聖地留学1
アゲハがラオの宮に来てから半年過ぎた。
側から離れぬように気をつけてはいるが、目を離すとすぐに嫌がらせをされているらしい。この間などは、食事のスープに毒を盛られると言う、命に関わる様なことも起こっている。。
アゲハが怖がっているのではと心配しているが、命の危険さえあると言うのに、当の本人はいつも毅然とした態度でいる。それがテムドの神経を逆撫でしている様で、朝からテムド直々にネチネチと嫌味を言われた。
ラジョの父親で、ロジュンの弟であるテムドの怒りは思いの外大きかった様だ。
「まあ、そうなるわな。」
セキバは半ば呆れたようにそう言った。
アゲハを妃にすると言うことは思いの外大変な事なのだと思い知らされる。
剣術の朝稽古が終わって昼食までの空いた時間、ラオはセキバ相手に不満を愚痴る。
「父上は何も言って来ないぞ!なのに何で伯父であるテムドにあんなに言われなければならないんだ!。」
イライラが限界に達したラオは、思わず怒鳴った。
「俺に怒鳴っても仕方ないだろ。テムド殿の取り巻き連中は商人出身が多いからな。経済的に強いんだよ。国の財政を牛耳っていやがる。王よりも偉そうな連中だぜ?
ラジョをお前の妃にして、お前を操り人形のように言うことを聞かせようとしていたのに、目論見が外れて怒っているのさ。下賤のものなど示しがつかないとか言って。
しかし、王がアイツらを野放しにしているのが、どうにも解せない。いったい、王は何を考えておられるのか・・・。子供の俺達には何も話してくれない。」
セキバはラオより冷静に今の状況を考えているらしい。そう思うと少し恥ずかしくなった。誤魔化すように、セキバに聞く。
「それで、俺の妃を独断で決めようとしていたのか?ラジョを妃にすれば俺が骨抜きになるとでも?随分舐められたもんだな。」
ラオはフンと鼻を慣らす。
「お着替えの用意ができました。」
アゲハがラオを呼びに来た。
世話役に決まってからの衣装で、白い着物と鶯色の袴その上から桃色の衣を羽織っている、そして肩には薄紫の肩巾をかけていた。豊かな黒髪をしっかり結い上げて、もうどこから見ても立派な貴族の娘に見える。
毎日見ているはずなのに、どうしてもドキドキしてしまうラオであった。
「このままじゃダメか?」
子供が駄々をこねるように聞く。
「汗臭くて堪りません。昼食の前にお着替えください。セキバさんも用意してありますから、お願いしますね。」
アゲハはそう言ってニコリと微笑み、屋敷の方へと帰って行った。
「ここに来てまだ半年ばかりで、何であんなに堂々としているんだ?すごい度胸だよな。お前はもしかしたら、とんでなく良い妃を見つけたのかも知れんな。」
セキバが、アゲハの後ろ姿を見ながら感嘆する。
ラオは自分のことのように誇らしく思ったが、どうにも天邪鬼な性格でつい思ってもないことを言ってしまう。
「思っていたより気が強い。しっかりしているのはありがたいがな。」
セキバは何も言わなかったが、少し意地悪にニヤリと笑った。
着替えの部屋に行くと、そこには正装が用意されていた。白い着物の上に着る紺色の狩衣と同じく紺色の袴、そしてご丁寧に王太子用の冠まで用意まで用意されている。
「今日は何でこんなに大袈裟なんだ?」
ラオは訝しげに聞いた。
「陛下から昼食を一緒にとお誘いがございました故、無礼があってはならぬとこのように致しました。」
アゲハが恭しくそう答えた。横にいるリンドウがセキバも早く着替えろと急き立てる。
「俺も同席するのか?」
セキバは戸惑うようにリンドウに問うた。
「3人一緒にと言う、陛下のお誘いです。セキバ、決して粗相の無いように気をつけるのですよ。」
まだ何もしていないセキバを、叱りつけるようにリンドウが言った。
「3人と言うことはアゲハも一緒か?それで肩巾までつけていたんだな。」
「はい、同じようにお誘いを受けております。」
アゲハはそう言って、また頭を下げた。
(セキバだけならいつもの小言かも知れないが、アゲハも一緒とはどう言う事なんだろう?アゲハを妃にすることを反対されるのかも知れない。もしやテムドが何か言ったのか?)
