レッツ飢餓
「今日から三十日かけて、断食訓練を行う」
初めの訓練として言い渡されたのは、断食。
......意外と普通だ!
強烈なファーストコンタクト故に、警戒していたが、なんだか肩透かしだ。
「では、始めよう」
そう言うと、師匠の巨体のアウトラインが黒い霧のようにぼやけて、瞬時に人ひとりくらいの大きさに収縮していく。
霧は人間の形に固まって、再びくっきりとしたアウトラインを形作ると、背の高い青年が現れる。
真っ黒な長い髪の隙間から、曲線を描く黒曜石を思わせる角と、尖った耳が覗いている。浅黒い肌の中、漆黒の結膜に囲まれた輝く黄金の瞳はややつり上がっていて、厳しい印象を受ける。
自信に満ちた傲慢な表情が、青年が彼のドラゴンである事を示していた。
師匠はゆったりとした黒いスボンに、サンダルのような靴を履いて、各所に金のアクセサリーをバランスよく着けて、ちょっとエキゾチックな感じだ。
表情は全然違うけど、どこか社長に似てる気がする。
「まずは補給だ...口を開けろ」
師匠が人差し指を立てると、空中にビー玉サイズの水泡がひとつできる。
言われるがまま、口を開けると水泡が口内に入ってさらりと溶けた。
乾いていた喉が少し潤って、痛いほどの空腹が多少和らぐ。栄養剤みたいなものだろうか。
「では、一回の食事は終了だ」
確かに、少ないな。まあ断食だし一食と言ってもこんなものなのか。
「次の食事は明日の同じ時間だ。それまで水分含め一切の補給を禁ずる」
うおっと、まさかの一日一食。結構厳しいな。
うぬう......しかしまあ慣れればなんとかなるさ!たぶん!
それから一日、思ったより長く感じる。
胃が縮みすぎて、刺すような腹痛と吐き気が断続的に襲ってくる。
空腹って、こんなにきついものなのか。
胃酸が上がってきて、グロッキーになっていると、頭上に師匠が現れた。
「二回目の食事の時間だ」
やっと来た。喉もカラカラだし、身体中の色んなものが枯渇したように力が入らない。
口元に例の水泡が近づいてきて、俺は口を開ける。
瞬間、乾いた土に染み渡るように、一瞬で吸い込まれていく。しゅわりと消えてしまった水泡にもの足りなさを感じたが、これで今日の分もおしまいだ。
全然足りないけど、また明日まで辛抱か...。
「次の食事は三日後だ」
へ?三日?
待って、食事って一日置きじゃないの?
「食事は残り二十九日で三回だけだ。回を追うごとに絶食期間が伸びる。一回目は一日、二回目は三日、三回目は五日、四回目は一週間、五回目は二週間」
初耳だよ。というか、いくらなんでもそんな無茶な断食があってたまるか!
食べ物はまだしも、水飲まなかったら人間四、五日で死んじゃうよ?
三回目以降、殺意しか感じないスケジュールになっちゃってるからね?
だいたい今俺赤子だからね?次の食事でさえ迎えられるか怪しいよ!
「いちいち、やかましい奴だ。気合いがあれば死にはせん」
なんっだその、ハチャメチャ根性論!そんなんで腹が膨れたら苦労はないんですよ!!
赤子の生命力舐めんなよ?風前の灯だよ?
桜の花びらのごとく儚く散っちゃうよ??
「それだけ元気があればなんとかなるであろう」
そういうと師匠は掻き消えた。
おい。待って、どこ行くの。
元気があっても死ぬ時は死ぬんだからね!
こんなの育児放棄だ!児童虐待だ!
帰って来い!この脳筋ドラゴン!!
頭の中でひとしきり喚いてみたが、師匠が戻って来ることは無かった。
ああ、やっぱり俺の両親は地球にいる父さんと母さんだけだ。
あんなの絶対に保護者とは認めない!
しかしいつまでも文句をたれていても仕方ない。
まだたった数日の付き合いだが、奴が頑固で聞く耳持たない事は良くわかっている。
きっとこれも国家公務員になるために必要な課程なのだろう。
こうなったら何がなんでも生き延びてやる!
