聖地留学7
月祭の日の夕飯はシャクラムが用意してくれた
「これは何ですか?何か不思議な香りがする。」
セキバが不思議そうな顔をして鍋を覗き込む。
「これは薬草を入れたオーツ麦のお粥だよ。食いしん坊のセキバには悪いけど、これは月祭りの伝統の食事なんだ。味はあまり良くないけれど、体の毒素を取り去り滋養強壮に良いとされているんだ。これからの残暑で体調不良を起こさないための食事でもあるんだよ。
聖地の人間は、虚弱体質の人間が多いからね。少しでも夏を元気で乗り切るための知恵でもある。」
シャクラムの話を聞いて、ラオも鍋を覗き込む。
確かに鮮やかな緑色で少し苦味を感じる独特の香りは、お世辞にも美味しそうには見えなかった。思わず眉を顰めるラオに対して、シャクラムは苦笑いをする。
「他にもヨーグルトを用意したから、お粥を流し込んでヨーグルトで口直しをするといいよ。聖地の子供達はそうして無理やり食べている。」
三人はシャクラムの言う通りに、お粥を流し込んだ。ラオとセキバが何とも言えない顔をする中、アゲハが少し意外そうに言った。
「あれ?私これ苦手じゃないかも。確かに美味しくはないんだけど、だんだんクセになると言うか・・・、不思議な味ですね。」
シャクラムは、そんなアゲハに少し驚いたようだ。
「大人はこの味が好きな人も多いんだ。しかし君達みたいな若者で、この味を受け入れる子は初めて見たよ。アゲハは味覚が人より発達しているのかも知れないね。」
そう言われて、アゲハは少し照れた様にはにかんだ。
食事も終わり、各々ランタンを手に月湖へと向かう。途中でトルファやリイシアといった学舎の友達とも合流する。
「楽しみでしょうがないよ。月湖が光るって想像もつかない。」
みんなでそんなことを言いながら月宮まで歩く。
月湖の周りには、島中の人達の他にもゲートからもたくさんの人達が集まって来た。何日か前にみんなで設置した香の香りも漂ってくる。それは、甘さの中にほんの少しだけ痺れる様な感覚になる匂いが混じり、今まで嗅いだ事のないような不思議な香りだっった。
ゲートとは、聖地から北に船で3日ぐらいのところにある島である。北の神殿の総本山で、聖地への門と言う意味でゲートと呼ばれている。ゲートには大きな神殿があり、その周りに神殿の関係者が住んでいるらしい。
神官は結婚を許されており家族がいるのが普通らしく、生まれた男の子はそのまま神官に、女の子は結婚するまでは巫女になる。
北の帝国の皇帝は、ゲートの巫女の中から皇后を選ぶのが昔からのしきたりだとトルファが教えてくれた。
月が真上に来る少し前、ランタンの火を消すようにシャクラムに言われた。
火を消すとあたりは真っ暗になる。湖から少し離れた所に松明が数箇所燃えていたが、それも幕で覆われた。光るものは満天の星と、真上に来ようとしている緑色に輝く満月だけだった。大勢の人間が湖を黙って見つめている。
あたりは暗闇と静寂に包まれ、香の匂いが強くなったような気がした。自分の感覚が研ぎ澄まされていく様な、神聖なものを前に畏れる様な、何とも言えない気分になって行く。。
しばらく待っていると、湖の淵に緑色の光がぼんやりと見え始めた。
「始まったよ。」と、シャクラムが小声で教えてくれた。
そこから、ラオ達は湖から目が離せなかった。
最初は微かだった縁の光が、急に明るくなったと思うと瞬く間に広がり、湖全体が緑色に明るく光り輝いた。
「信じられない。なんて光景だ。」
ラオがため息まじりに呟くと、「まだまだこれからだよ。」とシャクラムが言った。
ラオはこれ以上何が起こるのかと思っていると、湖に煙の様なものが出てきた。湖の上に風が吹いているのか、煙が所々に少し固まって雲のようにゆっくりと流れる。本当に月が地上に降りて来た様な幻想的な光景に、誰しもが感嘆の声をあげながら目を離せないでいる。
「本当に月が降りて来たんだ!」
セキバが興奮したように叫ぶ。
「まさか、月の雲まで降りてくるなんて!」
アゲハもトルファも目をキラキラさせながら、目の前の光景に魅入っている。それはラオも例外では無く、人生観が変わるような、とんでもない光景だと感じた。
