過去の魔女
「念のために聞くけど、この文字はリアが思い浮かべたわけじゃないんだよね?」
「う、うん……! セイラって人、ぜんぜんしらないもん」
「リアに宿った誰かが魔法を使った——か。それがアンタということでいいんだな?」
空中に浮かび上がった文字を見て、リーバは若干の怒気が込められた声を発する。
ああ、その通りだ。魔法を使ってあんたを傷つけかけたこと、あんた達の商売道具である果樹を傷つけてしまったこと。
そして何より、あんたらの娘、リアの体で魔法を使ってしまったこと、誠心誠意を込めて謝罪させてもらうよ。本当に、すまなかった。
リアに宿っちまったことも含めて——ね。
「こうもしっかりとした謝罪をされるとはな……。文脈からでしか判断はできないが、一連の出来事はあんたにとっても不本意だったってことでいいのか?」
意表を突かれたのか、リーバは動揺した様子で質問をする。
防御魔法と、回復魔法を使った以外はね。
あんたを風魔法から守るために、傷つけてしまった木を癒すために、ほんの少しだけかもしれないが、リアに恐怖の瞳を向けられないようにするために。
その二つだけは故意に魔法を使わせてもらったよ。
「……あんたが悪人だとしたら、俺に防御魔法をかけ、木の回復なんてするわけがないか。あんたは自分のミスを自分で拭った。しかも謝罪をしてくれたってんなら、これ以上の言及はやめさせてもらうぜ」
リーバの発言に、ワシは大きく驚く。
仕事だけでなく、命の危機だったというのに、ワシを許すと?
リアにワシが入り込みさえしなければ、それらのことは起きなかったんだよ?
「不本意だってんならうるさく言う気はないぜ。もちろん、思うところはあるが、そっちはフォレスの領域だからな。後は魔法使い同士に任せ、助言程度で口を挟ませてもらうさ」
リーバの寛大さに感謝をしつつ、次に発すべき言葉を思案していると。
「……セイラさん、でしたね? その名は魔法の教書に乗っているどころか、魔法使いであれば知らない者はいない、偉大な魔女と同じ名。同一人物と考えさせていただいても?」
フォレスが訝し気な視線をぶつけつつ、質問をしてきた。
偉大なのかどうかは知らないね。どのようにワシの名が残っているのかも分からないし。
強いて言えることがあるとすれば、魔法の体系を誰でも学びやすいように簡略化させたくらいか。
「確かにその偉業は記されてますが……。いや、私たちの時代に至るまでに過剰に加筆された部分もあるかもしれませんしね。分かりました、この件については後回しにいたしましょう」
ある程度の納得を見せつつ、フォレスは次の質問について思考を始める。
ワシからも質問をしてもいいかい? この時代は、ワシが生きていた時代からどれだけの時が経っている?
現在の世情とかも教えてくれると嬉しいが。
「現在は魔法歴550年。セイラさんが主に活動されていた時代からは、600年前後が経過していることになるでしょうか」
「他の集落から離れた辺境の村だからな、大した情報があるわけじゃないが……。少なくとも、俺たちが住むフルの村が所属している国——クルード魔法王国は平和そのもの。ま、モンスター関連でゴタゴタが起きる時はあるが」
二人から得た情報を利用し、ワシは思考をめぐらせる。
いくら辺境の村だとしても、世界を揺るがすような問題が発生していれば嫌でも情報は入ってくるはず。
それがないのであれば、奴はまだ活動していないとみてよさそうだね。
準備をするのにちょうどよい時代にやってこれたのか、それとももう間もなく始まっちまうのか。
正確な情報を集める必要はあるが、ワシの目覚めが遅れなかっただけ良しとしようかね。
「なあ、セイラさん。あんたはなぜ、この時代にやってきたんだ? 俺はあんたの知識はほとんどないが、すげぇ魔法使いだってのは分かる。自身の時代で活躍できるだろうに、なぜその時代を捨ててまで?」
リーバの質問に、ワシの心が大きくざわめき立つ。
どうやら、この時代の人間はずいぶんと平和慣れしちまったようだね。
いや、それ自体は良いことだ。こうして、魔法を使えない人間と使える人間が共に暮らし、協力して生きていけているんだから。
