第9話「金曜17時はエプロン紐の危機」
金曜の午前授業。
ノートを閉じた麗奈の姿に、前列の女子が小さくささやく。
「窓際で座ってるだけで絵になるよね」
「ほんと……同じクラスなのが信じられない」
憧れの視線が注がれる。
けれど麗奈の耳には届いていない。
(今日の17時……金曜シフトのクマしゃん♡ 一週間のごほうび……!)
胸の奥で思い浮かべるだけで、心臓が速まる。
***
夕暮れのコンビニ。
自動ドアを抜けた瞬間、麗奈の視線は飲料棚の前に吸い寄せられた。
正座で品出しをするクマしゃん。
その背中で、結んでいたエプロンの紐がするりとほどけかけていた。
(っ……! 危ない……! もし足に絡まったら転倒……棚に頭ゴン……!)
麗奈は反射的にカバンを抱きしめるように胸の前に構えた。
(いざとなれば、このカバンをクッションにする……。クマしゃんにケガは絶対させない……!)
真剣な眼差し。
本人にとっては当たり前の備えだった。
だが通路の端から見れば――
高嶺の花と呼ばれる少女が、なぜかカバンを盾のように構えて正座の店員を凝視している。
その光景は、どう見ても奇行だった。
***
クマしゃんは何も知らず、背中に手を回して紐を結び直す。
「ふぅ〜……これで大丈夫だぁ」
安心したように笑い、またペットボトルを丁寧に並べ始めた。
(はぁぁ……♡ 自分で結び直す姿……まるでぬいぐるみがリボンをきゅってしてるみたい……! 心臓が……もたない……! これ、完全に恋でしょ……!)
雑誌を胸に抱きしめ、麗奈は赤面して足をそわそわさせた。
***
帰宅後。
制服のままベッドに倒れ込み、観察ノートを開く。
〈金曜17時=尊い正座〉
〈エプロン紐解け=命の危機案件〉
〈カバン防御=当然の備え〉
〈紐結び直し=恋の証拠〉
ページの端には、大クマしゃんが自分でリボンを結び直し、小さなコグマが「すごい♡」と拍手している落書き。
その周りには「恋♡」「運命♡」「尊死♡」と文字が飛び散っていた。
「……やっぱり……クマしゃんの安全を守れるのは私。そう感じるこの気持ち……恋だよね、間違いなく……♡」
真剣に頷く麗奈。
だが外から見れば、やはり「店員のエプロン紐に過剰反応してカバンを構える奇行少女」でしかなかった。