やがてゆっくりと湖の光は消えていく。奇跡の時間はあっという間に終わってしまった。
アリストが終了の合図とばかりに自分のランタンに火を入れて、挨拶をした。
「今年も無事に月が降りてきた。月の女神も安心している事だろう。みんなの助力に感謝する。」
その言葉を聞いて、皆が松明に並び自分のランタンに火を付け、それぞれ帰っていく。
あまりの光景に放心状態だったラオも、シャクラムに促され家路に向かった。
「創造主は本当にいるんだって思えたよ。月の王の伝説はおとぎ話だと思ってたのに、あんなの見たら信じるしか無くなる。俺たちはちゃんと守られているんだって。」
帰り道、興奮冷めやらぬと言った表情でトルファが言った。
「南の人間に創造主と言う概念はないが、お前の言うことは分かる。俺も何かとてつも無い何かにこの世界が守られているような感じがしたもの。」
本当に、創造主と言うものが存在するかも知れないとラオは思った。
「私は、起き上がれなくて来れなかったお父さんの代わりに、病気が早く楽になります様にってお祈りしたの。」
リイシアが少し悲しげにそう言った。シャクラムが心配そうに聞く。
「イルドラはそんなに悪いのかい?」
イルドラはリイシアの父である
「シャクラム先生、何かいい薬とかないんですか?」
セキバが聞いたが、シャクラムは静かに首を横に振る。
「これはね、セキバ。聖地の人間の宿命なんだよ。聖地の人間は皆短命に終わる運命なんだ。」
「そんな・・。」
皆が絶句する。かける言葉が見つからない。
「リイシアも聖地の人間だ。イルドラのことも覚悟しているよ。我らは寿命を引き換えに好奇心と考える力を授かった。短い人生をいかに充実したものにするかが、聖地に生まれて来る意味なのかも知れないと、私は思っている。」
シャクラムの言葉に、リイシアも頷く。
「だからこそ私たちの人生は輝けるって、聖地に生まれたものは納得しながら死んでいくの。ただ、お父さんが苦しそうなのが辛くて・・・せめて早く楽になれると良いのにってお祈りしたのよ。」
リイシアは少し微笑んでそう言った。その目にはすでに覚悟を決めた強い光が浮かんでいる。そんなリイシアに、シャクラムは静かに微笑みかけていた。
そこにはラオ達が決して踏み入ることの出来ない、聖地の人達の固い絆があるように見えた。
(リイシアの父親は、結局夏を乗り切ることが出来なかった。でも、リイシアはますます勉学に励む様になった。彼女なりに父親の死をしっかり受け止めていたのだろう。
学舎の先生や友達。いろんな出会いがあり、死という別れもあった。そして俺は、普通の人間としてあそこで暮らしていた。思えば、あの頃が一番楽しかったのかも知れぬな。)
ベッドを出て、テラスへ出る。あたりはすっかり明るくなって、朝焼けが眩しい。今日は晴天に恵まれそうだ。
「もう、お目覚めですか?」
後ろからメノウの声が聞こえた。
「すまぬ。起こしてしまったか?」
ラオがそう言うと、「何か、楽しそうでございますね。」とメノウがニッコリと笑う。
「ああ、昔聖地に留学していたことを思い出していた。あの時は洗濯だって自分で干していたんだぞ。」
少し戯けてみたが、メノウは驚いた様だった。
「主上に洗濯をさせるなんて!」
「聖地では身分というものが無かったんだ。何もかも自分でしなくてはいけなかったが、だからこその自由があった。」
ラオがそう言うと、メノウは少し不安そうな顔をする。
「後悔なさっておられるのですか?」
そう言うメノウが愛おしい。ラオはメノウの髪を撫でながら微笑んだ。
「今は今で好きにしている。全て自分で決めた事だ。後悔なんぞしよう筈がない。」
それを聞いて少し安心したのか、メノウは優しく微笑んだ。
「主上のこれまでの人生の話をもっと聞かせて欲しいですわ。アゲハ様の話も教えて下さいませ。世間がどう思っているのかは知りませんが、私は本気でアゲハ様のことが大好きで尊敬しておりますのよ。」
メノウがそんな風に思っているのは意外だったが、ラオも己の人生をメノウに聞いてもらいたいと思った。
「そうだな、東海将軍の軍勢が来るまでまだ余裕があるだろう。メノウ聞いてくれるか?」
メノウは微笑みながら頷いた。




