浮気な恋の障害にされた私だけど、争いは同じ程度の人間同士でしか起こらないので!
休暇を終えてカリーナは、騎士団の本部へと向かった。
王城に隣接されて作られているその建物は、基本的には騎士団の人間以外は入ることはない。
しかし、警備がされていて入ることができないように厳重に管理されているというわけではなく、関係者以外立ち入り禁止と書いてある程度だ。
入ったところで何があるというわけでもなく、そこにいるのは基本的に戦闘能力の高い人間だけだ。
塀も門も王城に比べるとちゃちなものだし、どこかの誰かが入り込んでも騎士たちは少し首をかしげるだけで基本的には無関心。
カリーナも門の外で馬車を降り、遠目から入口付近に制服を着ていない部外者がいることを確認していたがあまり気にしない。
トランクと腰につけた剣を揺らしながら、ただ自分の部屋へと行って今後の任務の確認をするだけである。
それに、こういうことはままあるのだ。
男が多い集団であるため、妻が乗り込んできてとんでもない秘密を暴露したりということもあるし、一夜の遊びで手を出した若い女が泣いて手が付けられないということもある。
……まぁ、珍しくはないけれども、注目の的にはなる。
結局男が多かろうと女が多かろうと、どちらにせよ、面白おかしい噂というものは人間皆が好きな物だ。
騎士団の建物前で出待ち、入り待ちをされた騎士団員はしばらく噂の餌食になる。
それは自分の立場だったら嫌だけれど、生憎カリーナにはそんなことは無縁であり、普段ならばその面白い噂になるであろう状況に差し掛かった事には嬉しく思うのだ。
そして通り過ぎるときには、いったい誰の身内だろうかと心を躍らせたりもする。
良い事ではないとわかっていつつも、それが人間心理というものだろう。
けれどもそれをする余裕は今のカリーナにはない。
というのも、この連休が最悪のものになったからであり、それもこれもすべて婚約者のフィデルとその恋人であるエリシアのせいである。
彼らはカリーナというものがありながら二人で心を通わせて、さらにはその二人の愛情を成就させるべく結婚をしたいと思っている様子だった。
カリーナは思い出すだけでも腹立たしく思えてきて、イライラして地面を見ながら歩いていた。
しかし思い出して消化しない事には、ずっともやもやするだろう。今日あたり、パートナーの騎士のロベルトにでも相談をして、今後の対策を……。
そう思考を巡らせながらカリーナは足早に進んでいく。しかし入り口付近にいるであろう誰かの身内をよけるために視線をあげると、目の前にいるのは腹立たしい婚約者であるフィデルだった。
彼は仁王立ちになって、カリーナの行く先を阻むように両手を広げた。
その様子に中にいた騎士団員も、同じように連休明けでやってきた騎士団員もざわめいて、今回の噂の的になる人間は確定した。
……あ、私か……。
「良かった、こうしてあえて、朝からずっとここで待ってたんだ!」
彼は一瞬表情を輝かせて、そんなことを言う。朝から待っていたなんてたくさんの騎士団員に見られたことだろう。
「私たち、どうしてもカリーナに認めてもらいたくてっ、婚約者だとか恋人だとか、そんなことの前に友人でしょう!? 私たち! でも先日、あなたは怒って帰ってしまって……」
フィデルの隣にいたエリシアは悲痛な声を出してぎゅっと手で手を掴んでその手を自分の口元にあてる。
その表情は誰もが守りたいと思うほどに愛らしくて、まるで歌劇のヒロインのようだ。
……怒って帰ったというか、埒が明かないから帰ったというか……。
その言い分に、微妙なニュアンスの違いを感じてカリーナは頬をひくっと引きつらせる。
もう今すぐ彼らを真っ二つに切り裂いて部屋の中に入りたい。
「でもっ、当然よね! 許せなくて当然! あなたの婚約者を奪った私の事なんて嫌いになって当然っ!!」
