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第5話「コマンダーの視点」

第5話「コマンダーの視点」

2012年3月1日――。

ANA訓練センター。成田空港近く、管制塔のシルエットがかすむ春の朝。羽石健斗ハネイシ ケントは、静かにブリーフィングルームのドアを開けた。胸には初めての「機長」としての資格証。だが、気持ちは決して晴れやかではなかった。


「……おはようございます」


教官席に座っていた男が顔を上げた。


「おう、羽石機長か。久しぶりだな」


その声音に、健斗の背筋がわずかにこわばる。

長岡彰仁ナガオカ アキヒト。ANA運航監査室所属、訓練教官。1年前――高松空港で荒天の中、機長代理として着陸した健斗を激しく叱責した張本人である。


「君が次の訓練フェーズに進むと聞いてね。ちょうど私が担当だった。……偶然だな」


皮肉なのか本音なのか、読めない微笑を浮かべて長岡は資料をめくる。


「今日の訓練は、ボーイング767での長距離国内線運航。羽田から石垣への往路、続いて那覇から羽田への復路。片道2時間超のルートで、コマンダーとしての判断とマネジメントを問う内容だ。天候急変、急病人発生、ATCの変更指示、あらゆるイレギュラーを織り交ぜるつもりだよ」


健斗は静かに頷いた。


「……お願いします」


長岡は一瞥し、手元のマイクに手をかけた。


「じゃあ、始めようか。コクピットに乗れ、“キャプテン”。」


 


コクピットモックアップの中、B767型シミュレーターは現実と見まがうほどの精緻な風景を投影していた。羽田の34R滑走路、整備士がタキシングサインを送る姿まで再現されている。


「キャプテン、出発許可を」


隣には副操縦士役の訓練生。健斗はマイクを取り、管制との通信を始めた。


「TOKYO GROUND, ALL NIPPON ONE SEVEN ZERO, REQUEST PUSHBACK AND START」


「ALL NIPPON ONE SEVEN ZERO, PUSHBACK APPROVED, EXPECT RUNWAY THREE FOUR RIGHT」


プッシュバック、タキシング、離陸――。


「ALL NIPPON ONE SEVEN ZERO, CLEARED FOR TAKEOFF RUNWAY THREE FOUR RIGHT」


エンジンの唸りとともに機体は空へと舞い上がった。健斗の声に、かつてのぎこちなさはない。チェックリストの確認、副操縦士との連携、巡航高度への移行すべてが滑らかだった。


だが、長岡は簡単には満足しない。


石垣への進入中、長岡は無線越しに試練を与えた。


「急病人発生。キャビンから報告あり。脈が不安定。医療関係者なし」


「こちら機長。与圧を維持し、目的地への直行を優先する。着陸後、救急搬送を手配。モニタリングを継続させる」


即答だった。長岡はそれを記録に記した。


次は那覇からの復路。エンジン火災警報、低気圧による視界不良、ホールディング指示――。


「TOKYO APPROACH, ALL NIPPON ONE SEVEN ONE, HOLDING AT POINT CHIBA DUE TO TRAFFIC」


「ROGER, ALL NIPPON ONE SEVEN ONE, EXPECT FURTHER CLEARANCE IN TEN MINUTES」


冷静な指示、迷いのない決断。


ついに、羽田へのアプローチを終え、接地の瞬間。


(100…50…30…20…10)

「……TOUCHDOWN」


ブレーキ、逆噴射、減速完了。


「BLOCK IN TIME, 15:23」


シミュレーターが停止する。


静寂。


「――終了だ」


長岡がドアを開け、ライトを点ける。


コクピットから出てきた健斗は、緊張がほどけて背中がじんわり汗ばんでいることに気づいた。


「長岡教官……」


長岡は短く手を上げ、資料を机に広げる。


「結論から言おう。合格だ。機長として、最低限の判断力とリーダーシップを示した」


少し間を空けてから、続けた。


「だが、あの日の高松での“あの着陸”が、まだ君の中に残っていたな」


健斗ははっと息を飲んだ。


「君は、必要以上に丁寧すぎる。ミスを恐れて、あらゆる行動が保守的になりすぎている。それは機長としては致命的だ。指示の遅れ、決断の先延ばし、どちらも乗員と乗客に不安を与える」


「はい……」


「だが――その“恐れ”を持ち続けられるなら、君は伸びる」


驚いて顔を上げると、長岡はいつか見たあの冷たい視線ではなく、少しだけ柔らかいまなざしを向けていた。


「1年前、お前を叱ったことを、私は後悔していない。だが……今日のお前なら、あの夜、もっと“いい着陸”ができていただろうな」


健斗は、静かにうなずいた。


「ありがとうございます」


長岡は立ち上がると、最後に一言だけ背中に投げた。


「来月からは長距離国内線副操縦士羽石”として、行くぞ、15日には配属先が言い渡されるだろう羽田か成田もしくは関空それから伊丹のどれかになるだろう引っ越しの準備を済ませておけ!」

 

「わかりました」健斗は伊丹に戻れるのかと考え少しホッとした

 


そして健斗はその夜、制服の胸元に手を添え、羽田の夜景を見下ろしながら、初めての“長距離フライトの朝を想像していた。


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