「……? どういうことだ? あんたの時代では、人々がいがみ合って暮らしていたのか?」
話を聞き終えたリーバの言葉には、動揺と疑念が含まれていた。
ああやっぱり、あんたたちは知らないんだね。
魔法使いへの迫害を、人間同士の争いの時代を。
ワシが偉大な魔女? 違うね。
ワシは多くの人間を建物ごと焼き払い、国ごと破壊してきた悪の魔女。
人はワシのことを魔法使いの王——魔王と呼んでいたよ。
「あなたが魔王!? そんなはず……。そんなはずはありません! あなたは五人の弟子と共に魔王を打倒し、世界に平和をもたらした偉大な魔女だと……!」
フォレスが大きく動揺して声を荒げたことで、リアが体をびくりと震わせる。
自身の信じるものと異なる話題が出たからと言って、娘の前で声を荒げるのは良くないねぇ。
よしよし、大丈夫だよ、リア。お母さんはあんたに言ったんじゃなくて、ワシに言ったんだからね。
「そ、そうですね……。ごめんね、リア。驚かせちゃって……」
「うん……。ちょっとびっくりしちゃったけど、だいじょうぶだよ」
「俺の知識にもフォレスと同じものがあるから驚いてるぜ。知らない人などいないと言われるくらいには有名な話だからな。フォレス、気を静めるためにもリアに読み聞かせてきた絵本を取ってきな。その間、俺たちが話を聞いておくから」
リーバの勧めを受け、フォレスは席を立って別室へと向かっていく。
それにしてもまいったね。ワシらの時代とこの時代とで、こんなにも大きな認識の違いが生まれているとは。
ワシが魔王を打倒した——か。それができればどれだけ良かったことか。
「ねね、セイラ——おばあちゃんでいい……のかな?」
言葉として宙に浮かび上がらせないように努めながら思考を続けていると、リアがワシに声をかけてきた
おばあちゃん……か。ああ、おばちゃんでもおばあちゃん呼びでも構わないよ。
聞きたいことがあるみたいだが、どうかしたかい?
「ほんとに、ほんとにセイラおばあちゃんってわるいまじょさんなの? 私にはおばあちゃんがわるい人に思えない。パパと木のことをたすけてくれたもん!」
リアから純真無垢に尋ねられ、記すべき言葉に詰まる。
確かに、あんたたちのことは助けたいって思ったさ。
けれど、多くの人に攻撃を仕掛けたってのも本当のことなのさ。
ちょうど、あんたのお母さんも戻ってきたようだね。
絵本の内容を聞かせてもらいながら、当時の話でもさせてもらうよ。
「私がセイラおばあちゃんによみきかせする!」
「ふふ、良いわよ。少々聞き苦しい点もあるかもしれませんが、ご容赦いただけると」
リアはフォレスから絵本を受け取ると、喜び勇んでそれを開く。
ふーむ。良く分からんが、懐かれちまったのかね?
「むかーしむかしのお話。あるところに、一人のまじょと五人のまほうつかいがおりました」
小さな絵本に記された文字たちを、リアがおぼつかないながらも読み上げてくれる。
一人の魔女がワシのことで、五人の魔法使いってのがあいつらのことか。
人数は合っているみたいだね。
「かのじょたちはあちこちをめぐりながらまほうを学び、まただれかにまほうをおしえながらたびをつづけ、時にこまっている人をたすけていました」
絵本に記されている情報は、今のところワシの記憶と齟齬はない。
まあ、この裏側で多くの人に恐怖されていたわけだが。
困っている人を助けてきたってのもまた事実だからねぇ。
「ある日、かのじょたちは大きな国にやってきました。ふしぎなことに、その国の人々はとてもかなしそう。とてもわるいまほうつかいのおうさま、まおうにこまらされていたのです」
ここでワシの記憶と若干異なる情報が現れた。
魔王に困らせられていたというのは事実だが、それはワシとその国が戦っていたから。
ワシという魔王に困らせられていたというのが事実だね。
「お話を聞いたかのじょたちは、まおうをこらしめるためにまおうのおしろへとのりこみました。まおうの力はとてもつよく、とてもくるしいたたかいになりました」
ワシは城に住んでいたことなど当然ない。
討伐しようと挑んでくる者は数多くいたが、とても相手になる者はいなかった。
命を見逃せばより悪意が込められた情報を拡散され、命を取れば深い憎悪を抱かれる。
