今まで意識していなかった幼なじみと、ずっと意識していた幼なじみ
「南条くんってさ」
「うん」
「六郷さんと、付き合ってるの?」
クラスメイトの野原さんに、そんなことを訊かれた。
ただそれは、取り立てて珍しい質問ではなくて。
過去、今までに何度も、色んな人に訊かれてきたことだ。
「ううん。付き合ってないよ?」
なので俺の答えも、全く同じものになる。
彼女が名を挙げた相手――六郷唯は、俺の幼なじみである。
昔から一緒にいるという贔屓目を抜きにしても、彼女はもの凄く可愛い。
性格はおとなしく従順で、三歩後ろを付いてくるタイプ。
控えめで家庭的な子なので、そこらへんの美人などよりも、ある意味で圧倒的に男受けする子だったのだ。
ただ、俺は唯とずっと一緒にいたからか、どうにも幼なじみ以上の感情を抱けない。
それはたぶん、唯も一緒で。
だから昔から、仲良しの家族のように振る舞ってきた。
野原さんは云う。
「ふぅん……。じゃあ南条くんは、六郷さんが他の男子と付き合っても、何とも思わないんだ?」
クイクイと指を指す先には、今まさに男子に告白される唯の姿があった。
「……唯は、お断りすると思うよ?」
「信頼してるんだ?」
「いつものことだからね」
遠目に見える幼なじみは、控えめでも、しっかりと首を振って拒絶をしていた。
「ほらね?」
「成程。彼女のこと、よく見てるんだ? ――ついでに訊くけど、あの子、もの凄くモテるのに、どうして彼氏を作らないの?」
「…………はて? 何でだろう?」
云われるまで、気付かなかった。
そういえば唯は、どうして恋人を作らないのだろうか?
クラスメイトは微笑する。
「六郷さん、案外、好きな人でもいたりしてね?」
「――――」
野原さんの言葉に、何故だか胸が詰まった。
「ねえ、南条くん」
「何、野原さん?」
「貴方は、好きな人はいないの?」
「…………」
俺は少し考えて。
「いないよ。そんな人」
そう答えた。
「――そう……っ」
野原さんは何故か口元をほころばせたけれど、俺の視線は、唯に向いていた。
※※※
「こーくん。今日は耳掃除をするね?」
あの後、校門で待ち合わせしていた唯と一緒に家に戻ってきた。
両親が不在な我が家の平和は、小学校高学年の頃から、唯が守ってきた。
掃除も、洗濯も、朝夕のご飯だけでなくお昼のお弁当も。
全部唯がやってくれている。
有り体に云って、俺は寄生虫だった。
唯がいないと、まともに生きていけない身体なのである。
今俺は、幼なじみの太ももに頭を乗せている。
細いのにむっちりとした、魅惑の太ももだ。
唯に『そういう感情』を持っていない俺でも、この太ももと、そして学年で一番大きいと噂されている一部分には、どうしても目が行ってしまう。
耳掃除をされながら、俺は先程の野原さんの言葉を思い出す。
――六郷さん、案外、好きな人でもいたりしてね?