「エリシア……」
彼女の言葉に、慰めるようにフィデルは肩を抱く。それから、カリーナにゆっくりと視線を向けた。
「それを言ったら俺だって……カリーナというものがありながらエリシアに心を奪われてしまった、それは何より罪深いことだったっ」
「フィデル……」
二人はお互い慰め合うようにして視線を交わす。
カリーナはその姿を苦虫をかみつぶしたような表情で見つめる。しばらくすると彼らは息を合わせたようにこちらを向いて言う。
「だからこそ」
「あなたに誠意を尽くして許して欲しいのよ!」
「この通り!! 頼むカリーナ俺たち二人を祝福してほしい、君を差し置いてこんな関係になってしまった事っ許してくれ!!」
「私からもお願いっ、私たち友達でしょう! カリーナ、どうか愛している私たちを引き裂くようなことを望まないでっお願いします!! カリーナ!!」
そうして二人は、そろってカリーナの方へと数歩進み出てそれから膝をついた。
ただでさえ貴族は高貴な身分でそんなことをするなど神に祈る時ぐらいだ。
しかしそれではすまない。玄関ポーチの大理石の上で彼らはそろって額を床にこすりつけて、いわゆる土下座のポーズを取った。
「……」
周りで様子を窺っていた騎士たちは、ざわりとして、皆の視線がカリーナに集まる。
その視線から、彼らの行動は脅しに近いとカリーナは思う。
こんなことをされてまでカリーナが彼らの事を無下に扱ったら、まるでカリーナが嫉妬に狂って彼らを引き裂く悪者みたいに移るじゃないか。
土下座までしているのに、と言われるのは気分が悪い。
「あなたがいいと言ってくれるまで頭をあげないわ!!」
「お願いだ! カリーナ、君には悪かったと思ってる!! 申し訳なかった!!」
誠心誠意の謝罪のように見えるけれど、そんなことをされたって邪魔なだけだし、良いと言ってくれるまでなんてなんて傲慢なのだろう。
彼らのその言動に腹が立って、周りの人間にどう思われるかなど関係なくカリーナは拳を握って怒り心頭のまま怒鳴りつけた。
「だ、だから!! そういう話じゃないってばっ、結婚を約束したときにフィデルの実家は私の実家に借金をしたでしょ!! それがある以上は婚約破棄なんてできないだってば!!」
昨日も懇切丁寧にその話をして、たまの連休をつぶしたというのに、今度は職場まで来て土下座なんてふざけている。
「それは重々承知している!! それでも俺たちは一緒になりたいっ、こんな気持ち初めてなんだ、わかってくれカリーナ」
「私も、それでも一緒にいたいの、お願い、婚約を破棄して!! 私たちをもう解放してっ!!」
「だから!! それで借金はどうするのってば!! え?! なに!? 私何か変なこと言ってる!?」
先日からまったくかみ合わない会話に、カリーナの方もなんだか混乱してくる。
「そのことは水に流してほしいんだ、もう君の事は愛せない、君とは結婚できないんだ。すまない!!」
「あなたが許してくれるっていえばご両親も同じようにそう言ってくれるはず!! 私知ってるのよ、騎士団のお給金は高いんでしょう! 少し私たちを許してすこし思ってくれればいいのよ!!」
「私が借金を肩代わりしろって言ってる!? え?? 何もうおかしいってっ……」
たしかにお金は無い事はない、しかしそれはおかしいだろう筋が通っていない。
それになんだ水に流すって、どういうことだ。
もはや意味が分からない。こんな場所でこんなプライベートなことを叫ぶのだって心底嫌だし、なんだか腹が立つし恥ずかしいしで涙が出てくる。
ただでさえ、婚約者に振られて精神的に参っているのに、それにプラスでこんな事ってないだろう。
彼らを説得する方法も、うまい言葉も思い浮かばなくて、私はそのままトランクを強く握って、駆け出した。
