第二十五話 到達点
明人は直接朝美に話を聞こう。と、噴水の横を通り過ぎようとする。しかし平刃がそれを止める。
「待て、今は行くべきでは無い気がする」
「どういうことですか?」
「まず第一に罠の可能性。彼女が戸木田君であろうと無かろうと、私たちをおびき出すための罠かもしれない。その次に、もし彼女がスパイだったとして、今出て行っては逃げられてしまう。だからここは彼女の次の行動を伺うべきだ」
「でも、本人に直接聞いた方が」
「早くはない。彼女の気持ちを考えろ。もしこれで彼女が何の罪もなく、ただの善意で、私たちに協力したいという善意でここに来ているのだとしたら、嘘をついたのだとしたら、それは汲み取ってやるべきでは無いのか?」
「……はぁ、少し落ち着きました。ありがとうございます」
明人は大きく息を吐き、頭を軽く左右に振った。
「奴の監視は任せる。俺は他に用があるからな」
明人が落ち着いたのを見ると、影司はそう言って立ち上がった。そしてそのまま公園を出て行った。
「彼も読めない奴だな」
去り行く影司の背中に向かって平刃がそう言った。
「はい、戦闘スキルは高いけど、正直まだどこか信頼しきれません。素性をもう少し明かしてくれない限りは」
明人は珍しく弱音を吐いた。信頼していた朝美の嘘。それを見てしまった後では、つい先日知り合った影司はもっと疑わしく目に映ってしまうのであった。
「とにかく、今日は彼女を尾行してみよう」
「はい。何もないと良いですけど」
二人がそんな話をしていると、朝美はゆっくりと立ち上がった。そして公園の奥にもう一つある歩行者用の出入り口に向かって歩き始めた。
二人は朝美が立ち去った地点、つまりは木浦が倒れ黒い液体となってしまった地点に移動した。昨日はそこにドロドロとした黒い液体があったのだが、今見てみると黒い液体など微塵も残っていない。朝美が回収したのだろうか。それとも一日経ってしまったことによって蒸発してしまったのだろうか。
「蒸発したとなると、また雨になって降って来るんですかね?」
明人は俯きながら平刃にそう聞いた。
「それは無いと思っている。確かに雨の様に降り注いだが、実際は雨では無いからな。それに、昨日回収した液体の一部は死んでいた。つまりこれが空に戻ったところで黒い雨が降るか、普通の雨に戻るだけだ」
「ほ~う、なるほど。でも昨日回収したのはほんの少しですもんね。もしかしたら他の回収していない液体は生きていた。なんてことも……」
「無いことは無い」
平刃はそう言うと、すくりと立ち上がって朝美の後を追って歩き始めた。明人も慌てて立ち上がり、平刃と朝美の後を追った。
朝美は公園を出ると駅に向かった。明人と平刃は近付きすぎず、離れすぎずの距離を保って朝美を尾行した。
てっきり海林社がある日輪まで行くと思われたが、朝美は逆方向に進む水霧町行きの電車に乗った。明人と平刃はその行動の真意を深堀しようとするのだが、考えている暇も無く、二人は電車に乗り込んだ。
快速の電車はすぐ水霧町に着いた。下車する人はまばらで、尾行がバレるかひやひやした二人だが、朝美は下車するとともに駆け足で改札を抜け、タクシーを拾うと柴神山に向かって行った。二人もそれに倣い駅前で暇しているタクシーを捕まえると、「前の車をゆっくり追ってください」と言った。そのシチュエーションに明人と運転手は多少の興奮を見せたが、平刃は至って冷静にシートの背もたれに体を預けていた。
水霧町には高層ビルなどの視界を遮るものがほとんどなく、一台のタクシーをもう一台のタクシーが追う。と言う構図は明らかに不信であった。
「もういい。いくらだ」