もしもそうなら、俺が今、当たり前だと思っている環境も、いずれ全て無くなることになる。
唯の性格だと、仮に彼氏が出来ても俺の世話を焼こうとするかもしれないが、そうなったときはちゃんと断らないといけない。
(そうすると、唯の『全部』は、その男に向けられるのか……)
美味しい料理も。
お日様のような笑顔も。
この、ぬくもりも。
「……なあ、唯」
「……ん~? どうしたの、こーくん?」
「お前今日さ、告白されてただろ?」
「え、う、うん……」
ちょっと云い淀む幼なじみ。
片目を開けると、嬉しくもなさそうな顔が見えた。
俺の視線を受けると、唯は何故か必死になって云う。
「あ、あの……っ。わ、私、ちゃんと断ったから……っ! そ、そういうの、全部断るから……っ!」
「ああ、うん。知ってるよ。唯は今まで、そうしてきたことを。――告白されるのって、やっぱ面倒?」
「えと……。『面倒』って云うのは失礼だけど、断ることが決まっているから、時間がもったいないなとは思う、かも……」
断ることが決まっている。
それはつまり、野原さんの推察通りに、『好きな相手』がいるということなのだろうか。
「唯」
「なぁに、こーくん?」
「唯って、好きなヤツいるの?」
「――っ」
息を呑む気配がした。
見上げる顔は、真っ赤になっている。
「そうか……。いるのか」
「う、うん……。いる、よ……?」
絞り出すかのように、彼女は答える。
何だか、胸がザワザワとした。
「わわっ!? こーくん、いきなり起き上がったら、危ないよっ!?」
身体を起こした俺は、幼なじみを見る。
ずっと一緒にいたこの子は、もうとっくに、恋をしているのだと思い知った。
「こ、こーくん!? どうしたの、お胸を押さえて!? も、もしかして、どこか具合が悪いの……!?」
心配そうに見つめてくる唯。
こんな表情も、いずれ他の男のものになるのか。
「こ、こーくん……? 大丈夫……?」
「ああ、うん。唯に好きな男がいるって知ったら、何だか胸が苦しくなった」
「――ふぇっ!?」
ぽろりと、耳かきを落っことす唯。
その顔は、不思議に赤い。
「こ、こーくん、ま、まさかそれって――」
「ちょっと待って」
俺は手で制す。
胸のざわつきも幼なじみの言葉も気にはなるが、その前に確認したいことが出来た。
「唯、ちょっと頼みがあるんだけど」
「う、うん……。何かな……?」
「えとさ……。『彼氏が出来た』って、云ってみてくれない?」
「え? えぇ……っ? ど、どういうことかな、こーくん?」
「ちょっとした実験だ。――そうだな。今日告白されたのが、唯の思い人と仮定して、それを俺に報告する感じで」
「それ、設定的に色々おかしいよ……」
「え、おかしい? 何が? どこが? どうしてさ?」
「あ、ううん。何でもないっ。何でもないよ……っ」
唯は赤い顔でブンブンと手を振って。
それから、上目遣いに俺を見る。
「えと、じゃあこーくんに、私が好きな人から告白されたって云えばいいんだね?」
「うん。お願い」
「うん……」
唯は咳払いをし、それから瞳を閉じた。
再び、幼なじみの頬が朱色に染まる。
好きな相手を思い浮かべているのか、花のような笑顔になった。
(唯に、こんな顔をさせるヤツがいるのか……)
やっぱり胸が、とても苦しい。
「あのね、こーくん……」
「う、うん……」
「私、今日、告白を受けたの……っ。ずっと好きだった人に、告白して貰えたの……! 私、恋人が出来たんだよ……?」
「――――っ」
ズキンと、胸が痛んだ。
同時に、ポロポロと涙がこぼれる。
「こ、こーくん……っ!?」
唯に、恋人が出来た。
そのことが、とてもショックだった。
(ああ、そうか――)
今気付いた。
俺、唯のことが、好きだったんだ。
「こーくん、どうしたの……!? 大丈夫……っ!?」
「だ、大丈夫……。いや、やっぱ、ダメかも。予想以上に、ダメージでかいわ……」
「え? だ、だって、これ、嘘の報告だよ……!?」
「でも、唯には好きなヤツがいるんだろう? 俺、それが悔しいみたいだ……」
「こーくん、それって――」
俺は泣きながら頷いていた。
情けなくて、恥ずかしい。
「俺、お前のことが好きみたいだ……っ」
「――――っ」
「でも、お前には、もう好きなヤツがいて……。急にこんなこと云われても、迷惑、だろうし、気持ち悪いだろうし……っ。だけど……っ。だけど……っ」
言葉が上手く続かなかった。
こんな思いをするくらいなら、もっと早くに自分の気持ちに気付けたら良かったのに。
