田所院長の苦悩
真由子のやらかしたことが明らかになり、田所院長が苦悩します。
第五章 計画の決行
困った。困った。困った。
田所宗一郎は、娘の話を聞いて頭を抱えた。
絶句なんてものじゃない。
診察時間なのにも関わらず、娘婿を呼び出して怒鳴りつけた。
「四ヶ月後、廃村に移住するとは、一体どういうことなんだ?
そういう事情があるのに、どうして真由子と結婚したんだ?
そんな事情があるなら、(結婚の)申し込みを受けるんじゃない!
約束が違うだろう!お前に真由子をやったのは、病院を継いでもらうためだ。
真由子を連れてどこかへ行ってしまうなら、結婚なんぞ許しはせんかった!
百歩譲って、どうして今まで黙っていたんだ?
結婚する前に、報告すべきだったんじゃないか?」
「だって、それ言ったら、パパは大輔と結婚させてくれなかったじゃない!
だから、パパには黙っててって私が頼んだの!」
さっきから院長に散々叱られて凹んでいた真由子が、突然大声で泣きわめいた。
今朝、病院に真由子が現れた。
珍しく、田所院長の時間がとれることを確認までして。
何かある、と思った。
だが、その何かがこんな突拍子もないことだとは、想像もしなかった。
診察室から呼び出された娘婿は、申し訳なさそうに小さくなっている。
だが、この状況を招いたのは、娘の真由子だ。
「どうしてそんな誓約書にサインなんかしたんだ?
結婚すれば、大輔は田所病院の跡取りになるのを知らないはずなかっただろうに」
「だって、サインしなきゃ結婚できなかったんですもの。
それに、例えサインしたって、パパが何とかしてくれるって信じてたから」
「廃村……か。真由子、お前、そんなところへ行きたいのか?
ワシや母さんと別れて、そんなところで生きていきたいのか?」
「まさか、あり得ないわ!
だって、何回か行ったけど、本当に何にもないところなのよ。
パパやママたちと一緒の方が良いに決まってるわ!」
頭を抱えた。
移住する気もないのに、『移住する』と誓約書を書いたのだ。
工藤と結婚したい一心で。
真由子は、工藤大輔と二十五で結婚した。
当時、工藤は二十八歳。
近頃いない清々しい若者で、田所も目をかけていた。
田所病院に勤める工藤を真由子が気に入って婿養子にと望んだことから、話はトントン拍子に進み、結婚の運びとなったのだ。
この街で最高ランクのホテルで執り行われた絢爛豪華な結婚式は、しばらく語りぐさになったほどだ。
あのとき、友人席に陣取った花嫁より美しい集団を思い出した。
男も女もみな美しく、新郎新婦の座る高砂席より、友人席の金、銀、星席が目立ってしまった。
田所にとっては、あの結婚式の唯一の汚点だ。
真由子は、翌年、男の子を産んだ。
宗輔と名付けたこの子は、今年二歳になる。
可愛い盛りで、まわらぬ舌で田所のことを『ジイジ』と呼ぶ。
この子に病院を継がせるまで頑張らなければ。
そう思って、以前にも増して、病院や施設の経営に力を注いで来たのだ。
足下で地面が崩れて行くような気がした。
何としても、真由子を引き留めなければならない。
真由子だけじゃない。婿の大輔もだ。
今さら、大輔をあの若造たちに取られるわけにはいかない。
あいつは、田所病院の次期院長だ。あいつを取られたら、真由子に別の夫を捜さなければならないのだ。
「お前が移住しないというなら、移住する大輔と別れなければならないな」
ワザと冷たく突き放してみる。
「そんなの嫌!ソウちゃんが父無し(ててなし)子になってしまうじゃない。それに、私だって、大輔と別れたくない!」
娘を我が儘に育ててしまったことに気が付いた。
こんな非常識な制約がある男と結婚したこと自体無茶だったのだ。
そもそも真由子と結婚すれば、田所病院の院長の座が付いてくる。
