辰巳英太郎(2)
辰巳くんの話が続きます。
初めて辰巳と喫茶店で会話した日、辰巳はすこぶる友好的で、新しい友人である工藤との情報交換を楽しんでいた。
お決まりの出身地や出身高校の話を簡単に済ませ学部の話になると、尊敬の眼差しを向けてくれた。
「すごいねえ。工藤くんって、見るからに頭良さそうだけど、医学部だったんだ」
「君は、どこなの?」
「僕はね、農学部。農業の生産性を向上させる研究をしたいんだ」
「始めから目的を持って学部を選んだのか?」
「うん。せっかく大学に行くんなら、学びたいことをはっきりさせた方が良いだろ?
工藤くんは、どうして医学部なの?やっぱり、お医者さんになりたいとか思ったから?」
「いや、たまたまって言うか、成績が良かったから、高校の先生に勧められたんだ。人の役に立つ、やりがいがある仕事だって」
「すごいねえ。よっぽど賢いんだね」
だから、二度目に会った時、当たり障りのない会話の後で、さりげなくAZに水を向けた。
話がAZに向かうことを予想していたのだろう。辰巳の態度は、極めて自然でさりげないものだった。
辰巳は、性格の良さがそのまま出ているような愛嬌のある顔をほころばせて、さあ、何でも聞いて、僕が知ってることは全部教えてあげるよ、と体中で言っていた。
工藤は、まず、AZがどういう会社か聞くことから始めた。
「君たちのやってる会社、確か、AZとか言ったね、あれって、一体何をしている会社なんだい?」
「浮遊薬を製造販売する会社なんだ。AからZまで、森羅万象ありとあらゆるものを使って浮遊薬を売って、AZつまり泡銭を儲けることを目的としてる」
「泡銭を儲けるから、AZ……か。
面白いね。
で、儲かった金は、どうするんだ?」
「みんなの納得する事業に使うんだ」
「例えば、どんな?」
「いろいろあるけど……僕の話をしようか?」
辰巳は、大きな目をくるりと動かし、上目遣いで見上げた。まるで子供が、悪戯を思い付いたようだ。
後から考えると、工藤は挑発されたのだ。
「僕の家は、田舎の駅前商店街から少し外れたところにある魚屋だったんだ。
昔は結構売れてたんだよ。でも、例の規制緩和のせいで、郊外型の大型スーパーが少し離れたロードサイドにできて、商店街の店が軒並み売上げが落ちる中、そのまた外れにあるウチの店は、嵐の中の木の葉だった。
何しろ、店の前の通行量さえ激減して絶望的だったんだ。一日に数人しか通らない日だってあったんだから。
で、株式会社AZの前身である北斗高校AZ研究会は、ウチの店の前の通行量を増大させようと、ありとあらゆる方法を使って、全校生徒に下校のとき商店街からウチの店の前を通るよう頼んでくれたんだ」
あり得ない!
あまりのことに、声が出ない。
高校生が、自分達の活動を起爆剤として、地域経済に影響を与えようとしたのだ。
「でも、結果は失敗だった。
だって、そうだろ?
いくら高校生が通っても、買い物はしない。せいぜい商店街の甘味屋の売上げが増えただけだ。
ただ、通行量増大作戦は失敗したけど、ウチの親に店を諦めさせるきっかけになったことは確かなんだ。
店の前の通行量が増えても、売上げ増には繋がらないことが証明されたんだから」
「で、お前の両親はどうしたんだ?」
驚愕のあまり、相手のことを『君』と呼ぶことも忘れて、タメ口になっていた。
「すったもんだの末、店を閉めて、両親は別々にパートに出ることにした。スーパーの鮮魚部の仕事なんか、元魚屋なんだからお手のものだし」
「でも、パートじゃ収入が減るだろう?学費だって大変なのに」
分かっている。知り合って間もない相手に訊くことじゃない。分かっていても、訊かずにはいられなかった。
「恥を忍んで言うけど、店をやってたときは、店を開くだけで赤字だったんだ。毎日、五千円ほど仕入れて、二千円程度しか売れなかった。残りは腐らせてたんだ。
店を閉めただけで、赤字が減った。それだけで、随分助かった」
「そんな状況なら、君が進学するのは、大変だったんじゃないか?」
俺と同じじゃないか。どこが違うんだ?