彼らの間を駆け足で通り抜けて、自分の部屋に籠城してしまおうという魂胆だった。
しかし、いくら運動神経がいい方であるカリーナでも玄関ドアの前にいる二人を簡単にスルーして中に入れるはずもなく、カリーナが駆け出したところで、騎士団の制服のスカートを引かれて、そのあとすぐに足首を掴まれる。
蹴っ飛ばして振り払ったって良い、出来ないわけじゃない。
「待ってよ! カリーナお願い私たちから目をそらさないでっ!!」
「カリーナ!!」
しかし一瞬躊躇すれば二人は縋りつくように絡みついてきて、カリーナは「ああもう!!」と大きな声を出して二人がカリーナを捕まえる手を離すようにのけていく。
それでも彼はまるで墓からよみがえった亡者のようにしつこくて、振り払っても振り払っても、お願いお願いとカリーナをその場にとどめ続ける。
結局、何とか隙を見て逃げ出し、カリーナは怯えた様子で仕事まで、いつまた彼らが現れるかをびくびくして過ごしたのだった。
普通の貴族だったら恐れて緊張する森の中だが、カリーナからすると今一番安心できる場所といっても過言ではない。
そこで、さらに信頼できる先輩騎士であるロベルトと一緒にいるこの状況は今のカリーナからして怖いものなど何もないという状態だ。
しかし、今までのことをすっかり忘れてしまって森の中を楽しく駆け回り、ばっさばっさと魔獣を切り倒しまくるというわけにもいかない。
森から出て騎士団本部に戻ればまた、彼らの餌食になることは必至、だからこそカリーナは信頼できるロベルトに相談をしていた。
「なのにあの人たちってば、自分たちの愛についてばかり主張してまるで私が全部悪いみたいに……でもおかしいでしょ。契約書だって残ってるのに! なに、水に流してほしいって!?」
話をしているうちに感情的になってカリーナは語気を強くして言う。
しかし、現在地は魔獣が多く発生し討伐依頼が出ている深い森の中だ。
おのずとそのカリーナの隙を突くように、小さなイタチ科の魔獣が茂みから飛び出してくる。
「っ、だから、私そんなのおかしい! って私が間違ってるの!? って言ってるのに」
その魔獣を手にしていた鋭い刃でスパンと切り裂き、真っ二つになった魔獣だったものはその場にぼとりと落ちる。
血しぶきが舞って、森の新緑に良く映えていて美しい。
しかしそんなことを今は気にしている暇はなく、ロベルトにこの状況を訴えることの方がずっと重要だ。
「それなのにあんな場所で、あんなに大声で、私が悪者みたいじゃない!」
また大きな声をあげると、今度は目の前から魔獣が鋭い牙と爪で襲いかかってくる。それをすぐさま串刺しにして腹から上に切り裂いて頭を真っ二つにする。
さすがに討伐依頼が出るほどの森だ。魔獣の数が多くて隙を伺ってとびかかってくるぐらいの知能は持ち合わせているらしい。
しかしこの程度の個体ならまだ人を食べたことはないのだろう。
あまり魔力の強い人間を食べると魔獣は魔力を持ち、魔法を扱うようになって非常に厄介だ。
だから魔獣は早いうちに狩るのが一番だろう。
「せっかく、騎士団ではうまくやれていたのに! あんなのってないと思わない!?」
言いながら引き抜くと、魔獣の太い血管を傷つけたらしくピシャアッと赤い血液が吹き出す。
それが頬に飛び散って、少し呆れたような様子でロベルトはこちらを見て口を開く。
「それは、君の婚約者が十二分に悪いと思うよ。でもそれで剣筋が乱れる様なら君は二流だ」
「…………」
「カリーナはそれなりに強いけどその分、いろいろと荒い。もう少し丁寧に何事も挑んだ方がいい」
「……はい」
冷静に言って、それからハンカチを差し出してくれる彼の気遣いにカリーナは少し胸の奥がむずっとしてそれからちくちくして痛い。
「……」
