第十八話 通う感情
研究室に残って実験の準備をしている途中、明人と平刃はこれまでの変異について話をしながら作業を続けていた。
「ここのところ最近、スーツ形態になることが多かったんですけど、つい昨日の戦闘の時には、子どもを助けた後すぐに鎧形態になってしまったんですよ」
「ふむ、そうか。なぜ鎧になったかは分からないのか? 例えば……自分で鎧形態になりたいと思ったとか」
「う~んそうですね……。確かあの時は、変異体を追い返せればいい。って思ってた気がします」
「なるほどな。変異体を殺すつもりが無かったという事だな」
「はい、そうなりますね」
「なかなか繊細な単細胞生物のようだな」
平刃は明人から聞いた情報をノートパソコンにメモするため、自分のデスクと作業台を何度か行き来しながら、柴神山で拾ってきた岩の入ったアタッシュケースを厳重に作業台に置いた。
「一番最初変異した時も、変異体を追い返せればいいと思っていたか?」
「えっと……。はい、確かそうだったと思います」
「二回目はどうだった?」
「二回目も鎧形態で、三回目の途中で初めてスーツ形態になったと思います」
「初めてスーツ形態になった時は、何か心境の変化はあったのか?」
「えっと、はい。何度も逃がしてる変異体だったし、朝美が殺されそうだったので、絶対に倒さなきゃ。って思った気がします」
「よし、そうか。良い記憶力だ」
平刃はそう言ってノートパソコンにメモを取り、それを終えると作業台の方に戻って来た。そしてアタッシュケースを注意深く開け、黒い岩が光っているかをまず確認し、そして一旦ケースを閉めた。
「どうでした?」
研究室の入り口付近に立っている明人がそう言った。
「大丈夫だ。この距離ならまだ反応は示していない」
「じゃあ少し近づきますね」
「あぁ、ゆっくり近づいてくれ」
明人は平刃の返答を確認すると、一歩、また一歩と岩が入っているケースに近付いて行く。
「一旦止まるんだ」
明人がいつも座っている長ソファのあたりまで来た時、平刃がそう言った。
「どうですか?」
ケース内を確認している平刃にそう聞いた。
「ぼんやりとだが光っているな。この距離でぼんやりなら、相当近づかなければ危険は無さそうだ」
「分かりました。もう少し進みます」
明人はそう言うと、ケースと平刃から目を離さないようにして作業台に近付いた。すると黒い岩はどんどん発光していき、明人がもうすぐそこまで来ると微振動を始めたので平刃は急いでアタッシュケースを閉めて施錠した。
「本当に近づかなければ気が付かないみたいだな」
「そうみたいですね」
と言うのも、明人と平刃はほとんど並列に並んでいたからである。明人の目の前にはアタッシュケースがあり、右横には平刃がいる。つまりは相当な距離近づかなければ明人を襲うことは無いという事である。
「よし、それなら実験もしやすいな」
「どんな実験をするんですか?」
「実験と言うか、検証に近いかもしれん。どちらにせよ、簡単に説明しておこう」
「はい、お願いします」
「端的に言えば、この岩の調査とこの岩と君に寄生している生物の関係性を明らかにしたい。ということだ。それに加えて、君と寄生体が、いや、君が寄生体の本能を知ることによって、変異が自由に操れるようになるのではないか? と私は思っている」
「なるほど……。確かにここにいる奴の目的とか性能ってのはハッキリしてないですもんね」
明人は自分の右胸に左手を添えながらそう言った。
「とにかく、割れそうなものは全て片付け、窓にもカバーをかけた。思う存分岩と君に寄生した生物を調べるぞ」
「はい! それじゃあ早速開けてみますね」
「あぁ、気を付けるんだぞ」
平刃は少し横にどき、明人はケースの正面に立った。そしてケースのロックを解除すると、ゆっくりとその口を開けていく。すぐに岩が放つ光がケースから洩れた。明人はそれに恐れをなし、一度はケースの口を閉めた。しかし勇気をもって、覚悟を決めてもう一度ケースの口を開けていく。
岩は怪しい光を放ちながらケースに埋まっていた。以前のように飛び掛かってくる様子はなく、しかしそれでもカタカタと微振動を続けて明人の行動を伺っているようであった。
「飛び掛かってきませんね」
「……あぁ、何か変化があったのかもしれない。この岩に、もしくは君に」
「俺に、ですか?」
