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第1話「にやけ禁止令」


 「……ふ、ふへぇ……」


最初の一撃は、放課後の駅ナカだった。

自動ドアの向こう、冷たい蛍光灯の白。飲料棚の前で——名札に「熊田」と書かれた彼が、床に正座していた。ぽっちゃりした体で段ボールを抱え、両手いっぱいのペットボトルを一本ずつ、ゆっくり、丁寧に。ときどき指がもつれて、コトン、と一本落とす。額にうっすら汗。息を整えるみたいに「ふぅ〜」と小さく吐く。


(……む、無理……かわ……っ。にやける、顔が勝手に……!)


口角が裏切る。危ない。麗奈は咳払いで取り繕い、視線だけを棚の端に逃す。

——心は逃げない。ドクン、ドクン、と鳴り方まで変えてくる。



その日の朝、麗奈はいつも通りの彼女だった。

姿勢はまっすぐ、言葉は端正、黒板前では先生より先に要点をまとめる。昼休みにはノートを頼まれ、「ええ、どうぞ」と柔らかく微笑む。告白を受ければ、乱れなく言う。


「ごめんなさい。今は勉強を優先したいの」


完璧。高嶺の花。そういう役割は、ずっと続けてきた。

——でも、時計を見る手つきだけは少し速い。理由は、ひとつ。


(今日は17時から。奥のバックヤードから段ボールを抱えて出てくるのが、だいたい16時55分)


シフトは、もう全部知っている。月曜と火曜と金曜は夕方、土曜は昼、日曜は休み。

誰にも言わない、言えない、わたしだけの「情報」。



コンビニの飲料棚。彼は今日も正座だ。

おっとりした手つきでキャップの向きを揃え、列をぴたりと整える。落とした一本を拾って、照れたように笑う。


「よいしょ……これ、こっちかなぁ……」


(声までおっとり……反則……)


頬がぽわっと熱くなり、胸の内側にざらりとした甘さが広がる。

そして、いつもの“心配タイム”がやってくる。


(膝、痛くない? 冷たい床だよ? クッション敷いて……いや、敷けないよねお店だし! あ、指先——段ボールで切らないで? こけないで、お願い、ほんとに)


彼は知らない。

正座している後ろ姿ひとつで、こっちは感情の大渋滞だ。


にやけ禁止。深呼吸。商品棚の影でこっそり息を整え、ペットボトルのお茶を一本だけ取る。レジには行かない——行くと、声を聞いてしまう。今日は見てるだけ。見てるのが、至福。


自動ドアの冷気が頬を撫で、外のざわめきが戻ってきた。

足取りはいつも通り。心臓だけが、まだ走っている。



家に帰ると、玄関で靴を揃え、家族には完璧な微笑。

「勉強してまいります」

ドアが閉まる音を合図に、ベッドへ——ダイブ。


「……かわいすぎるのよ、ほんとに……!」


枕をぎゅむっと抱きしめる。

ふかふか。あったかい。頬に押し当てると、脳内で今日の正座がスローモーションで再生される。


(お腹、きっとぷにぷに……いや、絶対。証拠はないけど確信はある。触らないけど! 触らないけど! あ、手……ぜったい肉球の感触する……たぶん。わたしの手で検証したい……や、だめだめだめ!)


自分の掌を見つめて、ぎゅっと丸める。

「ぷに……」空想の手応えに、思わず肩が跳ねた。


「な、なに考えてるのわたし……っ」


顔から火が出そう。枕で隠してバタバタ転がる。

息を整えて、机へ戻る。引き出しをそっと開け、表紙に「英単語」と書かれた小さなノートを出した。中身は——英単語よりもずっと、今日に効く。


〈月17:00〜〉

〈火 17:00〜〉

〈金 17:00〜〉

〈土 12:00〜〉

〈日 休み〉


余白に、ちいさく追記


〈正座・長め→膝クッション欲しい(※勝手に導入不可)〉

〈段ボ箱は角が鋭い→軍手ほしい(※これも勝手に導入不可)〉

〈「ふぅ〜」の頻度=がんばってる証〉


ページの端に「K」とだけ書いて、閉じる。

胸の鼓動が、ノートの紙みたいに薄く軽く、でも確かに鳴り続けている。


(……これ、恋? いや、たぶん恋。いやいや、かもしれない。でも、にやける。もう、それで十分じゃない?)


ベッドに戻り、枕を抱いて小さく笑う。


「ふへへっ……♡」


明日は土曜日。12時から。

お昼の光の中で正座している後ろ姿は、たぶん今日よりもっとまぶしい。


——にやけ禁止令、続行不能。

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