そっと頬をぬぐうとなんだか優しい香りがして、ハンカチに香水を振っているのかと思う。
スンと香りを嗅いでみるとやっぱりそうらしく、マメなことをする人だと思う。
けれどもそう思うとさらに腹が立つ。
借金の事も、あんなふうにパフォーマンスみたいに土下座をしたことも、もちろん堪忍袋の緒がぶっちぶちに切れるくらい腹が立っているけれども、それと同じぐらいフィデルの気持ちに腹が立つ。
結婚とは家同士の決め事だ。
フィデルの実家はお金に困っていて、カリーナの実家は丁度いい結婚相手を探していた。
なのでカリーナの持参金の前借のような形でお金を貸して、代わりにカリーナはお嫁に貰われる。
そう言うことはカリーナが知らないうちにいつの間にか決められていて、カリーナには自由な恋愛をする暇などまったくもってなかったのだ。
「……ああ、香りが気に入った? そうすると長く香らしい、俺たちはほら、一般貴族からすると畏怖の対象だからね、少しでもこういう戦闘の気配を感じさせないように接したいから」
「血の匂いをごまかすためって事?」
「そう言う言い方をすると、なんだか犯罪者みたいだけどそういう事」
優し気な笑みを浮かべる彼に、カリーナもたしかにそう言う気づかいは必要だと思う。
けれど彼のような優し気な人を怖いと思う令嬢なんかいないだろうと思う。
騎士なのに優しい顔つきをしていて、さらりとした金髪に綺麗な紺碧の瞳。むしろ女の子なのにカリーナの方が瞳がぎらついていて怖いと言われるぐらいだ。
「……ありがとう。洗って返すから」
「いいよ、今返してくれても」
「ううん、まだ汚れるかもしれないから持ってる」
「そうして、さて。じゃあ、さっさと狩っちゃおうか、カリーナ。話は後で聞くよ、君にその話をさせると熱くなり過ぎちゃうみたいだから」
「うん」
途中で終わっていた話は後に持ち越しになったらしく、話し出したはいいものの、たしかに熱くなってしまって仕事に真摯に向き合えていなかったと思う。
魔獣は危険な生き物だが、ちゃんと討伐できればその素材はいろいろな使い方ができる。
そしてその仕留め方によって素材の取れる量が変わってくるのだ。お給金の分ぐらいはきちんと仕事をしなければならないだろう。
ロベルトは躊躇なくずんずんと進んで森の奥深くに進んでいく。
細身でほかの騎士団員とは違った風貌をしているのに、身体強化が異様にうまくて誰よりも進みも早いし、誰よりも綺麗な剣筋をしている。
そして常に、乱されないような飄々とした様子だ。
その様子にあこがれてはいるが、カリーナは正直方向性が違うので一生そういうふうにはなれそうにないと思うのだった。
「そっか、その時の噂は聞いてたけど、厄介なことだね。周りに対するパフォーマンスみたいな謝罪なんてさらに怒りが増すだけなのに」
一通り魔獣を討伐して、それなりに安全になった森の中。
少し開けた場所を探して二人で昼食を口にする。
普通は携帯食なんかを手短に食べて、あまり長く森の中に留まらないようにするらしいが、カリーナとロベルトのペアは大体いつもこうして軽食を持ち込んで少し開けた場所でピクニックのように敷物を広げて食事をする。
この場所には完全に二人しかいないし、誰かに話を聞かれるという事もない、二人が親密に話をしていたぐらいで噂を立てる様な厄介な使用人もいない。
常に人目にさらされて話題の種にされるからこそ、カリーナはこうして二人きりで過ごせる時間が好きだった。
そして食事をしながら丁寧にあった事を話すと、彼は少し考えてカリーナが思っていたことをきちんと理解してくれてそう言った。
それが嬉しくてカリーナはすぐに勢いよく返す。
「そ、そうなの! 謝罪をするならさ、行動でどういうふうにするのかを示してほしい、そうしたら私だってフィデルからの婚約破棄を拒んだりしないのに」
