第6話「土曜のお昼は心臓渋滞」
土曜日。
午前の授業を終えた教室で、麗奈は静かに本を閉じた。
その仕草ひとつで、周囲は自然と目を向ける。
特別なことはしていない。
けれど、背筋の通った佇まいと落ち着いた表情は、凛とした印象を与えていた。
先生にあてられても慌てず答え、窓の外を眺める姿さえ絵になる。
無理をしているわけではない。
ただ自然体でいるだけなのに、クラスメイトは「麗奈さんってやっぱり違う」と囁いた。
(……でも、本当の私は今、全然冷静じゃないの。今日は12時から……お昼のクマしゃん♡)
金曜に「人形拾われ事件」が起きたばかり。
その記憶が頬にまだ残っているようで、麗奈は少し早足で駅へ向かった。
***
昼の駅ナカコンビニ。
自動ドアをくぐった瞬間、麗奈の心臓は跳ね上がった。
飲料棚の前。
やっぱりいた。
正座して段ボールを抱え、ぽっちゃりした体を揺らしながらペットボトルを並べていくクマしゃん。
人混みのざわめきの中でも、のんびりとした声を漏らしていた。
「ふぅ〜……ちょっと混んでるなぁ」
(やっぱり……かわいい……! 土曜シフト、破壊力すごすぎ……!)
口元が緩むのを必死で手で隠す。
頬はすでに赤い。
***
そのとき。
小さな子どもが母親の手を離れ、ふらりと飲料棚に近づいた。
足元がもつれてよろける。
「わっ……!」
危ないと思った瞬間、クマしゃんが正座のまま体を傾け、がしっと子どもを支えた。
「けがはないですかぁ」
おっとりとした声。
優しい笑顔。
子どもはきょとんとしたあと安心したようにうなずき、母親が「ありがとうございます!」と深く頭を下げた。
(ちょっ……! けがはないですかぁ、だって……! やさしさ全開……! 大クマしゃんがコグマを守ってる……! ぐふっ♡)
麗奈の脳内には、つぶらな瞳の大きなクマしゃんが、小さなコグマを大事に抱きしめているイメージが広がる。
心臓は完全に渋滞。
頬を押さえ、足をバタつかせたい衝動を必死に堪えた。
***
ようやく気を取り直し、商品を手に取ったそのとき。
鞄の口からハンカチがするりと落ちた。
「あっ——」
屈むより先に、大きな手がそれを拾い上げる。
「落としましたよぉ」
にこりと笑って差し出される。
昨日に続いて、二日連続で拾われた。
(や、やば……! 二日連続……!? しかも笑顔セットとか……尊死パート2なんですけどぉぉ!)
「っ、ありがとうございますっ!」
裏返った声を残し、麗奈は商品を抱えてレジへと逃げ込んだ。
***
帰宅後。
ベッドに倒れ込み、枕を抱きしめて転げ回る。
「ふへへっ♡ “けがはないですかぁ”とか……やさしすぎでしょ……! それにまた拾ってくれるとか……神対応リピートぉぉ!」
観察ノートを開き、今日の欄に震える手で書き込む。
〈土曜12時=混雑の中で尊い正座〉
〈子ども支え事件=父性MAX〉
〈けがはないですかぁ=心臓停止案件〉
〈ハンカチ拾い二日連続=運命確定〉
ページの端には、大きなクマしゃんがコグマを抱っこしている落書き。
その横に「尊い♡」と書き込み、ハートを乱舞させた。
「……これもう……恋とかじゃなくて……人生の答えじゃない……?」
涙目でにやけながら、麗奈は枕に顔を埋めた。
土曜のお昼の記憶は、また彼女をおかしくさせるには十分だった。