やっぱり、AZが奨学金を出してるヤツって、こいつか?
「ああ、大変なんだ。だから、学費も生活費も全部、AZに出してもらってる」
ビンゴ!
予想通りだ。
まさに、こいつこそ、俺が知りたかった奨学金の受給者だったのだ。
辰巳は、それこそ何の変てつもない、どこにでもいるような学生だ。
AZの活動に参加すると、平凡な人間でも奨学金がもらえるのだろうか?
俺だって欲しい。俺だって生活に困ってるんだ。
「工藤くん、君も大変なんだろ?何だったら、僕が頼んであげようか?」
突然、辰巳が喫茶店でコーヒーでも注文するような調子で言った。
唖然とした。
知り合って間もないのだ。
実家の話はしていない。
それどころか、実家の話は、大学の友人はもとより、高校時代の友人にさえ話してないのだ。
こいつ、どうして、知ってるんだ?
「どうして知っているかって、思った?」
声に出さなかったのに、心の声が聞こえたかのように平然と笑う。
この見てくれに騙された。
辰巳は、この人の良さそうな笑顔の下に、腹黒いタヌキを飼っているのだ。
「ビジネスは情報で決まるからね。AZには、すばらしい情報網があるんだ。
この前、君が母校の話をしてくれただろ?
そこの生徒会に問い合わせたら、簡単に分かった。
君のお父さんの会社って、結構影響力があったから。
あの会社の倒産のせいで、何人もの生徒が進学を諦めたり、進路変更したりしたらしい」
へなへなと体中の力が抜けた。
自分のことしか考えていなかったが、あの会社の従業員数を思えば、同じような境遇の連中が何人もいたのだろう。
「で、その話を聞いたとき、君が僕に接触してきたのは、何とか学業を続けたいと思ったからだろうって思ったんだ。
それも、一般的な奨学金より有利なものを探してるってね」
ここまで読まれているなら仕方がない。
下手に嘘を付くより正直に白状した方が良い。
そのとおり。お前の言うとおりだ。
そう言って、窮状を打ち明けた。
気の毒そうに話を聞き終えた辰巳は、真面目な顔で切り出した。
「君もAZの援助が欲しいんだろ?
でも、何の見返りもなく、援助を得ることはできないんだ。
僕だって、僕なりの誠意を示して、活動に協力してるんだ」
協力?どんな協力をすれば良いのだろう?
浮遊薬の販売の手伝いだろうか?
そんな簡単なものじゃないはずだ。
必死に心を落ち着けて、覚悟を決めて訊いた。
「教えてくれ。
協力って、どんなことが求められるんだ?
お前は、どんな協力をしてるんだ?」
「君の協力については、僕からは何も言えない。
でも、リーダーを紹介することならできる。
今度、紹介してあげるよ。
僕にできるのはそこまでだ。そこからは、自力で話をつけてくれ」
自分で話をつけろって?上等だ。
妥協はしない。俺は、自分を高く売り込むだけだ。
そして、俺という存在をAZに買わせるのだ。
戸田が断った話を俺がゲットするのだ。
「それで、君は、僕がどんな協力をしているかってことを知りたいんだね。
そうだね。参考になるかもしれないから教えてあげよう。
僕の場合、農学部で農業の生産性を上げる研究をするよう求めたのは、AZだ」
え?
AZって、学部の選択にまで口を出すのか?
いや、AZは、少年探偵団の会社版だ。
たまたま、こいつが農学部志望だったので、そんな要求を出しただけだ。
じゃないと、こいつの人生に介入し過ぎだ。
いくら何でも、憲法に保障されている職業選択の自由を侵すことはないはずだ。
子供の集団なんだから。
しかし、一体、AZって何考えてるんだ?
人の好さそうな辰巳くんも、お腹の中にタヌキを飼っているようです。さすが、AZです。
工藤、頑張れ。負けるな、工藤。相手は、腹黒なAZだ。