ゼダ事件1
戦の準備が整う間、比較的平穏な日々が続いた。
最初こそハチドリに不安を感じたラオだったが、日を重ねる毎に彼の印象は変わって行く。
彼は、決意とそれに伴う不安とで押しつぶされそうになっていただけで、本来は明るく優しい性格なのだ。そんな彼の心を癒してくれたのは、意外なことに従兄弟のシャチとシンジュであった。
二人は剣術の腕前が同じぐらいで、毎朝二人揃ってシンジュの稽古を受けていた。シンジュの稽古は、他国の王子であろうと甥っ子であろうと関係なく、厳しすぎるのでは言うぐらい激しかった。
「シンジュおばさん、もうちょっと優しくしてよ。」
シャチはすぐ根を上げる。
「これから戦が始まろうとしているのに、なんて根性の無い!居残りで練習させても良いんだよ!。」
シンジュの雷が落ちる。自分は怒られていないのに、何故かハチドリも涙目になって謝っている。
「シャチは厳しくても良いが、ハチドリ様は他国の王子なんだぞ。ちょっとは手加減してくれよ。」
近くで稽古を眺めていたミミズクがそう言って苦笑いした。
「兄さんは甘いのよ!ハチドリ様は強くなりたいって言ってんだから。」
シンジュはいつもにも増して張り切っている。
「ミミズク殿、お気遣いは無用!僕は強くなりたい。」
そう言われると、ミミズクには返す言葉はない。ハチドリは、必死にシンジュの稽古に喰らい付こうと頑張っている。
「俺はもうクタクタですよ。おばさん、張り切り過ぎなんだよ。」
そうぼやくシャチに、「ハチドリ様は文句ひとつ言わないのよ!。もっと頑張りなさい。」とシンジュが発破をかける。
「ハチドリ様はすごいや。」
その情けない顔に、ハチドリは思わず声を出して笑う。
「僕も武術は得意じゃないけどね。でもシンジュ殿の教え方が上手くて、強くなれてる気がして楽しいよ。」
「ハチドリ様はお世辞も上手いんだな。」
シンジュそう言われ、ハチドリは顔を赤くして、「お世辞じゃないですよ。」と頭を掻いた。
それを見てシンジュが大笑いをし、つられてみんなで楽しそうに笑った。
「ハチドリ様があんなに努力家だとは思いませんでしたな。」
朝稽古を遠目で見ていたヒツジグモが、心底驚いている。
「ここまで彼を案内して分かったけど、意外に負けず嫌いなんだぜ。」
ニシカゼがそう言ってニヤリと笑う。
「やはり、王家の人は誇り高いのかも知れない。負ける事を極端に嫌う。マーマタンに王族は居ないので、なかなか新鮮な発見だね。。」
アカホシも、練習の厳しさに驚きながらも、ハチドリの根性に感心している。
「マーマタンの御三家も、相当負けず嫌いに見えるけどな。」
ラオは苦笑いをする。そして、3人の稽古を見ていてラオも体を動かしかくなった。
「よし!俺も負けていられない。ニシカゼ、俺も稽古を頼む。」
ニシカゼにそう頼む。
「殿下が一番負けず嫌いでありましたな。」
ニシカゼが愉快そうに笑い、ラオとの稽古を了承した。
朝の稽古が終わると、ガルナンの講義を聞くことが多かった。ラオとシャチの他に、祖先を北大陸に持つアカホシも聞きたいと、毎日3人でガルナンの講義を受けることになった。
ガルナンの話は、彼が色々な経験をしているのもあって、大変興味深いものが多かった。特に元々神官と言う事もあって、北大陸の神話の話が面白い。
以前にも、恩師であるシャクラムや親友のトルファにも聞いたことがあったが、彼はただの神話だけでは無く、そこにある思想や哲学的な解釈をしてくれる。
それぞれの大陸に伝わる月の神話は、大筋では同じだが細かい所はまるで違う。他にも竜の赤い目の話も興味深い。世界を飲み込み破滅させようと、虎視眈々とこちらを見ている赤い星が頭上高く輝いている様を想像し、ラオの好奇心が刺激される。
ガルナンは竜の目の話をしてから、アカホシの祖先が何故その名前を付けたのか聞いてきた。
「北大陸では絶対につけられる事のない名前です。貴方のお祖父様は何を思ってその名前を付けたのでしょう。」
「私も、自分の名前のことが気になり、調べたことはあります。北の空高くに怪しく輝く赤い星が名前の由来だと。そしてその星は、この大地を飲み込もうとする竜の目であると言う伝説は、前から知っていました。
祖父はかなり酷い目にあって、聖地からマーマタンへと流れ着いたのだそうです。マーマタンでの生活は、大変穏やかで幸せそうだった。しかし時折夜中に目を覚まし、何かを怖がるように頭を抱えて泣く姿を何度か目撃されたそうですね。北の大陸でよほど辛い目に遭ったのだろうと、父は言っていました。
たぶん祖父は、北の帝国そのものを激しく憎んだのではないでしょうか。だから全て飲み込まれれば良いと呪いをかけて、この名前にしたのかも知れませんね。」
そう言うアカホシは、どこか悲しげであっった。
「アカホシ殿のお祖父様の時代だとすると、70年前の皇族のお家騒動が有名ですが、」
