死の紅玉
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
この世は、どこもかしこもお墓ばかりである。
以前に、友達がそうつぶやいていたんですよ。人は表向き、ちゃんとお墓の面積をとって、そこへ葬っているでしょう?
それでも必ずしも墓石のある場所へ遺体が埋まっているとは限りません。様々な理由で回収されることなくその場で埋もれたり、散ってしまったりするものもあるでしょう。
そして人間というカテゴリーを外せば、もう数えきれないほど。生き物の死を横たえずにいる場所が、世界にどれほど残っているでしょうね。
微生物のはたらきある限り、それらはやがて腐敗して、新しい世界の養分になっていく。これもまた世界を維持していくための営みかもしれませんね。けれども、もしその分解のサイクルに乗らないものが増えてきたとしたら……どうでしょう?
最近、その友達から聞いた昔話がありまして、耳に入れてみませんか?
むかしむかし。
とある村で、せきの止まらない病が広まったことがあるようです。
若いものであれば、数日の間におさまってしまうのですが、歳を重ねたものであるほど回復には時間がかかり、中には命を落としてしまうこともあったとか。
まだ医療の発達していない時勢だったといいますからね。症状が出ると、村人たちは代々伝わる咳止めの薬草などを飲み、あとは神様にすがったり、己の体力をたのみにしたりというのが対策だったそうです。
けれども、とある村の中年の男性が亡くなったときより、ちょっとずつ異変が起こり始めます。
彼は夜の食事中、かゆを飲み干したところでキリのない咳に襲われることになってしまいました。
現代のぜんそくの症状に近いものでしょう。発症者はのどの痛みに始まり、最終的には呼吸困難による苦悶を味わい、それに耐えきれなければ死が待っています。
彼自身、亡くなったのは発症より3日後。他の村人たちからすれば、非常に早い進行でありましたが、彼が臨終の際に口より吐き出したものがありました。
紅玉、と伝わっているそうです。
目にもあざやかな、紅色をたたえる小さい玉を彼は己が身体より吐き出したのです。
彼は村の墓地へ弔われ、かの紅玉に関しては得体のしれないものとして、村のまじない師のもとへ預けられることになったとか。
まじない師はかの紅玉の正体を見極めんと、水につけたり、火であぶったり、薬の汁にひたしたりと、様々に試してみたそうですね。
しかし、目だった変化は見られずに、正体をはかりかねているうちに、村では一向にせきの流行が続いていきます。症状そのものも、重篤化の傾向が見られて若いものでも命にかかわることが珍しくなくなってきたとか。
そして、その重症状態の者は、きまって例の紅玉を出します。口からばかりとは限りません。身体の皮膚を突き破っても出てくることが、ままあるのです。
のど、腹、両腕、両足、局部……いずこからでも、この玉が出てくる可能性があったといいます。不幸中の幸いは、この直後に紅玉を出した者はすぐに落命してしまい、長く苦しむことがないことなのだとか。
二月もすると、玉の数は50をくだらないほどとなっています。
玉を生成する者も老若男女を厭わないものに幅を拡大していますが、生成直後に命を落としてしまうこと以外に、共通点を見つけることができずにいたそうですね。
紅玉そのものの特性も、ひたすらに頑強である点が分かるのみ。刀であっても槌のたぐいであっても傷をつけたり、潰したりできず、加工して利用することもかなわない。
今際にのみ出てくる気味悪さもあって、山や川の中へ捨てることで処分を望む声も少なくありませんでした。それでもまじない師はなお、紅玉の研究を続けて、ひとつ確かめねばならないと判断します。
この玉を吐き出したものの身体の変調。亡くなったばかりの者ならば、もうこれまでたくさん見てきた。時間を置いたものに、何か手掛かりはないかと。
まじない師の血縁のものにも、かのせきの犠牲者はおり、許しを得たうえでその墓を掘り起こしました。
亡くなってからひと月が経ち、土葬されたその姿は肉を腐らせ、まともに正視できる状態ではないだろう……と、掘り返されるまでの誰もが思っていたといいます。
ですが、どうでしょう。
埋まっていた場所より出た、その身体は一部と欠けることなく、あの紅玉の身体となっていたのです。
まじない師も、居合わせた者たちも一様に驚きました。なかば混乱した状態のまま、他の犠牲者たちの墓も衝動的に暴いてしまい、その遺体のことごとくが同じ姿であることを確かめます。
明らかに、本来の死者が迎えるべき姿ではない。
そう察するや、天気が急転します。たちまち空には雲が湧き、叩きつけるような雨が降り出したのですが、これを身に浴びるや激痛が走りました。
まともに受けると、その皮膚はうがたれて血が流れだし、かすめれば衣服も肌も引き裂かれる。まるで雨の一粒、一粒が刃になったかのようでした。
ですが、それらを浴びたとたんに、犠牲者たちの紅玉の身がにわかに崩れ出します。それとともに、紅玉の色をそのまま宙へ浮かばせたかのような、紅色の霧があたりへ立ち込めたといいます。
その霧に包まれていると、何の雨具の用意もないのに、くだんの危険な雨にさらされることはなかったとか。やがて霧がやむと、空は元通りの晴れ模様を取り戻していた、と。
掘り起こされた死体は皆、きれいさっぱり消えていたそうです。村へ引き返したとき、保管していた紅玉もまた、みんな消えていました。そのかわり、村全体もまた紅の霧に包まれ、被害を受けなかったと。
その代わり、村からも墓地からも離れていた山野では、いずれも骨になった動物たちや人間の姿も見受けられたといいます。戻らなかったという村の狩人たちも、おそらくはその中に……。
例の雨へ抗するために、自然の営みに逆らってまでも残そうとした、多数の生存への意思。そのあらわれが、死して残る紅玉だったのかもしれませんね。