失恋で自殺する人がいるっていうのを、理屈じゃなくて感覚で理解できた。
「こーくん」
ふわりと。
俺の頭を、幼なじみは抱きかかえた。
柔らかい感触が、暗く荒れた心を包み込んでいる。
「こーくん。私、確かに好きな人がいるよ? この世で一番――ううん。ただひとりだけの、大好きな人」
「…………っ」
「私は、その人以外と生涯付き合うつもりはないし、その人以外の思いに応えるつもりもない」
「――――」
「だから、安心して? こーくんが泣く必要なんて、どこにも無いんだよ?」
「……え」
顔を上げた。
そこには、耳まで真っ赤にした幼なじみが、ジッと俺を見つめていて――。
「じゃ、じゃあ、まさか――」
「えと……。そういうこと、です……」
やっぱり恥ずかしいのか、唯は俯いてしまう。
「俺の、こと、が……?」
「鈍すぎだよ、こーくん……」
「…………」
腰が抜けた。
もう座っているのに、腰が抜けてしまった。
そんな俺に、唯は這うようにして近付いてくる。
そこにあるのは、いつものほんわりとした顔じゃなくて。
もっと別の、大人な顔で。
「こーくん?」
「は、はい」
「こーくんは、自分の気持ちに気付きました。私の思いも知っちゃいました。――その上で訊くよ? こーくんは、どうしたいのかな?」
「ど、どう、とは……?」
「私との関係。幼なじみのままで良いの? それとも――もっと親しくなりたい?」
これは、本当に唯なのだろうか。
いつもよりも、ずっと艶っぽい。
こんな表情を、この子は出来たのか。
「幼なじみのままだと、いずれ誰かに、盗られちゃうかもしれないよ?」
「い、イヤだっ!」
反射的に答えていた。
唯は、くすりと笑う。
「なら、大切な言葉を、云って欲しいな? それとも、私からのほうが良い?」
「――――」
選択肢なんて、どこにもない。
息を大きく吸い込んだ。
「唯」
「うん」
「お、俺と……。俺と、付き合って下さい……っ」
「はい……っ」
その言葉に、幼なじみは花のような笑顔で頷いた。
それはついさっき嫉妬を覚えた、あの笑顔だったのだ。
「やっと、こーくんと恋人になれた……。幼稚園の時から、ずっとだったよ……」
そんなに前から。
唯は泣いていた。
泣きながら、俺に抱きついていた。
「ちなみに、こーくん」
「う、うん……」
「もしもこーくんが『幼なじみのままが良い』って云っても、私は誰にも盗られなかったから、そこは安心してね?」
「え? で、でも――」
「云ったでしょ? 付き合うつもりがあるのは、生涯ただひとりだって。私、こーくんに選んで貰えなかったり、他に彼女が出来たら、ずっと独り身でいようって決めてたんだよ」
「何で、そこまで……」
「それだけ好き――なんだよ。こーくんのこと。……こーくん以外は考えられないし、考えたくない。私の――六郷唯の人生は、それだけで良いんだって、心の底から思ってる。そう思えるだけの『想い』を、こーくんには貰っているの」
へにゃっと笑う唯の顔には、それでも明確な決意があって。
俺は自分の情けなさに、泣きそうになった。
「こんな風に思ってくれてる子の気持ちに気づけなかったなんて、俺はバカだ……」
「こーくんは鈍いからね。でも私は、そんなこーくんも好きだよ?」
「こんな良い子に、俺は――」
「それは違うよ、こーくん」
唯は、真顔になった。
「私、全然良い子じゃないよ?」
「……え?」
「私ね、とってもやきもち焼きで、独占欲が強いんだよ。だから今まで、こーくんの周りに、女の子がいなかったでしょ?」
「それって、まさか……」
「うん。私が『排除』してました。こーくんって、自分が思っているよりずっと、色んな子にモテてるんだよ?」
「本当に……?」
「うん。たとえば中学の時の先輩とか、美術部の同級生とか、図書委員の後輩とか」
それは、俺が仲良くしていて、ある日を境に急激に疎遠になった人たち――。
「こーくんは、こんな私を軽蔑する?」
「い、いや……。そこまで思って貰えて、嬉しいよ……」
でも、だったら唯は、何でもっと早くに告白してこなかったんだろう?
そんな胸中の疑問を読んだかのように、唯は苦笑する。
「こーくんが『自分の気持ち』に気付いていない段階で私が告白したら、きっと失敗したから……」
「…………」
云い返せなかった。
まさに、その通りだと思った。
もしも『今日以前』の告白であったら、
「幼なじみとしか見れない……」
そんなふうに、断ってしまったかもしれない。
そうなっていたら、俺たちの関係はどうなっていただろうか?