唐突に平刃がそう言った。運転手は道路の脇にタクシーを停め、代金を言った。平刃はそれを聞いてその分の代金を支払うと、さっさとタクシーを降りてしまった。柴神山まではまだ結構あるぞ? 明人はそう思いながら降車した。
「教授、何で降りるんですか?」
「これでは尾行がバレる。ここまで来れば道は真っすぐ、柴神山に通じている。つまり百パーセント彼女は柴神山に行くという事だ」
「な、なるほど」
明人はそう言って今来た道を振り返った。すると丁度最後の交差点を渡ったところに位置し、距離はあるものの、このまま進めば行き当たりは柴神山であった。
「少し距離はあるが、歩くぞ」
「は、はい!」
教授の意図が明確に分かっている明人は、素直に従って歩き出した。
遠くを走る朝美を乗せたタクシーは、朝美を柴神山手前で下ろすと近場にある駐車場で切り返し、ターンを終えると一本道を引き返してきた。そしてあっという間に明人と平刃の横を通過していった。
「もう柴神山に着いたみたいですね」
「あぁ、少し歩みを早めようか」
平刃はそう言うと、若干駆け足になって柴神山に急いだ。
朝美が降車してから十数分。ようやく明人と平刃は柴神山に着いた。二人は登山する前に給水とちょっとした休憩を取り、舗装された山道を歩き始めた。
「確かここら辺のはずなんだけどなぁ……」
山を登り始めて数分。早速山道を少し外れた場所から朝美の声が聞こえて来た。明人と平刃も山道を外れ、朝美の声がした方向に隠れながら移動した。
「うーん、まだかな……」
木々の陰から伺った朝美は、左手に小さな紙片を持っていた。そしてそわそわと頭を左右に振り、辺りを警戒しながら右手のスマートフォンで時刻を確認していた。
「あいつ、何か探してるのか?」
「そのようだな。もう少し様子を見るぞ」
朝美があたふたしていると、緩やかな傾斜を下り、木々を抜けて牧田が現れた。
「早かったわね」
「ま、牧田さん……」
「こんなところまでありがとうね」
「い、いえ。大丈夫です。牧田さんこそ、今まで何を? 月刊海林の新刊が発売されて以来、全く編集部に顔を出していないみたいじゃ無いですか……」
牧田の真実を知っている朝美は、恐る恐る、言葉を選びながらそう言った。
「ちょっとした情報を耳にしてね」
牧田は顔色一つ変えずそう言った。
「そ、それで、その情報って言うのは?」
「これよ」
牧田はそう言うと、ズボンのポケットからリモコンを取り出し、そのボタンを押した。
すると大きな地鳴りと地震が同時に起き、牧田の背後の深い緑に覆われた地面が隆起し、そして大きな鋼鉄製のドアが現れた。
「な、何ですかこれ……?」
朝美は驚きの余り口を半開きにしたままそう言った。
「郷間博士の研究所よ」
「ご、郷間博士の……?」
朝美が動揺し戸惑っていると、牧田はドアの前に立って静かに両手をドアに添えた。するとそれに反応した自動ドアが開き、地下に続く長い階段がその場にいる全員を迎える。
「ついてきて」
牧田は早口にそう言うと、階段を下り始める。朝美は答える時間さえ与えられず、付いて行くしかなかった。朝美が階段を下り始めると、鋼鉄のドアが静かに閉まり始めた。なので明人と平刃は素早く移動して、とりあえずドアの向こう側に入ると静止した。
牧田と朝美が階段を下っていく音は何重にもこだました。明人と平刃はその音に合わせ、自分たちの足音がこだましないように注意しながら階段を下り始めた。
階段を半分ほど下った時、入り口の自動ドアが開いた時と同じ音が明人と平刃に聞こえた。恐らく下までたどり着いた牧田が、研究所に続く自動ドアを開けたのだろう。入り口同様時間制限があるのだとしたら急がなければ、と二人は急いで階段を下り始めた。ただし足音を極限まで静めて。
「こ、ここが研究所……!」
