ジームスカンの戦い1
アーギタスを出発して3日目の朝、ジームスカン近くにある平原で、ジームスカン軍と対峙する。
この場所は両脇になだらかな丘があり、ちょっとした窪地の様になっている。普段なら旅人が通る街道になっているのだが、そこを封鎖してジームスカン軍を誘き寄せたのだ。
ラオは、最前列の中央から左に少し離れた所で、馬に乗りじっと正面を見据えている。ふと真ん中に陣取っているハチドリを見た。彼は顔面蒼白で少し震えているようだが、それでも頑張って馬上で背筋を伸ばし、相手を睨みつけている。初陣で、こんなに大掛かりな軍の総大将を任されているのだ。そりゃ怖くもあるだろうと、少し彼に同情する。
だが、不安なのはラオも同じである。オニヤンマが急遽、タージルハンへ帰郷する事になったのだ。ガルドの戦いの時から、ずっと傍らで戦の何たるやを教えてくれていたオニヤンマの離脱は、ラオにとって辛いことであった。
アーギタスからこの場所までくる途中、早馬が追いつきラオとオニヤンマにクワガタからの手紙が届いた。その内容は驚くもので、南のクロヤノ族が大掛かりな軍を率いてタージルハンに向かっていると言うものだった。
「タージルハンが危ない!オニヤンマ!ここは良いから。早くタージルハンへ戻るんだ!」
ラオが慌ててそう言った。いつもは豪胆なオニヤンマも流石に震えている。
「しかし、ジームスカンとの戦いが。」
オニヤンマはそう言うが、タージルハンが危ない。確かに総司令官のムササビは最善を尽くすだろう。しかし、国内の治安を守る事が多かったムササビと、普段からクロヤノ族の襲撃に備えるオニヤンマとは経験が違う。それを指摘すると、オニヤンマが唸る。
「ワニガメが、北の連中が戦っているのを好機と思ったのでしょう。もしかしたら、ウミネコを唆した理由もこれにあるのかも知れませんな。」
クロヒョウが難しい顔でそう言った。
「オニヤンマ!おまえが、しっかりと立ててくれた作戦だ。心配はいらない、きっと上手く行く。俺にとってもタージルハンは大事な国なんだ。だから、頼む。」
迷うオニヤンマを必死に説得する。
項垂れるように考え込んでいたオニヤンマだが、やがて決意した様に顔を上げた。
「分かりました。タージルハンは我が故郷。そして、いずれはラオ殿下に王位を受け渡す大事な国でございます。俺は命に変えましても、タージルハンを守りたい。後ろ髪を引かれる思いではございますが、これより帰郷いたします。」
オニヤンマはそう言って、深々と頭を下げた。
すぐにタージルハンより連れて来た兵士たちに事情を話し、準備もそこそこに兵を引き連れ去って行った。
「タージルハンの兵士たちも、しっかり訓練を受けておられる。突然の事に狼狽えるでも無く、皆がしっかり前を向いて帰って行った。」
オニヤンマを見送るクロヒョウが、感心したようにそう呟いた。
「オニヤンマと部下の信頼の高さがわかるだろう?彼らはいつも同じ釜の飯を食べ、防御の要であるガルヨの砦を命懸けで守っているのだ。本当に誇らしい戦士たちなんだよ。」
オニヤンマの軍勢を見送るラオの胸に、熱いものが込み上げる。
「オニヤンマ、タージルハンを頼んだぞ。」
ラオは、誰に言うでもなくそう呟いた。
両者が無言で睨み合ううちに、太陽が高くのぼり気温が上がって行く。
静寂に耐えきれなくなったのか、敵軍の大将だと思われる派手な鎧を身に纏った大柄な男が、ニヤニヤ笑いながらハチドリを煽り出す。
「これはこれは、ハチドリ様ではないですか?ジームスカンを裏切って、敵側に付くとはどう言う了見ですかな。」
ハチドリが間髪入れずに言い返す。
「兄こそ、先の王である父を手に掛けた大罪人ではないか。その上、重税を課し重労働を課して、民を苦しめるお前たちを許すわけには行かぬ。
バンブーの腰巾着でしかないお前には分からんであろうが、このままでは本当に国が滅んでしまうぞ!」
やや震えてはいるが、ハチドリは相手に対し大義名分を唱えることが出来た。
「なかなか立派ではないですか。」
ラオの横に付いていたヒツジグモが、感心したようにハチドリを見ている。そして、敵将を見て、「向こうの大将は怒りっぽいんですかね。腰巾着と言われただけで、顔が真っ赤ですよ。」と半笑いで言った。
「バンブー自身が、この戦いには出てこないのはなぜだと思う?」
ラオが質問する。
「この戦いが小競り合いでしかないと、たかを括っているのかも知れませんな。兵の数も向こうは1万、こちらは5千と少なく見えますから、わざわざ自分が出るまでも無いと思っているのでしょう。
相手はハチドリ殿を集中的に狙う筈です。しっかりと守っていきましょう。」
「そうだな。」
ヒツジグモの言う通り、ハチドリはこの戦いにおいて一番重要だと思っている。絶対に守り抜かねばならない。
ラオは大きく深呼吸をして、敵の軍団を睨みつけた。