彼らは許して自分たちの愛情を認めて欲しいなんて言うけれど、正直なところそれについては拒むほどのものではない。
むしろ彼のような男と結婚するだなんてこっちからも願い下げだ。
だからこそ、問題解決の為に動いて欲しいという気持ちすらあるのに、それをせずにカリーナに土下座をして方向違いの謝罪を繰り返す彼らになおさら怒りがわく。
「だろうね、君は彼らとはあまり釣り合っているように思わないし。状況的に巻き込まれてしまっているだけだ。もちろん君は悪くない」
「そうでしょ! それなのに職場で噂をされるようなことになって、浮気されて婚約破棄される側なのになんでこんな目に……」
ロベルトが同意してくれると、とても心強くなってカリーナは続けてそう口にする。
まだまだたくさんの愚痴が次から次に出てきそうになる。しかしそのカリーナの気持ちを見透かしたようにロベルトは言う。
「ただ、そうして文句を言っていても状況は変わらない。彼らが急に改心することもないし、カリーナもこのままじゃあつらいよね」
彼は残りのサンドイッチを口に含んで適当に嚥下してからカリーナに手を伸ばす。
その行動に、驚いてカリーナは持っていたサンドイッチを跡がつくほどぐっと握って中に挟まっている食材が少し飛び出した。
「君が動かなきゃ。巻き込まれただけでも自分を守る行動は大事だよ」
しかし彼の手は髪を軽く払って、カリーナの頭に乗っていた木の葉を落すだけですぐに離れていく。
……っ……び、びっくりした。てっきり何か頭でも撫でてもらえるんだと……。
離れていく彼の事を惜しく思いながら惰性で見つめるが、その咄嗟の思考まで読まれてしまいそうで、すぐに目を逸らして別の事を考える。
「で、でも私は、何をしたらいいんだろう。どうしたら……あの人たちを止められるんだろう」
「止める? ああ、違う違う。君が止めてあげるなんてそんなことしなくていい。ああいうのは止まらないから」
「じゃあ、どうするの?」
「全部俺が指示しても、君が成長できないだろ。自分で考えな。ただ助言をするなら……」
ロベルトに聞くと、彼は仕事について聞いた時のようにカリーナに返す。それから一言だけ助言をした。
「争いは同じ程度の人間同士でしか起こらない……みたいなことかな。同じ土俵に立たなくていいんだよ、カリーナ」
彼はなんだかすごくそれっぽい事を言って、優しい笑みを向けてくれる。しかし、その言葉の意味は理解できても具体的に彼らに対してどうしたらいいのかはわからない。
それを考えて対処する力を身に着けることは大切だと思うけれど、こんなに困っている時ぐらいは教えてくれてもいいじゃないかと思う。
「……」
しかし、これ以上聞いたところで彼はきっとそれ以上の事を言わないし、そこそこの付き合いなので彼がこういう人であることは知っている。
なので、自分の中の腑に落ちない気持ちを放置してカリーナは「わかった」と短く言った。
「そっかじゃあ頑張って。続報期待してるから」
……期待……。
そう言われると心の奥から活力が湧いてくるみたいで、カリーナはそのあと彼に見せつけるようにめきめきと仕事をして、その日の夜に具体的に何をするべきか考えたのだった。
次の休日、カリーナは朝早くにギンギンに冴え切った眼差しで部屋にいた。
時間になり、長くしている深緑の髪を自分の剣を使って適当に短く切る。
それからついでに一番着古した、流行遅れのドレスを引っ張り出して侍女に着せてもらう。
侍女にはものすごく怪訝な表情をされたけれど、これがカリーナの出した結論である。
そして朝のうちに馬に乗って王都から出て、適当に森に入って小さな魔物を討伐する。
その血を頭から浴びて獣臭さに少し気持ち悪くなったが、血の匂いは慣れっこだった。
そのまま騎士団本部に戻り、門の前に腰かけて剣を片手にぼんやりとした。