「あぁそうだ。生物には食物連鎖と言うものがある。弱いものがわざわざ強いものに挑むか? いいや、人間とは違って知性に劣る動物や単細胞生物たちはそれを本能で察するしかない。となると、岩が飛びついて来ないのは、君が強くなった。という理由かも知れない。ということだ」
「マジですか! じゃあ俺が強くなったからこの岩は俺に恐れてるってことですか?」
「簡単に言えばそうなるな」
「ほほう、少し自信つきましたよ。この岩でいつでも自分の力が測れるってわけですね?」
「確かにそうとも取れるな。この岩が逃げようとした時、君がこの岩に付いている生物より数段強くなったという事になるのだからな」
「よし、じゃあこの岩と同等になる。っていう第一段階はクリアってことですね!」
「ふっ、そうだな」
明人と平刃は笑いながら顔を見合わせる。そして二人は再び岩に視線を戻し、検証の続きを始める。
「次は何をしますか?」
「そうだな、もう本題に移るか」
「という事は、変異のコントロールですか?」
「あぁ、この岩を敵と思って変異するんだ」
「は、はい。分かりました。やってみます」
明人は岩から少し離れ、両手を面前で構えた。
「バイタルチェンジ!」
一度は研究室内に飛び散った血の飛沫は、明人の体を守るように戻ってくると、明人の体に付着して、そして堅固な鎧に変異した。
「鎧になりました」
「そのようだな。今はどのように考えていた?」
「今は……特に何も考えていませんでした。この岩を敵だと思うこと以外は」
「ふむ、そうか」
平刃はそう言いながら顎を弄った。そして研究室内奥にある自分のデスクに戻ると、椅子に腰かけてノートパソコンを開いた。
「続きはメモを取りながらやらせてもらう。岩が暴れたら頼むぞ」
「あ、はい。分かりました。任せてください!」
「まずは、スーツ形態になるように考えてみてくれ」
「はい」
明人は岩をじっと見つめながら、脳内で何度も何度もスーツ形態を想像し、そして右の胸に住まう生物に問いかけるよう、「スーツに変異しろ。スーツに変異しろ」と唱え続けた。しかし変化は認められず、少しすると平刃が止めるように言った。
「……止めよう。次はこの岩を破壊したいと考えてみてくれ」
「はい」
明人は岩に向かって鋭い視線を投げながら、自分の気持ちを破壊したいという欲望で埋め尽くそうとする。しかしどこかで相手は岩だ。と思ってしまい、明人は首を横に振る。
「ダメそうです」
「そうか。岩を視覚で捉えてしまっているのがいけないのかもしれないな。今度は目を瞑って自分の危険、もしくは誰かの危険を想像して見れくれ」
「はい、やってみます」
明人は姿勢を正し、目を瞑って初めてスーツ形態になった時のことを、なった時の情景を思い出した。
――何度も逃げられていた変異体に殴られ、自分は苦しく、しかし遠くには尻もちをついている朝美がいる。変異体がじわじわと朝美に近付いて行く。しかし自分の体は動かない。もやもやする。イライラする。
「おい、神馬? 神馬!」
明人の体を纏っていた鎧が沸騰した水の様にぐつぐつと表面に小さな泡を作り、そしてそのたびに小さな破裂を繰り返し始めていた。それを見た平刃は明人の気持ちを落ち着かせようと声を荒げた。
「はっ、す、すみません」
平刃の怒声に明人は目を開けた。
「大丈夫か?」
「は、はい」
「それにしても、こんなことも可能なのか」
「こんなこと?」
「あぁ、自分を見てみろ」
明人は言われた通り自分の体を見てみた。すると、上半身は鎧のままで下半身はスーツ形態に変異していた。
「あれ? 下半身だけ軽いぞ?」
「今君が想像を始めたら、君を纏っている鎧がぐつぐつと動き出してな。そして下半身がスーツ形態になったところで私が止めたんだ」
「な、なるほど。こんなことも出来るんですね」
「どんなことを想像していたんだ?」
「初めてスーツ形態になった時のことを……」
「どんな感情を抱いたんだ?」
「自分が動けなくて、でも朝美が危なくて、もやもやして、イライラして」
「なるほど」
平刃は明人との会話を続けながらノートパソコンのキーボードを軽快に叩いた。
「今の想像を続けることは出来るか? 今のが無理なら今のに近しい想像で良い」
「はい、多分」
「それこそイライラやもやもやを感じた場面を思い出してみてくれ」
「はい」
明人は目を瞑って再び想像を始めた。
――自分は檻の中にいて、外では変異体が暴れている。変異体は誰かを追い回しているようだ。……アレは、成田さんだ! 両手で柵を掴むが、当然柵はビクともしない。何で出られないんだ! もどかしい! 助けなきゃ!
