現代の様相
「ママー、きがえてきたよー! 今日のあさごはんは~?」
「こ~ら、まずは手と顔を洗ってきなさい。今、ベーコンエッグも作ってるところだから」
母親と思しき人物の指示を受け、ワシは洗面台へと駆け出す。
目の前には鏡が現れ、ワシが映し出される。
茶色い髪を肩まで伸ばした五歳程度の少女。それが、現在のワシの姿。
しかし、この体をワシが操ることは叶わず、誰かが操作をしている様子。
正しくは、茶髪の少女の体にワシという存在が混ざりこんでいる状況なんだろう。
間借りさせてもらっているに等しい存在が抱く感情ではないが、体が勝手に動くというのはどうにも気持ちが悪いね。
「おかおあらって~。おふひゆふいへ~。おててもあらってぴっかぴか~。ママー、あらってきたよ~!」
「はーい。じゃあ、いただきますをしてご飯食べちゃって~」
思ってもいない行動を取られながら、なぜこのようなことになってしまったのかと思案する。
あの時代からどれほどの時が経っているのかは分からないが、この一家の様子を見るに世界は平和な様子。
いや、家の中の状態を見ただけで世界情勢を把握するのは尚早か。
どうにかして情報を集めないとね。
「いただきまーす! あ~む、むにゅむにゅ……。ゴクン。おいしい~!」
ふむ、リンゴの甘みとほのかな酸味を感じるジャムがパン本来の甘みを強調し、まさに絶品だね。
ワシらの時代にはこれほどの甘味を用意するのは難しかったが、砂糖等の量産がうまく——違う、違う! 食の情報を得ている暇なんてないよ!
「ベーコンエッグが焼けたわよ~。パンに挟んでおく?」
「おねがーい。う、おやさいもはさんでる……。食べなきゃだめ……?」
弟子たちがどれほど力をつけ、この時代へ技術を進ませたのかも確認しないとね。
魔法の強化はできたのか? 魔法の普及も進んだ——うん、目玉焼きのトロリとした食感、少し強めに焼かれたベーコンの香り、野菜の苦みが織りなすハーモニーがまさに絶品だねぇ。
「うう……にがい……。ジュースのもっと……」
ダメだ、思考に割く余裕ができない。
思えばワシは、研究にかまけて食事をおろそかにしてきたっけ。
少しくらい味わってみても、バチは当たらないかね。
「ゴクン……。うう……。にがいけど食べられた……。ごちそうさま……」
「ふふ、ちょっと前まで絶対に食べないって言ってたのに、偉いじゃない」
ハムエッグサンドを食べ終えた少女は、疲れ果てた様子で深くため息を吐く。
ワシは新鮮な野菜を食べられたことが嬉しいが、この子はそうじゃないみたいだね。
まあ、幼い子供が野菜を嫌うってのはよくある話か。
「パパはもう農場に行ってるよ。お片付けが終わったら出かけるから、部屋に戻って寝なおしたりしないでね」
「はーい。まってるあいだで、歯、みがいてくる!」
少女は椅子から飛び降り、再び洗面台へと向かっていく。
彼女に間借りさせてもらっているワシも当然連れていかれ、歯を磨かれる羽目に合う。
自身の手で磨けないのは非常に気持ちが悪い。というか、この子の歯磨きはずいぶんと適当じゃないか?
「ぶくぶくぶく……。歯みがきお終い! ママー、おかたづけ終わった~?」
「まだよ~。ずいぶん早いけど、ちゃんと歯磨きしたんでしょうね?」
「ちゃんとみがいたもん! じゃ、私がゆっくりなママのお手伝いする! テーブルの上にあるのをかごに入れればいいんだよね?」
少女は椅子の上へと登り、テーブルの上に置かれていた水筒、軽食を詰め込んだ小箱、紙に包まれたサンドウィッチを詰め込んでいく。
うん、母親のお手伝いもできるいい子じゃないか。
ちょっとしまい込み方が雑ではあるけど、十分だね。
「お手伝いしてくれてありがと。洗い物も終わったから、パパのところに行こっか!」
「うん! パパがいるところにしゅっぱーつ!」
少女は母親と手をつなぎ、屋外へと繋がる扉へと引っ張っていく。
さて、私たちの時代と比べて世界はどうなった?