朝日が昇ってキラキラと輝いている。
朝から体力作りの為にトレーニングに出てきた騎士団員は、カリーナの様子を見てぎょっとする。
しかししばらく考えたのちに彼らはいつも通りにトレーニングに向かっていく。
それからまた少し時間がたち王都の城下町が動き出したころ。一台の馬車がやってきて塀の前で止まり、中から降りてくるのは想像通りフィデルとエリシアの二人だ。
彼らは先日同様に、カリーナを追い詰めるため職場までやってきてカリーナの休日の予定を台無しにしようとしているらしい。
彼らだったらそうするだろうと思ってカリーナも準備していたが、いざ本当にやってくると腹が立つを通り越して呆れてしまう。
こちらにはまだ気が付いていない様子で馬車から降りて二人は何か言葉を交わし、カリーナの事を視界に入れた。
カリーナは歩き出す。
彼らよりも先に、彼らの従者が先にカリーナの存在に意識を払い、主の前に自らの体を挟み込む。
それもそのはず、カリーナの手には普段魔獣の討伐で使われている大剣が握られているのだ。
「? ……カ、カリーナ」
こちらに気が付いたフィデルが絞り出すような声でカリーナの名前を呼ぶ。
カリーナは全身がギシギシ痛んで、妙に冴え切った回らない頭でとにかくやっつけ本番で、二人の元にバタバタと走り出す。
「きゃぁっ」
「ひいっ」
剣を適当に投げ捨てて、彼らにつかみかかろうと手を伸ばすと、侍女に止められて、べっとりと彼女の体にも魔獣の血液が付着する。
「っ、あああっ!! やっと、やっと来た!! 待ってたの、ずっとずーっとあれから!! フィデルッ、フィデル!!」
別の侍女もやってきてカリーナを主に触れさせないように何とか押しとどめる。
カリーナがフィジカルで魔力のない侍女に負けるはずもない。しかし吹き飛ばしてしまうと流石に怪我をさせてしまうのでそういう事はせずに自分の体だけを使って必死に手を伸ばす。
腕ががくがくと振るえるほど痛くて、涙が出てきそうだった。それもそのはず二日前から貫徹で延々トレーニングをしてきた後である。
筋肉痛と寝不足でカリーナの顔はひどい状態だろう。
「わた、私、ゔ、ゔゔっ、捨てられるだなんてっ、そんなのっ!! あああ、か、かか、考えられない゛!! 嫌よ、いやぁあ! 借金を理由に、こここ、拒んでいたけどっ!! もうダメ、もう耐えられないぃ!!」
短く切った髪を振り乱し、血液が渇いて顔に張り付いている、涙は出ていなかったけれど、感情のパワーで勝負である。
「愛しているの愛しているの愛しているの愛しているの愛してるのよぉお!! それなのに、その女とっ、エリシアと添い遂げるっていうなら、一緒に死ぬわぁ!! あたし、わたしぃ、死ぬのあなたとの恋と一緒に死ぬのよ!!」
「う、うわ」
「っ……」
「それで死んで、どこまでもどこまでも追いかけて、あの世で一緒んなりましょう!? それまでずうっと、あな、あなたのそばにぃ!! あなたのそばでぇ!! 離してぇ、フィデルゥ!! 一緒になりましょぉ!!」
パワーで侍女を押しのけると、やっとフィデルに手が伸びる。
彼の表情は、驚愕、まさにそのもの。
それから嫌悪だとか軽蔑だとか、恐怖だとかいろいろなものが混じったような顔をしていて、カリーナがさらに酷くヒステリックな叫び声をあげて、ぎゃあとわめきたてる。
すると彼らはそれを合図にしたようにくるりと振り返って、もみ合うようにしてたった今乗ってきたばかりの馬車へと乗り込む。
馬車はすぐに出発してものすごいスピードで騎士団本部から離れていく。
その様子を見て、カリーナは自分を抑えていた侍女たちから離れて、しばらくその馬車を見送った。
全身がバキバキに痛んでいたが、すぐに逃げ帰った彼らを見て、そんなことも気にならない。
死して徹夜明けの変なテンションでそのまま、彼らの先ほどの表情を思い出して、可笑しくて笑みがこぼれる。
