第6話再開の地、羽田
第6話:再会の地、羽田
春の気配が東京にも漂い始めた三月中旬、羽石健斗はANAの訓練施設の一室で、教官・長岡の最後のチェックサインを受け取ったばかりだった。フライト・シミュレーターによる訓練のすべてを終え、正式な副操縦士としての任用が確定したのだ。
「羽石、副操縦士。君の所属、正式に決まったぞ」
長岡が硬い表情のまま、淡々と一枚の辞令を手渡す。A4の紙に打たれたその文字列を視線で追い、健斗は思わず言葉を失った。
所属地:東京国際空港(羽田)運航乗員部
羽田――。最も運用密度の高い空港の一つであり、ANAの主力が集まる拠点。副操縦士として一人前に見られるには、これ以上ない現場だ。
「……ありがとうございます」
静かに頭を下げる健斗に、長岡はわずかに口角を上げた。
「気負うなよ。羽田は厳しいが、君のように“挽回”のできるやつなら、乗り越えられる」
昨年、高松空港で大荒れの着陸を強行したあの日。あの直後、長岡に監査室で激しく叱責された。だが、その後も地道に訓練を積み、教官たちの評価を一つずつ回復してきた結果が、ここにあるのだろう。
それから十数日後、3月31日――。
健斗は住居を東京へ移し、スーツケースと制服を持って羽田空港のクルーハウスへと向かっていた。翌日から本格的な羽田配属が始まる。少し緊張していたが、それ以上に、自分が新たな一歩を踏み出す実感の方が強かった。
翌朝、4月1日。
桜が咲き始めた東京の街を横目に、健斗は羽田空港のANAクルーハウスのロッカー室で着替えていた。
「健斗……?」
突然、背後から聞こえたその声に、彼は目を見開いて振り返る。
「……梶……!」
そこにいたのは、航空大学校時代の親友・梶亮太だった。
「おいおい、なんだよその顔。まさかここで会えるとはな!」
梶はすでに制服姿で、ネームプレートには副操縦士の肩書きがついていた。健斗もまた、驚きと喜びが入り混じった表情で彼に近づいた。
「いつから羽田に?」
「3月の中旬には配属されたよ。で、いまは福岡路線をメインに飛んでる。健斗は?」
「昨日、正式に配属決まって……今日が初日」
「マジかよ、じゃあ今日からまた一緒に働けるな」
懐かしさが込み上げてくる。航空大学校の狭い寮で、夜遅くまで訓練の話を語り合った日々が蘇る。あの頃の夢が、いま現実になりつつあるのだ。
午前のブリーフィングが終わった後、健斗と梶は空港内のカフェに立ち寄った。
「で、どうだった?訓練とか、教官は誰だった?」
「……長岡」
その名前を口に出した瞬間、梶の顔色がわずかに変わった。
「マジか。あの“鬼の長岡”とやったのかよ……」
「うん。一年前、高松の着陸のときにめちゃくちゃ怒られてさ……でも、最終的にはちゃんと認めてくれたよ」
梶はしばらく無言でコーヒーを啜り、ふと笑った。
「やっぱお前、根性あるわ。俺だったら折れてたかもな。っていうか、あの頃と変わらねぇな、羽石健斗は」
「そっちこそ。まさかまた一緒に飛ぶことになるとは思わなかった」
「なあ、次のオペレーションで同じ便になったら、頼むぜ?」
「もちろんだよ」
二人は笑い合った。その笑顔の奥には、かつて同じ志を持ち、共に汗を流した日々が確かに存在していた。
これからの羽田勤務、どんなフライトが待っているのかは分からない。だが、健斗には信頼できる仲間と、自分の成長を支えてくれる現場がある。
そして何より――
空が、まだ、彼を待っている。