ラオは戦々恐々という面持ちで後宮へと向かう。セキバも何事かと顔を青ざめているのに、アゲハだけが涼しい顔で後ろを歩いている。
「アゲハは何か聞いているのか?」
あまりの落ち着き具合が不思議で、聞いてみる。
「なぜ私も呼ばれたのかは分かりません。ただ、いつ殿下の元を追い出されても良いと覚悟は出来ております。」
アゲハ平然とした顔で答えた。ラオは自分が嫌いになったのかと不安になり、声を荒げる。
「俺の側が嫌なら言ってくれ!お前に嫌われてまで、お前を側に置こうとも思わない。」
すぐヘソを曲げて、我ながら子供みたいだと思う。でもアゲハに対してどうしても素直になれない。本当情けないと悲しくなる。
アゲハは心外だとばかりに、ラオを睨みつけ講義する。
「殿下が嫌ならとっくそう申しております。殿下が私を側に置きたいというのなら、私はずっとお側にいたい。そんな子供の様に駄々を捏ねられては、とても悲しくなります。」
アゲハが、ただ言うことを聞いているだけのか弱い女ではない事を思い出した。ラオが妃に指名してからの、腹の座り具合は百戦錬磨の兵士にも負けてはいない。
「すまなかった。」
普段強がっているラオも、アゲハの覚悟に敵わずただ謝るだけだった。
3人は、後宮の中でも普段王が食事を摂るための比較的小さな部屋に通された。王が個人的に話がしたい時によく使われる部屋で、子供の頃にここで父親と食事をしていた記憶が蘇る。
部屋に入りしばらくすると、王付きの女官が「王の御成です。」と告げた。3人は緊張した面持ちで王ロジュンを迎える。やがて、父王ロジュンがゆっくりとした足取りで部屋に入って来る。
ロジュンは部屋に入るなり、アゲハのことをジロリと一瞥した。普段強気なアゲハも流石に緊張しているらしく、息を呑むのが分かった。
「其方がアゲハか。宴の時はよく見てなかったが、なかなか良い面構えをしている。」
気難しい表情を崩さぬままに、ロジュンは言った。
「ラオ殿下の世話役をしております。陛下へのご挨拶が遅れまして申し訳ございませんでした。」
アゲハは少し震えているが、それでも堂々と挨拶をした。
「うむ。どうせラオが、自分が話しておくので何もしなくて良いとでも言ってたのだろう。儂に謝る必要は無い。しかしラオ、お前はこの娘を妃にするなど急に言ってきて、それきり説明もないと言うのはどう言う事だ?」
ロジュンに睨まれラオは首をすくめる。
「私の宮にいる娘達から妃を娶るつもりは無いと、最初から申してました。
ならば、アゲハを妃とすると言うことだけで、説明は十分と考えております。リンドウからも聴いているとは思いますが、アゲハはかなりの傑物で、彼女より私の妃に相応しい娘はいない。」
ラオの言い分に、ロジュンは溜息を吐きながら小言を吐いた。
「確かに、肝の座った良い娘だとリンドウから聞いておる。だがな、お前は王太子なんだぞ。そこら辺の街の若者とは違うんだ。全ての行動に手順というものがある。それを全て無視して、大丈夫だとでも思うのか。
確かにテムドは弟ながら油断できぬ奴ではあるが、今回ばかりはお前の方に非がある。」
「しかし、ラジョを私の妃に勝手に決めるなど、叔父上にも非があるのでは?父上も知らなかったと言っていたではありませんか」
ラオは喰い下がる。ラジョが妃になるという話はテムドが勝手に言っていただけらしく、ロジュンも知らなかったと聞いた。
「まあ、テムドの勇み足な事は否めないな。・・・まあ、今日お前達を呼んだのは、何も説教をしようとした訳ではない。」
ロジュンは一呼吸置いて、今日呼び出した理由を言った。
「お前達3人は新年の儀の後、聖地への留学が決まった。」
あまりに唐突な話にラオは驚く。
「後一月も無いではありませんか。急に言われても困ります。」
ロジュンはそう抗議するラオをジロリと睨み、「これは命令だ。お前に承諾を求めるようなものでは無い。」と言った。
「今のううちに、挨拶は済ませておけ。」
ロジュンは言いたい事は言い終わったとばかりに、その後は何も喋らずに黙々と食事を終わらせて、そのまま部屋を出て行った。
宮へ帰るとリンドウが待っていた。
「陛下にお聞きになられましたか?急いで準備をしなくてはいけませんね。」
どうも先に聞いていたようだ。母親代わりにラオを育てたリンドウは、ロジュンを始めラオを可愛がっていた祖父からも信用されていて、ラオの幼少期から報告や相談をされていたらしい。今回の留学の事も事前に相談されていたのだろう。
「母さん、知ってたの?俺が行く事も。」
セキバが母親に詰め寄る。
「昨日の夜に陛下に呼ばれて聞きました。聖地はこの世の知性が生まれる所だと聞いております。そこで学べると言うことは、大変幸運な事なのです。
セキバ、これは大変めでたい事なのですよ。」
リンドウはそう言って、微笑んだ。
「アゲハも知っていたのか?だからあんなに落ち着いていられたのか?」
ラオがアゲハに問いただす。リンドウがアゲハの代わりに答える。
「アゲハ様は知りませんよ。私だけ先に聞かされたのです。
殿下、アゲハ様は無条件に信頼できるお方です。そのように疑って困らせるものではありませんよ。」
リンドウはそう嗜めた。
アゲハの前では素直になれない事を見透かされたようで、ラオは恥ずかしくなった。それでも素直になれず、「知らなかったのなら、良いんだ。」とぶっきらぼうに言った。
リンドウとセキバが思わず吹き出した。
「殿下は本当に天邪鬼でございますね。アゲハ様、苦労されるとは思いますが、殿下ほど優しく頼もしい殿方もおりませんわ。ずっとアゲハ様を守っていかれる事でしょう。」
リンドウがアゲハにそう言うと、アゲハも優しく微笑んだ。
「はい、私は殿下を信頼しております。何があっても私を幸せにしようと考えてくれていると、そして私も殿下を支えて行きたいと思っております。」
アゲハの言葉に感動する。ラオは何があっても絶対にアゲハのことはも守り抜くと心に誓った。それが別れに繋がろうともアゲハの為なら何でもしようと、本気でそう思った。