両軍から開戦の銅鑼が鳴る。
「行くぞー!!」
ハチドリが在らん限りの声を出し、号令を出した。
「うおぉぉぉ!!」
地響きの様な声が響いたかと思ったら、先頭の騎馬隊が一斉に前へと走り出した。
「いよいよだ!俺たちも行くぞ!」
ラオも周りを鼓舞しながら走り出した。
騎馬隊が勢いよく前へ進むと、敵が左右に広がって行くのが見える。
「オニヤンマ殿の予想通りですな。」
ヒツジグモがニヤリと笑い、そう言った。
「ああ、後ろへ引くぞ!」
ラオはそう指示を出し、踵を返して後ろへ下がる。
同時にハチドリも後ろへ下がり、全体が逃げるように敵から離れ始める。
それを見た敵将が嬉しそうに笑い、味方へ号令を出す。
「相手は怖気付いてるぞ!逃すな!!」
敵の大将の大声がこちらまで聞こえてくる。その声を合図に、敵の騎馬隊が速度を上げてこちらへ向かってくる。
アーギタス軍は、しばらく後退を続けた後不意に立ち止まり、また敵へと近づく。そして敵に近づくとまた離れる。それを幾度となく繰り返し、敵を誘い出すように全体的には後ろへと下がっていった。
それは事前にハチドリに聞いていた、敵将であるイタチの性格を利用しようとする作戦であった。
この戦いの少し前、アーギタスへ難民として来ていた兵士たちが、敵の情報をもたらした。彼らは直前までジームス軍で働いていて、内情もよく把握している。
「ジームスカン軍の大将は、イタチと言う男だと思います。」
「なるほど、イタチですか?」
ハチドリが、何か納得した様に腕を組み頷いた。
「その男を知っているのか?どう言う奴なんだ?」
ラオが、慌ただしく質問する。
「イタチは母方の親戚の息子で、子供の頃から兄の遊び相手として王宮に出入りしていました。大人になってからも側近として、ずっと行動を共にしています。兄に負けず劣らずの乱暴者で、子供の頃よく一緒になって僕をいじめて来ましたよ。兄の身分を傘に、好き勝手していて、僕ははっきり言って奴が嫌いです。」
ハチドリは本当に嫌そうな顔で、そう言った。
「武将としてはどうなんだ?」
ラオは尚も質問する。
「綿密に作戦を練る様なことは無いと思います。奴の性格なら自分が有利だと思うと、力任せに攻撃を仕掛けて来そうです。根が単純なので、敵の裏をかく様な器用な真似はできないと思いますよ。」
よほど恨みがあるのか、ハチドリのイタチへの評価はかなり辛辣である。
「それなら、相手を油断させるのも手ですな。」
オニヤンマが地図を見ながらそう言った。
「この谷が広がった様な、なだらかな場所が戦の場所に良さそうだ。」
地図を凝視していたオニヤンマがニヤリと笑った。
「この場所に陣を張るとなると、後ろの谷が狭くなった場所が邪魔ではありませんか?」
クロヒョウが怪訝そうに聞く。
「だからここが良いのです。」
オニヤンマが愉快そうに、自身が考えた作戦を論じて行く。その見事な作戦に、皆の顔色が明るくなる。
「うまく行きそうですな。」
ヒツジグモが相合を崩す。
「イタチの性格なら、きっとこちらの誘いに乗りそうです。」
ハチドリも、心なしか楽しそうである。
「よし!ではこの作戦で行こう!。」
ラオは皆の満足そうな顔を見て、作戦の決定を下した。
その、素晴らしい作戦を思いついたオニヤンマは、その数日後にタージルハンへ帰って行った。
「あの作戦に俺も参加したかった。」
最後まで悔しそうにしていたが、それはラオも同じ気持ちである。
そして今、オニヤンマの作戦は思った以上に上手く行っている。
「ハチドリ殿の言う通り、敵将はかなり単純で周りが見えていなさそうだな。」
ラオがは少し小馬鹿にする様な顔で、ヒツジグモに耳打ちする。ヒツジグモもニヤリと笑い頷いたが、ハッと我に帰ったように厳しい表情に戻り低い声で応えた。
「でも、目的の所までもう少し。油断はいけませんな。」
「そうだな。あの場所までしっかり相手を誘い込む事にしよう。」
ラオも素直に反省して表情を引き締め、しっかりと前を向き相手との距離を測る事に専念した。
やがて谷が狭まり、両側がちょっとした崖の様になっている場所まで、敵を誘い込むことが出来た。
前に出たり引っ込んだりと、アーギタス軍の動きにかなり苛立っているのか、イタチの怒号がここまで聞こえる。どうも、周りの景色には意識が入っていないようだ。
「そろそろだな。」
ラオがそう言うと、ヒツジグモもニヤリと笑い、「はい。」と答えた。
「引けー!」
ハチドリがクロヒョウに促されながらも、大きな声で号令をかける。それを合図にアーギタス軍が踵を返すように、後ろへと走り出した。
「逃すな!!」
アーギタス軍が全速力で後退するのを見たイタチが、声を裏返しながら怒鳴りつける様に命令する。敵兵がこちらへすごい勢いで向かってきた。
その時、ジームスカン軍に向かって大量の矢が放たれた。