ほんのわずかだとしても、情報を得られるといいんだが。
扉が開かれ、暖かな日差しが差し込んでくる。
まばゆい光に目が慣れた後、映り込んだのは——
「わあ……! とってもいい天気だね!」
「ふふ、そうね。今日はお洗濯日和で畑仕事日和よ」
快晴の青い空の下、素朴で小さな建物たちが軒を連ねていた。
道を進む人々の顔色はとても良く、草木も元気に育っている様子。
それなりに規模はあるようだが、ここは村のようだね。
村が平和であるということは、所属している国もある程度安定している証左。
あくまで村の一角を見た程度だが、この時代は平和寄りだと言ってよさそうだ。
次は魔法に関する情報を得られるといいんだが——
「あ、ゆうびんやさんだ! こんにちはー!」
少女が手を振りつつ見上げた先には、大きな杖に足を乗せて空を移動する人物の姿が。
空を飛ぶ魔法なんてもんは、ワシが生きていた時代には存在していなかった。
しかもあれほど堂々と人前で魔法を使いでもしたら、すぐさま捕らえられたというのに。
「あら、リアちゃんとフォレスさん。もしかして、農場に行くのかい?」
「ええ、そうです。夫に朝食を渡すのと、収穫のお手伝いをしようと思って」
「ふふ、フォレスさんがうらやましいわ~。私の息子なんて、学校が長期休暇だからって朝から晩まで遊び歩いているんですもの。ちょっとくらいは手伝いなり、簡単な魔法でもいいから勉強してくれればねぇ……」
リアとフォレス。これが親子の名前らしい。しかしワシは、二人の名前を知りえたことよりも、勉学の場で行われていることの方に興味を抱いていた。
子供に魔法を教えるようになった——か。
魔法を教えることはワシらの時代でもあった。あったが、それは恐怖を煽ることばかりの、学びとはかけ離れた思想の押し付けだった。
魔法を使ってはいけない。魔法を使えば悪魔に取りつかれる。
魔法を使っている者は悪魔の使者だ。などといった、妄想甚だしい戯言ばかりが教えられていたんだ。
まあ、そうなった理由もあるにはあるんだが。
「リアちゃんも再来年に入学だったわよね? まだ早いかもしれないけど、お勉強も頑張るのよ?」
「うん! まほうのおべんきょう、がんばる! りっぱなまほうつかいさんになるのが夢だから!」
魔法使い。その名はワシの時代には忌避すべき言葉であり、排斥の象徴だった。
この時代は、もはや人が人を排斥するような時代ではなくなったようだね。
弟子たちは多大な苦労をしつつも、やり遂げたってことか。
ならばワシも、この時代でやるべきことをやらないとね。
とはいえ、この子の体に宿っちまっている以上、どうすることもできないってのが厄介だ。
はてさて、この状況をどう打破したもんやら。
「それでは私たちはこれで。夫がお腹を空かせて倒れていたら大変ですからね」
「あらやだ。引き止めちゃってごめんね~」
女性たちと別れたリアとフォレスの親子は、村の一角に見える農場に向かう。
あの農場、野菜ではなく樹木ばかりを植えているようだね。
朝食で食べたリンゴのジャム——つまり、あそこに見えるは果樹園ってところか。
「リンゴのにおいがしてきた~! ねね、お手伝いしたら食べてもいいかな?」
「頑張ればきっと、ね。たっくさんもらってきて、アップルパイを作っちゃおっか!」
リアは大きく喜び、フォレスの手をより強く引く。
二人は果樹園へとたどり着き、もう一人の家族の元へと向かっていくようだ。
「あ、いた! パパー! お手伝いに来たよー!」
「ん? おお、リアにフォレス! 二人が来てくれたのなら、百人力だな! おーい、みんな! うちの魔法使い様が来てくれたぞ!」
フォレスの夫と思われる人物の発言を聞き、ワシは大層驚く。
彼女が魔法使い? 魔法使いが村落に落ち着き、こうも馴染んでいるとは。
他の農家の者たちも、恐れなどの負の感情を抱いている様子は見られないうえに、大喜びとはね。
魔法使いの到着を喜ぶ人の姿は、かつての世界でもあった。
だがそれは、隠れて暮らすことに疲弊した魔法使いたちが投降し、処刑場へと送り込まれていく様子を見て、だ。
「収穫していい果実の選定は終わってるの?」
「ああ。収穫役が待機してる木からやってくれるか?」
フォレスは夫の要請にうなずくと、肩にかけていたカバンから小さな枝らしき物を取り出す。
それに向けて何やら呪文らしきものを唱えている様子を見るに、魔法を使うつもりなんだろう。
この時代の魔法使いの力、見せてもらおうかね。
「隠れ潜めていた姿現し、その力を顕現せよ」
魔法の詠唱が完了すると同時に、フォレスが持っていた小さな枝が彼女の背丈とほぼ変わらない大きさの杖へと変化した。
杖のような細い物体など、小さな枝程度の大きさにまで縮めようものなら、折れたり壊れたりしていたというのに。
物体の圧縮もここまで容易に、確実にできるようになっているとはね。
「それでは始めます! リア、皆さんと一緒に少し離れててね?」
「わかった! ママ! がんばってねー!」
リアがフォレスの元から離れていくということは、ワシも強制的に距離を取らされるということ。
間近でこの時代の魔法を見て、感じたかったが、娘を巻き込みたくないという母親の気持ちは良く分かる。
体の操作権を得られていないということもあるが、おとなしく引き下がるとするかね。
「吹きすさぶ風よ、疾風の刃となりて斬り払え!」
杖の上部に取り付けられた、握りこぶし大の紫色に輝く小さな石。その輝きが増し、表面に何やら紋様らしきものが浮かび上がる。
太陽の魔法陣か。かつてと全く同じ魔法陣となると、時が経っても変わらないものもあるってことか。
さて、魔法は無事に発動するみたいだが?
紫色の石が強く輝いたと思うと、周囲に存在する空気が杖の元へと集まっていく。
フォレスはそれらが十分に集まったことを確認すると、果実で揺れる木に向けて振り下ろした。
「わぁ~! ママ、すごーい!」
杖の周囲を漂っていた空気はいくつもの小さな刃に変化すると、真っ赤に熟れた果実の枝のみを器用に斬り落としていく。
へえ、果実を傷つけずに枝だけを払っていくとは大したもんだ。
しかも、役目を終えた空気はつむじ風となって果実を受け止め、収穫役が持っているかごに運んじまうとはね。
なるほど、なかなか良い時代に来れたじゃないか。
さてさて、この時代でワシはどこまでやっていけるかね。