第4話「声をかけられたらアウトです」
火曜日。
麗奈は、教室で淡々と授業を受けていた。
指名されれば落ち着いた声で答え、ノートには要点が整然とまとめられる。
昼休みに友人から「ノート見せてくれる?」と頼まれれば、ひと言「どうぞ」と差し出す。
麗奈にとっては当たり前のこと。
取り繕っているつもりもない。
けれど、その自然体な姿は周囲から「完璧なお嬢様」と憧れられていた。
そんな麗奈が今、机の下でしていたことは——ペンを走らせること。
ただし書き込んでいたのは授業内容ではない。
〈クマしゃん(落書き)〉
丸いシルエット、正座している小さな体、ぽっちゃりした頬。
思わずキャラクター化してしまったクマしゃんの絵が、余白にちょこんと並んでいる。
(やば……。授業中に……わたし、なに描いてんのよ……)
ノートを閉じる。
けれど、ページの端っこから覗く落書きを見て、口元がゆるむ。
(……かわいく描けちゃってるじゃない。ふへへっ♡)
心の奥は、すでに放課後の予定でいっぱいだった。
(火曜は17時から。……シフトは把握済み。行くに決まってる)
***
駅ナカのコンビニ。
自動ドアを抜けた瞬間、胸がドクンと鳴った。
飲料棚の前。
正座して段ボールを抱えるぽっちゃりした背中。
「ふぅ〜……ねむいなぁ……」
おっとりとした声に、麗奈の頬が一気に熱くなる。
(ねむねむクマしゃん……かわいすぎ……っ! アゴの下ポンポンして『がんばったね』って言いたいぃぃ……!)
口元を押さえて、にやけが漏れないように必死。
心臓の音はとても隠せない。
***
そして事件は起きた。
麗奈が棚の商品を取ろうとした瞬間、同じボトルに熊田の手が伸びてきた。
「……あ」
「……っ」
指と指が、また重なった。
昨日の“奇跡”が再び訪れる。
「す、すみません……」
「い、いえっ……!」
麗奈は慌てて手を引いた。
耳まで真っ赤。
それでも熊田はにこりと笑って言った。
「これ、人気なんですよぉ。甘くて飲みやすいから……好きな人、多いんです」
(す、すきっ!? 今、“好き”って……!)
勝手に恋愛ワードに変換される。
胸が爆発しそうで、咄嗟に飛び出したのは——
「わ、わたしも……す、すき……ですっ!」
噛みまくった声。
自分でも恥ずかしすぎる。
熊田は少し驚いた顔をしてから、「そうですかぁ」とおっとり笑った。
(無理……っ! やさしい笑顔とか……寿命持ってかれる……!)
麗奈は商品を握りしめたまま、逃げるようにレジへ。
***
会計を終え、袋を受け取った瞬間。
「ありがとうございましたぁ」
視線が重なった。
のんびりした声と、やわらかな笑顔。
「っ!」
心臓が跳ね、麗奈は袋を抱えて外へ飛び出した。
***
帰宅後。
ベッドに倒れ込み、枕をぎゅっと抱きしめる。
「ふへへっ♡ 指が……またぁぁ……! 会話ぁぁ……! “好き”とか……! これ完全に告白ぅぅ!」
観察ノートを開き、今日のページにペンを走らせる。
〈同じ商品に手が重なる=運命確定〉
〈“好きな人多い”=わたしに言ってる〉
〈返事→噛みすぎて死亡〉
〈でも笑顔=即死級かわいい〉
ノートの端には、また小さな落書きが描かれる。
正座するクマしゃん、ぽっちゃりした輪郭、にこにこ笑った顔。
(……もう……わたし、完全に恋してるんだわ……♡)
枕に顔を埋め、涙目でにやけながら、心臓が暴れる音を聞いていた。