声をあげて笑う。
「っはは、はは、っああはは!! あ~はは、あははっ!!」
今度ばかりは涙が出てきて、心がすっきりと晴れやかだった
「っははは、え? ははっ、え、なに? どういう事?」
続報を期待していると言ってくれたロベルトにカリーナは事の詳細を説明し、それはもううまく撃退できたのだという話をした。
カリーナは、サンドイッチを少し口にして笑われるようなことをしたつもりがないと怪訝な表情をして説明する。
「だから、ロベルトが言ったんじゃん。争いは同じ程度の人間同士でしか起こらないって」
「う、うん? 言ったね」
「だから、ほら、土俵から降りたの、争える相手じゃなくなった」
「あ……あー、なるほど、君はっ、そうか、相手の下にっ、え? あははっ、にしても君はやっぱりユニークだなぁ」
おかしくてたまらないとばかりに言う彼にカリーナはやっぱり不服である。
彼が言った助言を忠実に守って、きちんと対処をしたというのに、どうしてそう言われなければならないのだろう。
面倒な噂もああして狂ったような態度を取った時から、すっかり聞かなくなったし、両親の元にフィデルからこまごまとだが借金の返済が始まっているという話も聞いた。
彼からの謝罪も、とても硬い文章で送られてきた。
婚約破棄や浮気による慰謝料も借金に上乗せできちんと払ってくれるらしい。
すべては丸く収まって順風満帆である。
「俺が言ったのは……ま、そんなことはいいか。君が正解だと思ったことが正解で。なんでも自分で考えて行動するのはいい事だよ、カリーナ」
ただ、彼が思い描いていた本当の正解があるならば教えて欲しい、今度からはそれを目指して動いてあっと驚かれるぐらい素晴らしく有能な女性になるのだから。
けれどもロベルトは勝手に話を纏めて一人で納得して、カリーナをほめる。
それが腑に落ちないのに、褒められるとうれしくて目線を逸らした。
「これで、後はいい結婚相手が見つかるといいけれど……もう浮気なんかしないような、さ」
ロベルトはそう言って、少しその相手について考えている様子だった。
その言葉にカリーナは短くきれいに切り直した髪の襟足を触って、ぽつりと言った。
「……私、ロベルトがいい」
「……」
「黙ってたけどずっと好きだった」
「……うん」
「好きだよ」
うんとしか答えないロベルトに、カリーナは追い打ちのようにそう告白する。
パートナーになってからずっと好きだった。でもカリーナには婚約者がいて、愛することは許されない。
分かっていたからこそ、我慢して自分の宿命を受け入れるつもりでいた。
でも、そうする必要もない。こんな機会はめったにないだろう。カリーナはロベルトが好きだ、そばにいたい。
……ロベルトの一番になりたい。
心からそう思う。そんな告白に彼は何を思うのだろう。
ちらりと視線を送ると、ロベルトはまっすぐにこちらを見ていて、いつも通りの笑みを浮かべたままカリーナに言った。
「知ってるよ?」
「っ……」
「さて、そろそろ休憩終わり。さっさと仕事を片付けてしまおう」
「え、あ、し、知ってたの?」
「うん、君、わかりやすいから」
立ち上がって昼食の片づけを始める彼に、カリーナは心臓がバクバクとしていて、目が回りそうだ。
それになんだ、一世一代の告白の返事が”知ってるよ”ってどういうことだ。
カリーナにとって人生の大きな難が取り除かれて、ロベルトに報告してスッキリ終わるはずだったのに、新たな困難が始まりを告げている。
この問題こそ、ロベルトにどうするべきかという助言を求めたかったが、そうもいかずにカリーナはまた思い悩む日々を過ごすのだった。
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