朝美の声が聞こえる。そしてそれに続いて朝美がドタバタと研究所内を駆け回る音が聞こえてくる。無駄にハイヒールを履いていてくれたおかげで助かった。明人はそう思いながら階段を滑るように下った。
下り終えると、鋼鉄のドアは開きっぱなしになっていた。明人と平刃は細心の注意を払いながらそのドアの奥へ進んだ。そこに朝美と牧田の姿は無く、真っ白い壁面と様々な研究器具が散乱していた。
「ここが郷間博士の……」
「まさか大学を出て山に研究所を作っていたとはな」
「はは、そりゃ驚きますよね」
明人は半笑いでそう言った。そして続ける。
「それにしても、朝美はどこ行ったんだ?」
「更に奥へ行ったのだろう。早く見つけて立ち去りたいところだ」
「じゃあサクッと探しましょうか」
「あぁ、そうしよう」
二人はなるべく研究器具に触れないようにして研究所を進んでいく。壁面がずっと白いせいか目がチカチカする。そんな中二人は自動ドアを抜け、更に奥へ続く通路に出た。
「な、なんだこれ……」
歩き始めた通路の両サイドには、得体の知れない液体に浸けられた人間がズラリと並んでいた。色は総じて黒に近く、それに浸されている人は全員マスクをつけられて気絶しているようであった。
「もしや、全員染色雨を浴びた……」
平刃はその中の一人を見ながらそう呟いた。
「みんな黒い液体に浸されていますね」
「色が関係あるのかもしれないな。それこそ君は赤い装甲を纏うしな」
「色か……」
明人が関係性について考えていると、平刃が通路の中ほどで立ち止まる。
「これだけ色が……」
平刃が色違いの液体が入ったカプセルを眺めていると、通路の奥にある部屋が騒がしく音を立てる。
「ちょっとやめてください!」
「朝美!?」
明人はその声に反応し、通路を走ってドアの前に向かう。そしてゆっくりと開くドアに手をねじ込み、無理矢理ドアを早く開けようとする。
「朝美!」
新しい部屋に飛び込むと、中央の椅子に縛られている朝美がいた。
「うう! うぅう!」
朝美はタオルで口を封じられており、明人は急いで朝美のもとに近寄る。
「大丈夫か。今解いてやる」
明人は朝美の口を封じているタオルを解く。するとすぐに朝美が喋りだした。
「明人後ろ!」
「あ?」
明人が振り向こうとしたその時、後頭部に強い衝撃が走る。
「明人!」
強打を受けた明人は気を失い、その場に倒れ込んだ。
「牧田さん、なんでこんなことを」
「知っているくせによく言うわね」
牧田は持っていた鉄パイプをその場に捨て、通路に繋がる自動ドアの手前に立ち、非常シャッターのボタンを押した。
すると警報と共に通路と明人たちがいる部屋がシャッターによって隔てられ、平刃が部屋に入ってこれなくなる。
「くっ、間に合わなかったか」
平刃は閉まり切ったシャッターを強く殴った。
「もう一人ネズミが入り込んでいたみたいね。まぁいいわ、さぁ戸木田さん、私のことを忘れてもらいましょうか」
牧田がその場に捨てた鉄パイプを拾い上げようと身を屈める。
――今しかない。そう思った朝美は、屈んだ牧田に体当たりをかました。
「きゃっ!」
牧田は体当たりを喰らってドアの方に飛ばされる。
「足の縄は解いてもらっていたのね」
「そうよ」
朝美は両手を後ろで縛られたまま、覚悟を決めた表情で牧田に向かってそう言った。
「フフ、その度胸に免じて許してあげる。ただし、分かるわよね」
「……取引ですね」
牧田はクールに立ち上がり、ガンを飛ばす朝美を突き飛ばして地べたに座らせると、取引を開始する。
その頃閉め出された平刃の背後には、一人の男性が近づいてきていた。
「困っているようだな」
背後からする嗄れ声に平刃は振り向いた。
「郷間……」
そこには平刃と同じように白衣を纏った長身長髪の男性が立っていた。