唯はそれでも俺を愛してくれたかもしれないが、俺のほうが、きっと距離を置いてしまったことだろう。
そして、いずれそのことを後悔したに違いない。
「敵わないな……。何もかも、唯の掌の上か……」
「絶対に、欲しい人だったから」
唯は笑った。
清々しいくらいに、恋愛に貪欲な子だったなんて、知りもしなかった。
ただの幼なじみから『恋人』になった少女は、俺の瞳を、ジッと見つめる。
「これからは、もう悩まなくて良いんだよ。私も、こーくんも」
「…………っ」
そっと。
唯は身体を俺に預けてくる。
温かいぬくもりと、甘い香りが鼻孔をくすぐった。
(唯って、こんなにエロい身体してたんだ……)
思わず、喉を鳴らしてしまう。
今までも魅力的だと思っていたが、『意識』してからだと、よりいっそう、スタイルの良さが際だって見える。
大きな胸も、細い腰も、むっちりとした脚も。
そのどれもが、蠱惑的だった。
「こーくん、学校の男子たちと、同じ目をしてる」
「わ、悪い……っ」
「ううん。良いの。嬉しいから」
「う、嬉しい……?」
声がうわずってしまう。
「だって『そういう目』をするってことは、私を魅力的だと思ってくれているってことでしょう? こーくん以外に見られるのは凄くイヤだけど、こーくんに見られるのは、とても嬉しいの」
誘うような視線を向けてくる俺の恋人。
手を出してしまって、良いのだろうかと葛藤する。
「こーくん」
「う、うん」
「こーくんは、今日意識してくれたみたいだけど、私は『ずっと』だよ? 何年もお預けを喰らってたから、私のほうが、我慢できそうにないの……」
だから、と唯は潤んだ瞳を向けてくる。
俺はそっと、幼なじみを抱きしめた。
※※※
「こーくん。耳かきの続きするね?」
そうして、夜になった。
今俺は、耳かきの続きをされている。
けれども数時間前とは、『関係』がまるで違って。
「ねえ、こーくん。私に要望があれば、何でも云ってね?」
耳かきをしながら、そんなことをいう。
非の打ち所のない幼なじみに、云うことなんて無いのにさ。
「やって欲しいこと以外でも、だよ?」
「たとえば?」
幼なじみは、自分の髪を触る。
「外見とか。私ってセミロングだけど、もっと長いほうが良いっていうなら伸ばすし、逆に短いほうが好みなら切るし。髪色だって、今までは全くいじってなかったけど、染めたり脱色するほうが好みなら、そうするよ?」
「そこまでするか?」
「するよ。大好きな人の要望だもん。女の子は、彼氏が出来ても自分のスタイルを崩さない人もいるけど、私は逆。好きな人の望む姿になりたいと思う。こーくんの色に、染められたいって思うかな……?」
今までも散々尽くしてくれていたけど、まだ本気を出していなかったのか、唯は。
「服装だってそう。こーくんの望むままだよ? たとえば、もっとスカート短くしても良いし」
制服の裾をつまむ幼なじみ。
思わず、目を閉じてしまう。
誤魔化すようにして、俺は呟く。
「ゆ、唯はどうなんだ……? 何か俺に、望むことはないのか?」
「そうだね、あるよ?」
「あるのか? どんなことだ?」
「それはね、えへへ……」
ちょっと照れくさそうに、彼女は云う。
「今までは、『ただの幼なじみ』だったから。だからこれからは、誰かに私たちの関係を訊かれても、胸を張って『恋人』だって、云って欲しいかな?」
それは、今まで冷やかされてきた言葉。
唯はそこに、明確な答えを出したかったのだろう。
「――わかった。というか、俺もそうしたい。もう、唯が誰かに告白される姿を見たくない」
「それは、私もかな?」
「おいおい。俺は今まで、誰かに告白されたことなんて無いぞ?」
「私が守っていたからね? でも、それだけじゃ不足だから」
「不足?」
「うん。明日、野原さんに云ってあげるんだ。――私のこーくんに、近付かないで下さいって」
「え? 野原さん? 野原さんって――」
遮るようにして、唯は俺に口づけをする。
呆然とする俺に、彼女は笑った。
「云ったよね? 私、独占欲が強いって。こーくんのことは、誰にも渡さないんだから!」
この先もずっと、きっと俺は、唯には敵わない。