AZの拡大(1)
工学部の大野ルミと家政学部食物栄養学科の渡瀬真子の登場です。
さて、計画どおり、同じ大学に入学したAZたちは、入学直後から、浮遊薬を鞄やその他の荷物にスプレーして、デモンストレーションすることから始めました。
さてさて、御用とお急ぎでない方は、お立ち会い、取りい出しましたるこの薬、『浮遊薬』と申すもので云々と、手近にある何から何まで浮かべます。
すると、興味を持った学生が、近寄って来ます。メンバーは、おもむろに、段ボールから浮遊薬を取り出して販売するのです。
まるで、夜店や通販の実演販売です。
そのうち、口コミで噂が広がって、客の方から買いに来るようになりました。
でも、この頃は、まだ揃いのユニフォーム(白抜きで『AZ』とロゴの入った若草色のTシャツ)を着たメンバーが直接販売していました。
浮遊薬の人気が出てくると、学生生協に頼んで、購買や学食、喫茶などに置いてもらうことに成功しました。そうして、勢いに乗って、瞬く間にヒット商品となったのです。
工学部の大野ルミは、大学で浮遊薬を見て、ショックを受けた一人です。
鞄や荷物が、宙に浮いているのです。目を剥きました。
これは、どうなってるのだろう?
販売しているメンバーに訊いても要領を得ません。
何しろ、発明した山本は、もっと効力が強くて、別の用途に使える浮遊薬を開発するため、実験室に籠もっているのです。
AZたちを興味津々で観察すること二週間。突然、中心人物と思しき少年に声をかけられました。
声をかけたのは、遠山です。
遠山は、大野が工学部だと知ると、再生可能エネルギー、例えば風力発電の研究をしないか、と誘いました。
そうしてAZに参加するなら山本から浮遊薬の説明をさせよう、とも言ったのです。
食料危機に備えて、廃村へ集団で移住する。
それでは、せっかく大学に入学したのに、大企業に就職することもできないし、親孝行もできません。
そうです。大野ルミは、今時、親孝行がしたい、天然記念物的少女だったのです。
三日悩んで、両親に相談しました。
帰省して、家族会議を開いたのです。
大野の両親は、遠山の計画を呆れながらも、面白がってくれました。
「確かに、その子の言うとおり、人生って時間だと思うわ。
生まれてから死ぬまでの時間をどうやって過ごすかが人生だってことよ。
母さんたちは、できれば、ルミに苦労して欲しくないけど、大企業に就職できても食料危機が来て、食べ物に苦労するかもしれない時代だし、リストラだってあるでしょ。
そっちで納得のいく人生が送れるのなら、それはそれで幸せかもしれないわ。
何より、ルミが悩んでるってことは、その研究に興味があるってことでしょ?
荒唐無稽かもしれないけど、少なくとも就職先としてやり甲斐があるなら、生き方の一つだと考えても良いんじゃない?
いうなら、AZは、ベンチャーの中小企業の一つだってことよ。
父さんや母さんのことは、気にしなくて良いから。
自分の人生なんだから自分で選べば良いのよ」
大野ルミのAZデビューが決まった瞬間でした。
AZたちの大学の近所に女子大があります。男子学生の多い学部が、よく合コン相手に誘うところです。
そこの家政学部に食物栄養学科というのがあります。
遠山は、ぜひともここの学生をメンバーに加えたいと考えました。
廃村に移住したとき、栄養学に詳しい人間がいる方が良いと思ったからです。
耕作面積は限られています。いくら美味しくても、さほど栄養価のない野菜を作る余裕はありません。
効率的に栄養を摂取するためにも、手軽に作れて、栄養価の高い作物が求められるのです。
できれば、調理の担当もしてもらえれば、なお良いのです。
大滝を中心とするAZが誇るイケメンたちに指令が下りました。
今後、あの女子大の家政学部食物栄養学科と合コンすることがあれば、その機会を利用して、適当な人間を捜すこと、です。
それは、渡瀬真子の合コンデビューの日でした。
引っ込み思案の渡瀬は、友人に半ば引きずられるように、連れて行かれたのです。
「早いとこ、唾つけとかなきゃ、来年には、新入生が入って来るでしょ?男って、若い女の方が良いんだから。
来年じゃ、年増になってるし、相手にしてもらえないわ」
そういうものなのでしょうか。
でも、渡瀬は、別に恋人なんか要らないのです。
好きな料理をして、友人たちに食べてもらって、褒めてもらうことに喜びを感じていたのですから。
でも、そのコンパ会場で、渡瀬は大滝と会ってしまったのです。
大滝は、長身でハンサム、その上、スタイルも良いのです。着ているものも、おしゃれで、隙がありません。
