連れて森の奥へ帰っていく。
風のリズムもゆっくりとほどけていった。
――これが、最初の“萌え殺し”だった。
〈森犬〉の牙をしまわせただけの、小さな奇蹟。
けれどこの瞬間、世界は確かに一音ぶん、やさしくなった。
「私にもできるかな?」
「なら、試してみよう。リズムで呼吸を合わせれば、きっと届く」
「リズム?」
「うん。こうだ――俺が『ラー』って歌う。君は『うん』って返して」
「うん!」
森の奥で、ふたたび風がざわめいた。
ハミングと、返事。
音と、答え。
世界が、少しずつ鳴りはじめる。
「なんだか、楽しい。ぽわぽわするね」
「そうだな。音楽は楽しいもんだ」
(そう。音楽は楽しいもんだ)
「ねぇ。この〈音〉で……〈闇の魔王〉を止められたりしないかな」
「やみの……まおう……?」
「うん。〈闇の魔王〉アルバストル。この世界を真っ暗にしようとしてる悪いやつだよ」
闇の魔王? まさか、ここは異世界というやつなのか?
――音楽は、世界をちょっぴり良くできます。
俺は白兎いなばの言葉を思い出した。
「闇の魔王を止められるかはわからないけど、音楽は、世界をちょっぴり良くできるかもな」
「そうだよね! でもきっと、アルバストルも止められるよ!」
アルブは、耳をぴょこんと動かしながら、嬉しそうに言った。魔王……全然想像がつかない……。
「それじゃ、改めて。あなたの名前は?」
「あ。そっか。えっと、俺は……松任屋……じゃなくて、アオ。――アオ・マイナ」
「アオ……? 変わった名前だね。でも、こんなところで何をしていたの?」
こうして、世界に――俺の〈音〉が少しだけ鳴りはじめた。
【次話】ep02.ウサギ狩り① →https://syosetu.com/usernoveldatamanage/top/ncode/2960227/noveldataid/27405102/
【キャラクター紹介①】 松任谷碧/アオ・マイナ(20)
石川県出身。
都内の音大で、音楽やメディア、テクノロジーを学ぶ大学生。大学の近くで一人暮らしをしている。
真面目に授業に出ているため、成績は悪くなく、器楽からICTまで、音楽に関わる広い知識を持っている。
基本的には「自分にできることは、何でも頑張るタイプ」だが、その努力は報われずにいる。
本人は、真ん中に立って注目されたいタイプなのだが、それをしようとしても周りに気がついてもらえないことが多い。
ポップスが好きで、AmPというボカロPをやっているが、ほとんど再生されずに悩んでいる。
あまりにも偉大なあのアーティスト夫婦と同じ読みの苗字、
国民的アイドルである〈白兎いなば〉が同じ生年月日であることがコンプレックス。
大学と自宅の間にあるカフェでバイトの帰りに交通事故に会ってしまう。
〈アオ・マイナ〉は、交通事故をきっかけに転生した異世界で名乗った名前。
異世界の住人たちからは〈アオ〉と呼ばれている。