「神馬! もういいぞ!」
「はっ!」
明人は平刃の声で再び戻って来た。
「中々危険だが、成功したな」
「へ?」
明人はそう言われたので、調子はずれな声を上げながら自分の体を見回した。すると先ほどまで上半身を纏っていた鎧が消え、スーツ形態になっていた。
「あれ、全身スーツ形態になってる!」
「あぁ、成功したんだ」
平刃は明人の方を何度か見ながらノートパソコンにメモを取る。
「今回はもどかしさや、助けなきゃ! っていう場面に直面したんです」
「ふむふむ、変異の原動力は君の感情に関係しているのかもしれないな」
「俺の感情……」
「あぁ、次はそうだな……。自分が殺されそうなイメージだ。それこそ、刀を心臓に刺されそう。とかだ」
「はは、結構過激ですね。でもやってみます」
明人は目を瞑って言われた通りの想像をしてみた。すると先ほどとは打って変わり、なんだか自分の上半身がボコボコと動いているような感覚がする。明人は今すぐにでも目を開けようと思ったが、何とか我慢して、その不気味な感覚と音が収まるのを待ち、そして目を開けた。
「なるほど、上手く使えそうか?」
そう言う平刃への答えを保留にし、明人は自分の上半身を見た。すると先ほどの音と感覚の理由が分かった。それはスーツ形態になっている明人の、いや、寄生体の血が変異し、上半身の、それも胸部のみを鎧形態に変異させたのであった。
「な、なんだこれ、すっげぇ……」
「流石にすぐ答えは出ないか?」
「ちょっと時間はかかりそうですね。この仕組みに慣れるまで」
「そうだな、想像している時間が戦闘中にあるとは思えないからな。しかし、スーツから鎧になるのは意外と出来るんじゃないか。と私は思っている」
「スーツから鎧か……。確かに、危険だと強く思えば……。死にたくない、とか、ここを守らなきゃ。って強く思えばそこを補強してくれそうですよね」
「あぁ、私もそうだと仮定している。メモからすれば、君の胸に住み着いている寄生体は、君の感情に従順なのではないか。とも考えている」
「そう考えると昨日も、子どもを助けるときはスーツ形態だったんですけど、子どもを物陰に隠したら、現状維持しようと思って鎧形態に戻ったってことですかね?」
「その可能性は高い。と、現段階では言えるだろう。君が戦いたくない。という感情を露にしたことで、寄生体がそれを受け取り、鎧形態になったのかもしれない」
「ってことは、その逆に思考と感情を変化させれば、鎧からスーツ形態になれるかもしれないってこと。ですかね?」
「現段階では。としか言えないがな」
「それでも大きな収穫ですよね! 今度戦闘があったら試してみます。このことを思い出せればの話ですけど、はは」
「あぁ、片隅に置いておいてくれ、まずは変異体を倒すこと、それに自分が死なないことを優先してくれ」
「はい! でも、これで少しこいつのことも分かった気がします」
明人はそう言って自分の右胸に手を添えた。するとその瞬間に変異が解けた。
「そうだな。寄生した生物は意外と優しい奴なのかもしれない。だが今日はこの辺にしておこう。変異も解けたことだしな」
「はい、今日は帰って俺なりにまとめてみます」
「あぁ、そうしてくれ。私もこっちでまとめておく」
平刃はそう言いながら自分のノートパソコンを指さした。
「それじゃ、また何かあったら連絡します」
「あぁ私もだ」
明人はそう告げると、黒い岩の入っているケースを閉め、ロックした。そして自分の荷物を肩に下げると平刃に再び礼を言って研究室を後にした。