それを避けるためには逃げるしかなかった。
逃げる形で各地を旅し、困窮している人々に手を貸す。されど、ワシらに向けられる視線は恐怖ばかり。
「このままではまおうをたおせないと思ったまじょは、でしたちからまりょくをもらい、まおうにぶつけることに。それはみごとにせいこうし、まおうはくるしみながらもこう言いました」
ここまでくると、もはやデタラメもいいところ。
いったい誰がこの話を考え、本にして広めたんだか。
「私のまけです。ひとびとからうばったものをかえし、きずつけたたてものをなおすことをやくそくします。どうか、ゆるしてください。まじょたちはまおうをつれて国へともどりました」
魔王を連れ帰ったという部分で、この物語に感心する。
子供向けということで血なまぐさい話を避けたんだろうけど、命を取るという形で終わらせないとはね。
「いっしょうけんめいたてものをなおしていくすがたを見て、さいしょはこわがっていたひとびとも、いっしょにたてものをなおしはじめました。国とまおうがなかよくなっていくすがたをみて、まじょたちはたびをさいかいするのでした」
最初は話半分に聞いていたが、いつの間にかワシの心は羨ましいという感情で満たされていることに気づく。
ワシもこの物語のような終わりを迎えられていたらねぇ。
だがもう、あの時代からは600年近くが経っちまってる。
叶わなかった話に思いを馳せるには、あまりにも遅すぎるね。
「やがてまじょと五人のでしはべつべつの道へとすすみ、人々がもつなやみをかいけつしつづけたのでした。これでまじょと五人のでしのお話はおしまい! セイラおばあちゃん、どうだった?」
絵本を閉じつつ、リアはワシに感想を聞いてきた。
どうって言われてもねぇ。ワシが経験してきた日々とは、ずいぶんと形が変わっちまってるってだけは言っておこうか。
ワシは魔王と戦っていないどころかワシが魔王と呼ばれていたし、魔王を許そうっていう雰囲気も当時の人間たちの間には存在しなかった。
魔法使いたちは、魔法という悪魔の技術を学んだ存在として恐怖され、迫害された。
魔王を倒せば全ての魔法使いたちも消え、平和になると本気で信じられていたほどさ。
「俺たちが知っている歴史、今の世界と大違いじゃないか……。あんたの時代を生きた魔法使いたちにとっては、地獄のような日々だったんだろうな……」
「多くの人々の尽力があったからこそ、今がある……。そんな状態から現代の状態に変えられたのは、偉業なんて言葉では言い表しきれないですね……。ですがなぜ、その歴史が現代で語られていないのでしょうか……?」
ワシの語る歴史を聞き、フォレスとリーバは大きく困惑する。
史実通りに歴史が紡がれていれば、今みたいにややこしくなることはなかっただろう。
けれどその代わりに、魔法使いと魔法を使えない人々の間で大きな溝が存在し続けただろうさ。
真なる歴史を語り続けることが正しいとは限らない。
虚構と真実とを織り交ぜ、世界を安定させることも大切だからね。
「嘘の歴史を教えられてなければ、魔法を使えない人間と魔法使いとが協力して生きていけなかったかもしれない……か。ま、真実の歴史が語られていたとしても、俺はフォレスと出会い、リアという娘にも恵まれただろうけどな!」
「まあ、あなたったら。こうなると、真実の歴史を調べてみたくなってきましたが……。誰かが紐解いたことで世界の今が変わってしまう可能性を思うと、手を出しにくくも感じてしまいますね……」
フォレスは真実の歴史に興味を抱きつつも、歴史を紐解くことに懸念を抱いたようだ。
ワシとしても、安定している状況を崩したいとは考えていないさね。
聞かれたら答える程度に収めるつもりさ。
「う~……。みんながなにを言ってるのかよくわかんない……」
「ハハハ、リアにはまだ難しい話だもんな。たくさんの人たちがいっぱい頑張ったから、今の暮らしがあるってだけ分かっていればいいさ。さて、イサラさん。あんたの目的はまだ聞いてなかったよな? 教えてくれるか?」
話を理解できずに落ち込んでいたリアを慰めながら、リーバが質問をしてくる。
ワシの目的か。それはね、魔王を討伐することだよ。