参加した女の子たちの目を釘付けにする存在感がありました。
渡瀬は、ため息が出ました。世の中には、こんなに素敵な青年もいるのです。
この青年だって、恋をするのでしょう。
居合わせた女の子たち全員が、大滝の相手は自分でありたい、と主張していました。
もちろん、口に出して言う馬鹿はいません。
さりげない動作で、私、私、私を選んで、とアピールしているのです。
恋人になれないまでも、近くで見ていることができたら、どんなに素敵でしょう。
でも、何から何まで普通で、平凡を地でいく渡瀬には、望むべくもないものでした。
コンパがあった一週間後、信じられないことが起きました。
生まれて初めてナンパされたのです。
相手は、中肉中背、童顔で丸い眼鏡をかけた、見るからに人の良さそうな青年です。
辰巳英太郎と名乗った青年は、真面目そうで、およそ、ナンパするような人には見えませんでした。
まあ、案外、こういうタイプの方がナンパするのかもしれませんが、男女関係に疎い渡瀬には、実際のところ、よく分かりませんでした。
喫茶店で、先週の合コンの話で盛り上がりました。
辰巳は聞き上手で、さりげなく話をそっちへもっていったのです。
辰巳の友人もその合コンに参加していたらしいのです。もしかして、その友人というのは、大滝の友人かもしれません。
渡瀬は、何となく胸がときめきました。
あの日、辰巳の友人は、食物栄養学を専攻している学生で、料理の上手な人っているのかなあ、案外、栄養学の子って、料理が下手なんじゃないか、という話をしたらしいのです。
そのとき、話題に上がったのが、渡瀬だったというのでした。
そういえば、大滝を中心とする席で、食物栄養学科の学生は調理師じゃないんだから、下手でも仕方がないじゃないとか、大丈夫、要は慣れの問題だから、回数こなすとそれなりに食べれるものができるわとか、盛り上がっていたのを思い出しました。
辰巳の友人は、大滝の側にいたのでしょう。
少し離れた席でそれを聞きながら、食物栄養学科との合コンで、そんな話題を持ち出すことに鼻白む思いをしたので、覚えていたのです。
「で、そのとき、君の名前が出たらしいんだ」
突然、話題が渡瀬に向けられたので、目を丸くしました。
「僕としばらく付き合ってくれないかな?」
付き合って欲しいと告白されたのは、初めてです。
でも、期間限定というのは、聞いたことがありません。
『しばらく』とは、どういう意味でしょう。
「君が僕の思っているような人だったら、折り入って頼みたいことがあるんだ。
だから、君のことを知りたいんだ」
『君のことを知りたい』というのは、よくある口説き文句ですが、辰巳が言うと、そのままの意味に聞こえました。
「あなたの思っているような人間じゃなかったら、どうなるんでしょう?」
「時間を割いてもらってありがとうってことになる。
実際、もし、ダメでも、君みたいな可愛い人とデートできるんだから、きっと楽しいよ。役得だね」
片目をつぶって、笑って見せました。
真面目そうな青年の悪戯っぽい一面に完全にノックアウトされました。
辰巳と何度かデートしました。
お茶や散歩をしながら、食材の話や、料理の話をします。
こんなに話の合う人も珍しいのです。
最初の約束だった『しばらく』の期間が終わったら会えないのだと思うと、何となく悲しくなりました。
ある日、辰巳から一枚の名刺を渡されました。
「君は、僕が思っていたとおりの人だった。
だから、最初に言ったとおり、お願いがあるんだ。
君にとっては、迷惑な話かもしれない。
でも、僕らにとっては、とっても重要なことなんだ。
友人に、君のような人を捜している人がいる。
一度、会ってもらいたい。
その人に会っても良いって思うなら、僕に連絡して。
アポ取るから」
『株式会社AZ CEO 遠山ハル』
名刺には、そう書いてありました。
アポイントメントを取らなければ会えないような偉い人なんでしょう。
そんな人が、渡瀬にどんな用があるというのでしょう。
翌日、渡瀬は一日中悩みました。
株式会社AZとは、一体どんな会社なんでしょう。
遠山ハルとは、一体どんな人物なんでしょう。
手の中の名刺を何度も見返しました。
少なくとも、遠山は辰巳と繋がっているのです。
散々悩んだ末、辰巳に電話することにしました。
AZは、次々仲間を引き込みます。巻き込まれた人々を気の毒というべきか、巻き込んだAZの手柄というべきか、難しいところです。
物語としては、雪だるま式に増えるメンバーの人生が狂ったとは思いたくありません。引き込まれてラッキーだったと思いたいです。自己満足かもしれませんが……。