それから俺は考えた。それはもう色々と考えたのだ。
・自力で食料を調達する
・水場に移動して水分確保
・師匠を探して再交渉する
......etc.
しかし、どれも動けないという理由で断念せざるを得なかった。
うん、何故なら俺はベイビーだから!!
そうだよねー。まだ首も据わって無かったよねー。歩くことはおろか、ハイハイも出来ない乳飲み子だって言うのに、英才教育がすぎるだろう。
という訳で、俺に残された道は『耐える』一択だった。
空腹時に中途半端に栄養が入ってきたせいか、ずっと気持ち悪い。せっかくの養分や水分を吐き出してしまいそうだ。
しかし、そんなもったいないことは出来ない。
とにかく、動けないのだから、動かない事に徹して少しでも消費カロリーを節約するしかない。
だと言うのに、暑いせいで汗が流れて、どんどん水分が奪われていく。
最初は空腹による腹痛と吐き気が辛かったが、脱水というのはその比では無い。
とてつもない気分の悪さと息切れ、手足は冷えきって、身体中が痺れてくる。
目も開けていられなくて、朦朧とする意識の中、荒い呼吸を鎮めるのに必死だった。
三日が経過する頃には、ぐったりとして身じろぐこともままならない状態だった。
目も開かず、耳もろくに聞こえないというのに、師匠が近くに現れた瞬間、俺は反射的に口を開けていた。
飢餓によって感覚が研ぎ澄まされていたのか、姿を見ずともすぐそこにいると確信したのだ。
「たかだか三日の絶食で、これほど衰弱するとは。人間とはか弱きものだな...」
うるせぇんだよ!てめえの感想はどうでもいいから早く飯寄越せ!
「なんだ、思ったよりピンピンしているではないか。このまま絶食期間を延長してみるのも一興か」
嘘ですごめんなさい神様仏様闇黒龍様!どうか矮小な私めにお慈悲を!!
「フン......ほら、三回目の食事だ」
待ちわびた水泡が、ようやく口の中に入ってくる。溶けるのは一瞬で、忘れかけていた渇きを思い出させ、更に飢餓感が強まる。
いくらなんでも、これでは足りない。こんなものでは、飢えも渇きも何ひとつ満たされることはない。
「次は五日後だ」
無常にも、気配が消える。
それから再び始まるのは、徒労のようにも思える絶食期間。
足りない。
水も、血も、肉も、何もかもが足りない。
ああ、あのドラゴンの肉を食ってやりたい。
飢えというのは、これ程までに殺意を育むのか...。
終わりの見えない苦しみの中、フツフツと湧き上がる怒りを、どこか他人事のように観察する自分がいた。
日付の感覚すらも分からなくなって、怒りと生への執着のみに生かされている状態になった頃、急に、呼吸が楽になった。
怒りすらもエネルギーとして分解されてしまったような、不思議な感覚。
でも...そう......。いまの自分に師匠を従えることは出来ない。その肉を食らう事も、課されたルールを変える事も俺にはできないんだ。
変えられるのは、自分だけ。
その時、俺の中で何かが変わるのを感じた。
普通の人間でいては、確実に死ぬ。
変わらなければ...。
トタタ、と指先が無意識にリズムを刻む。
消化吸収の効率を限界まで上げろ。
無駄にも思える、指先の動きが、集中力を高めていく。
発汗を抑えて、保水力を高めるんだ。
指に連動して脳内に流れるのは、慣れ親しんだクラシック音楽。
消費カロリーを極限まで減らすためには、
呼吸も、鼓動も、ゆっくりと、思考する事すらやめて、
ーー指先が、ピタリと止まる。
眠れ。
それは、冬眠する動物のような、植物状態のような。
辿り着いたのは、ある種の忘我の境地であった。
誤字脱字、教えていただければありがたいです。
素人文ですので、意味違いや不適切な表現等あるかもしれません。
その際もこっそり教えていただければ^^
できる限り対応致します!