始めから田所病院を継ぐ気がないなら、真由子と結婚してはいけないのだ。
診察室から呼ばれて来た大輔は、黙りを決め込んだままだ。
この男も真由子に振り回された口なのだろうか。
いや、こいつの才覚からいえば、分かっていてあえてやったのもかもしれない。だとしたら、確信犯だ。
いずれにせよ、失礼千万な話だ。
とにかく、火中の栗を拾うのは、自分の役目のようだ。
AZの若造たちと話をつけなければならない。
こんなふざけたことを言い出した連中に世の中というものを教えてやるのだ。
それが、大人の責務だ。
 
目の前に信じられないような青年が座っている。
真由子の結婚式で注目を集めた花嫁より美しい友人だ。
院長は、田所病院にAZの代表を呼び出した。
電話をかけたとき、数で来るかもしれないと思った。
向こうは十人以上いる。一人対十数人という対立になるかもしれないと思ったのだ。
敵陣に来るのだ。数に頼んで、殴り込みに来るかもしれないと。
だが、来たのは一人だけ。しかも、結婚式で会ったメンバーの中では小柄な方だった。
これなら、御しやすい。
遊びの時間が終わったことを自覚させて、大人のルールをじっくり教えてやる。
そう思って、切り出した。
「そもそも、日本国憲法にもあるように、どこに住むかとか、どんな職業に就くかとかは、個人の自由意思で決めるものだろう?
誓約書を書かせて強制するものじゃないと思わないか?
あの二人の自由意思を認めるべきだ。
小学生が秘密基地を作って遊ぶ時間は終わったんだ。君たちも、もう大人だろう?
今回のことは目をつむってあげよう。
だから、無茶な要求は引っ込めなさい」
だが、田所院長の教育的指導は、人を人と思わない反撃にあった。
皮肉な笑いを浮かべた口から出た台詞は、院長の常識を覆すものだった。
「医者のあなたから、憲法の講義を受けるとは思いませんでした。
どこに住むかとか、どんな職業に就くかとかは、個人の自由意思で決める。なるほど、その通りです。
ワタシは法学部ですから、講義で学びました。
でも、それをあなたがおっしゃるのは、笑止以外の何ものでもないでしょう」
院長の顔が怒りに染まった。
「あなたは、成人である真由子ちゃんの結婚相手を医者に限定し、職業も医者の妻であることを強要している。
住む場所にしたって、夫が田所病院に通勤しやすいところに限定している。そこには、真由子ちゃんや大輔の自由意思はない」
「真由子は、移住したくないと言っている」
「でも、ワタシたちには、自由意思で移住すると約束してくれました。
ワタシたちは、あなたと違って強制していない」
「子供が自分たちだけで遊ぶのは勝手だ。だが、大人の邪魔をするんじゃない!」
そこから先は、田所院長のヒステリーだった。
だが、どんなに怒鳴っても、相手はひるまない。
冷ややかな目つきで受け流すだけだ。
その平然とした態度に苛ついた田所院長が切れた。
「いい加減にしろ!
お前たちのような子供には、大人の都合というものが分からんのだ!
例え二人が移住すると言ったとしても、ワシゃ許さん!
真由子も大輔も、お前等には渡さん!
大輔が用立ててもらった金は、利子を付けて返すから、お前たちだけで、移住でも何でも勝手にすれば良い!
だが、あの二人を、うちの病院を巻き込むんじゃない!
田所病院には、跡取りが必要なんだ!
どこの馬の骨とも分からん連中に大事な娘や婿を取られる筋合いはない!」
と、啖呵を切ったのだ。
真由子の思惑どおりの展開だった。
そして、それは、大輔の思惑どおりの展開でもあった。
田所院長は、大人として、AZに喧嘩を売ります。これが、吉と出るか凶と出るかは、これから先のお楽しみです。
我が儘な真由子と腹黒な工藤は、確信犯です。
 