ガルナンがそう言うとアカホシは大きく頷き、「それです。その騒動に巻き込まれたと聞いていますよ。」と言った。
「私が生まれた時には祖父はもう鬼籍に入っていましたので、詳しい話は聞いておりません。父もそんなに詳しくは知らないようですね。
でも、かなりひどい裏切りにあったようです。『国にも家族にも裏切られて、俺はここに来た』と、酔っ払って泣く姿に悲しくなった事があると、父に聞かされました。」
アカホシは祖父の無念に深く同情しているようだった。
「それはどう言う騒動だったんだ?」
ラオは北の帝国のお家騒動に興味を持つ。
「帝国内でゼダ事件と言われています。」
「ゼダは祖父の名前です。祖父の名前が残っているのですか?」
まさか、お家騒動の中心人物だとは思わなかったらしく、アカホシは目を見開いてガルナンを凝視する。
これにはガルナンもひどく驚いたようだ。
「ゼダは血筋が遠いとは言え、一応皇族に属していました。ほとんど可能性など無かったのですが、皇位継承権もありました。
彼の母親であるアマンダがかなりの野心家だと伝わっていますが、没落貴族に嫁いだことに不満を持っていたようです。それでもなんとか宮中に出入りできるようになると、持ち前の美貌で、皇帝の弟であるローグ公の愛妾へとのしあがったのです。
当時の皇帝は下に二人の弟がいて、自身は跡取りを残さず崩御されました。
アマンダはローグを唆して、自分の息子ゼダを次の皇帝へと画策しました。彼女は、夫と離婚してローグの妃になり、その後息子のゼダを皇帝へと押し上げようと考えたみたいですね。
ただ、ローグはかなり素行が悪く第一皇位継承者であったのにも関わらず、神殿からの推薦は得られませんでした。」
神殿が皇帝を選ぶ影響力がある事にラオは驚く。ガルナンは眉間に皺を寄せて、神殿の影響力を説明する。
「北の大陸では古来より神殿の権威は大きいのです。歴代の皇帝の妻をゲートの巫女から選ぶ事も、神殿の権威を高める原因だと思いますがね。」
それは聖地で聞いた事がある。地方ごとに違う自然の精霊を信じている南大陸で、一つの信仰がそんなに影響力を持つことは考えられない。ラオにとってそれはあまりにも不思議なことに感じた。
ガルナンの話は続く。
「結局神殿の推薦する皇帝は、3兄弟の末っ子にあたるエイダとなりました。当然ローグもアマンダも納得することは出来ません。そして、二人はエイダ帝の暗殺を企てました。しかも自らの保身のために、当時9歳になったばかりのゼダの名前を使って。」
「そんな幼い子供に罪を着せるなんて、正気か?」
ハチドリは信じられないと目を見開いた。それはラオも同じ気持ちで、「そんなひどい話があるものか。」と大昔の話に憤慨した。
「本当に酷い話です。結局、ローグたちの計画は事前にばれて、ローグはそのまま処刑されてしまいました。
ゼダは皇帝になったエイダ帝に追放された後、消息不明になったと聞いていたのですが、まさかマーマタンへ逃げ仰せていたと言うのですか?」
「確かに元々聖地にいたと聞いております。
祖父は母親に良いように利用され、邪魔になるとさっさと捨てられたらしいですね。9歳の時、母親に帝都の兵士に引き渡されたと言ってました。自分の保身のために、父方の親戚がかくまっっていた息子を、即位したばかりのエイダ帝に売ったのです。」
アカホシの父親も断片的にしか聞いてはいないようだったが、それでも、母親の事をひどく恨んでいたと言う事は、父親から聞いていたらしい。
「9歳の子供がそんな経験をすれば、そりゃ誰も信じられなくなる。皇帝はその母親の言い分を本当に信じたのだろうか?もしそうなら節穴にも程がある。」
ラオがそう質問すると、ガルナンは大きく頷きながら、「流石に、そんな戯言を信じる者などいなかったらしいですよ。」と笑った。
「それでも、一度帝位を脅かしたとされたゼダを、そのままにしておくことは出来ません。末席ながら皇位継承権があるのも戴けなかった。エイダ帝の周りの者たちは、禍根を残さぬようにとゼダの処刑を望みました。その頃幽閉されていたゼダの耳にもその話は届いていたと言います。9歳の子供にとって、母親に裏切られた事も耐え難いのに、その上いつ殺されるかと思うと、その恐怖心は想像すらできませんね。」
「その母親は、自分の息子に全ての責任を負わせようとしてたのか?酷過ぎる。」
ハチドリは憤りを隠せないようだ。ラオも同じ気持ちである。
「エイダ帝は、かなりゼダに同情的だったと聞いています。流石に何も知らない子供を処刑するのはやり過ぎると。そこで皇帝は、ゼダを国外追放にする事を決めました。監視の為にゼダの従兄弟と共に、聖地へと追放したのです。
それからゼダがどんな人生を歩んだのかは、北の大陸には伝わっていません。私はゼダの理不尽な人生に悲しさを感じていたので、南大陸に渡り子孫がいた事が嬉しいですね。」
ガルナンは、アカホシの存在に感銘を受けているようだった。




